海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






(ベニートの第二王子だ?)
 男の言葉に、ラディスラスはますます眉を顰めた。
確かに、ベニート共和国には3人の王子と2人の王女がいると聞く。皇太子である第一王子の顔は、ラディスラスも以前ベニート
共和国を訪れた際、丁度祝祭があった為に街に出ていた姿を見たことはあった。
目の前の男と同じ、金髪に薄茶の瞳をしていたのは確かだったが、皇太子はもう30歳をとうに過ぎていて、その年齢差もあるの
か、目の前の男とは面差しが似ているとはいえ、兄弟とははっきり言えなかった。
(まあ、母親が違うということも有りえるが)
 しかし、そんな大国の王子が、黒い噂のある貴族(金で買ったのだが)バルア卿の船に乗っている理由が分からない。
 「・・・・・お前が王子だという証拠は?」
 「バルアに聞けばいい」
ラディスラスはバルアに視線を向けたが、今は命の危機を感じている男に、何を聞いてもはっきりとした答えは出てこないだろう。
まさか、それを予期して言っているわけではないだろうが。
 「口裏を合わせている可能性もあるだろう」
 「そこまで疑われては言いようもないな」
ラディスラスの言葉にも、飄々とした受け答えをする男・・・・・ユージン。
 ラディスラスはラシェルを振り返った。
 「どう思う?」
ラシェルもじっとユージンを見つめていたが、ふと思い出したようにラディスラスに言った。
 「・・・・・もしかしたら、ミシュア様がご存知かもしれない」
 「王子が?」
 「ジアーラ国とベニート共和国は国交があった。幼い頃、ベニートの王族が訪ねてきたという話も聞いたことがある」
 「・・・・・よし、王子に会わせるか」
もしも、この男が本当にベニート共和国の王子ならば、自分達がこれから向かう旅路にはかなり有利な手駒になる事は間違いな
い。
ただ、そう思う反面、どうにも掴みきれない性格が垣間見えて、ラディスラスはなぜか嫌な予感がしていた。



(王子って、言ったよな)
 ラディスラスにしっかりと肩を抱かれているので身体ごと振り向く事は出来なかったが、珠生はラシェルに腕をつかまれたままエイバ
ル号に乗り移ってくる男が気になって仕方がなかった。
自分を真っ直ぐに見てきた、少し面白がっているように細められた蜂蜜色の瞳。少しだけドキッとしてしまったのは、別に深い意味
はないはずだ。
ただ、剣を突きつけられても少しも動揺しなかった度胸の大きさに、ちょっとだけ・・・・・カッコいいと思ってしまっただけだ。
 「タマ」
 「ふぇ?」
 ぼんやりと考え込んでいたせいか、ラディスラスの声にとぼけた声で返事をしてしまう。
そんな珠生を見下ろしたラディスラスの顔は、何時に無く厳しかった。
 「何を考えている?」
 「な、何って、なにも?」
 「・・・・・」
 「ほ、ほんと!」
男のことを少しでもカッコいいと思ってしまったことに後ろめたさを感じていた珠生は、反射的にラディスラスの腕をしっかりと掴んで
言い切った。本当に、ただ純粋にカッコいいと思っただけで、他には特別な意味はないのだ。
 「・・・・・」
 そんな珠生の思いを感じ取ったのかどうか・・・・・ラディスラスははあ〜と溜め息をついた。
その溜め息が妙に不安になってしまい、珠生は自然と眉を下げて唇を噛み締める。
(ちゃんと、怒ってくれていーのに・・・・・)
特に何か悪いことをしたというつもりはないし、実際に怒鳴られたら理不尽だと自分の方が怒るだろう。しかし、そんな会話が2人
にとってのコミュニケーションだと言えないことも無いのだ。それなのに・・・・・。
 「・・・・・」
 珠生の方から、どうしてそんなに不機嫌なんだと訊ねても良かった。
 「・・・・・」
ラディスラスの方から、俺以外を熱心に見るなとからかっても良かった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
しかし、なぜか2人とも意地を張ったかのように自分から口を開くことは無かった。
・・・・・ただ、ラディスラスの手は珠生の肩から離れなかったし、珠生もラディスラスの服をギュッと握り締めたままだった。



 まずい・・・・・ラディスラスは久しぶりに後悔をしていた。
目の前の男を警戒するあまり、珠生へのフォローが全く足りなかったことに後になって気付いたのだ。
常ならば、どんなに険悪な雰囲気になったとしても、ラディスラスがからかって、珠生が怒る・・・・・それが雰囲気を和らげていた。
(・・・・・泣くか?)
 意識して意地悪をしているつもりは無かったが、隣を歩く珠生の表情は今にも泣きそうなほどに歪んでいる。
どうするか・・・・・ラディスラスが一瞬躊躇してしまった時、ラシェルと歩いていたユージンが後ろから声を掛けてきた。
 「お前、タマと言うのか?」
 「・・・・・え?}
 「変わった名前だな。その黒い瞳も初めて見るし、いったいどこの国の者だ?」
 「え・・・・・と」
 珠生はラディスラスを見上げた。どうしたらいいと助けを求められている。
一瞬、このまま珠生がどうするか見たい気もしてしまったが、そこまで追い詰めても可哀想だろう。
(自分がいったい誰のものか、後でじっくり教えてやるか)
 「俺達はまだお前の言葉を信用したわけではない。それまでは勝手に口を開くのは止めてもらおうか」
 「・・・・・分かった」
意外にあっさりと引き下がったユージンを、ラディスラスはチラッと見つめた。
とにかく、この男の正体はミシュアに会わせればはっきりするだろう。たとえ顔を会わせたのが遥か昔の幼い頃だとしても、王族同士
にしか分からないことを聞けば判断はつくだろう。
 「タマ」
 とりあえずはその前に、すっかり萎縮してしまった珠生の気持ちを和らげなければならない。
ラディスラスは足を止めると、ギュッと珠生を抱きしめる腕に力を入れてから、そのまま腰を屈めて頬に唇を触れさせた。



 「ラ、ラディっ?」
 2人きりの場所ならまだしも(珠生的にはそれも色々問題なのだが)、こんなに大勢の目の前でキスをされて、珠生はどう反応
していいのか分からなかった。
(み、みんな、見てるのに〜〜〜!!)
どうしてこんなにも羞恥心が無いのか不思議でたまらないが、考えれば出会った当初もエイバルの乗組員達の前で堂々と珠生
にキスをしたラディスラスだ。
その時は全く言葉が分からなかった珠生だが、後々にテッドからその時の言葉を詳しく聞き、珠生は顔から火が出るほどの恥ずか
しさを感じたくらいだった。

 「今までどんな女の人にもそんなことを言った事は無かったんですよ?俺、お頭は本当にタマが好きなんだなあって思いました」

純粋なテッドの言葉に何と答えればいいのか・・・・・珠生は分からなかった。
それでも今は、その言葉が嫌だとか嘘だとかは思っていない自分がいる。関係が出来たからというわけではないが、自分にとって
やはりラディスラスは特別な存在なのだ。
 「ちょ、ちょっと・・・・・思っただけ」
 「ん?」
 「・・・・・ハチミツ色の目・・・・・綺麗だなって」
 「なんだ、お前が引っ掛かったのはやっぱり食いもんか」
 「や、やっぱりってなんだ!」
 珠生にとっては恥ずかしさを押し殺してちゃんと説明したのに、ラディスラスが相変わらず笑ってしまうのには腹が立ってしまった。
しかし、その顔が緩むと、先程までの近寄りがたさがあっさりと消えて、安心する自分もいる事は確かだった。
 「ラディ、ちょっとも、カッコよくない!もっと、ふふんって感じでいればいーのに」
 「ふふん?どういう感じだ?」
 「だから〜、ちょっと、カッコつけて、ふって感じ」
(え〜と、腰に手をやって、こう、顎を少し上げて、目を細めて・・・・・こんな感じ?)
言葉で説明するのは難しく、珠生は何とか自分自身が思うカッコいいポーズをしてみせる。
ラディスラスだけではなく、自然とその姿を見ることになってしまった一同の中から、押し殺したような笑いが零れてきた。
もちろん、筆頭であるラディスラスは大声で笑っている。
 「なんだそれは〜!!ははっ、お前は何やっても可愛いな」
 「なんだよ、それ!」
ギュウギュウとラディスラスに強く抱きしめられた珠生は反発するように声を上げるが、その様子はどう見ても出来上がった恋人同
士にしか見えなかった。