海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
ラディスラスは片手に珠生を抱いたまま食堂まで降りてきた。
普通、怪しいと思う人間はこんな船の内部に入れることはないのだが、今回ミシュアをあまり動かさない為にもこちらから会いに行
かせるしかなかった。
先に乗組員に連絡に行かせたので、ラディスラスが扉を叩けば直ぐに中から開かれた。
「すまんな、ミュウ、少し協力をしてくれ」
「はい」
アズハルに寄り掛かるようにして椅子に座っていたミシュアは、ラディスラスの言葉に頷くとすっと背筋を伸ばして立ち上がった。
それは、今は身分を剥奪されているとはいえ、大国の皇太子であったミシュアなりの矜持なのだろう。その王族らしい行動にラディ
スラスは感心したように笑みを浮かべた。
(・・・・・たいした王子様だ)
いくら最近は調子がいいとはいえ、体のだるさや痛みが全く無いというわけではないだろうにと思いながら、ラディスラスは後ろを振
り返った。
そこには、ラシェルに身体を拘束している縄を持たれたユージンが、少し楽しそうにこちらを見ていた。
「今からお前を知っているだろう人物に会ってもらう。彼が話している間・・・・・俺がいいというまでは絶対に口を開かないように、
いいな?」
「・・・・・分かった」
ユージンの答えを聞いたラディスラスは、そのまま食堂に足を踏み入れた。
肩を抱いている珠生が一緒に、そしてその後にラシェルとユージンが続く。
そのユージンの表情を見逃さないようにじっと見ていたラディスラスは、中で待っていたミシュアを見た瞬間のユージンの驚きを見逃
さなかった。
僅かに目を見開き、次に笑おうとして頬を綻ばせ・・・・・思い直したかのように口を引き結んだ。
そして、軽く片眉を上げてラディスラスを見ている。
「それで?」
まるで、そう言われているような感じがして、ラディスラスはちらっとミシュアを振り返った。
「どうだ?」
主語もないその言葉に、ミシュアはユージンに視線を向けたまま言った。
「お会いしたのはもう10年近くも以前のことですが・・・・・面影は残っています」
「じゃあ?」
「ベニート共和国の第二王子、ユージン様です」
「・・・・・そうか」
妙にふてぶてしい態度は王族だからと言われれば頷けないことも無く、これでこのユージンを連れてベニート共和国に行くのはほぼ
決定だ。
向こうも自国の王子がいれば煩い手続きも簡略化してくれるだろうし、なにより高名だという医師に話を付けるのも早いだろう。
そこまで考えたラディスラスは、ふと思い当たって顔を上げた。
「なぜ、バルア卿の船に乗っていた?一国の王子が旅をするには悪くはない船だが、それにしては護衛やお付の人間の姿が見
えない」
「逃げてきた」
「逃げた?」
「気楽な独り身を楽しんでいたが、最近結婚の話が出てきてね。だから、逃げた」
「・・・・・」
(正気か?この男・・・・・)
王族の一員ならば、政略結婚など当たり前だろう。
生まれる前から婚約をしているという場合もあり、どの国の王族の人間も早婚が多いくらいだ。
それからすれば、この歳になるまで(多分自分と同じか、少し上ぐらいだろうが)自由にさせてもらっていたという方が珍しい話だ。
「ミシュア、相変わらず綺麗だな。君が王女だったら、間違いなく俺の正妃にしていたよ」
「ユージン様は相変わらずで。残念ながら、私は女性ではありませんよ」
この軽口は昔から変わらないのか、ミシュアは口で言うほど気分を害しているわけではなさそうで、どこか楽しそうに笑みを浮かべ
ている。
「まあまあ。君の事は色々噂で聞いたけど・・・・・」
「・・・・・」
「以前よりいい顔をしている。美人度が上がったね」
「・・・・・」
スラスラと女に対するような褒め言葉を口にするユージンを、ラディスラスは呆れたように見つめた。
(何だ、こいつは・・・・・)
全く掴みきれないユージンの言動に、ラディスラスは頭が痛くなりそうだった。
(逃げたって・・・・・言ったよな?)
ラディスラスの直ぐ傍で会話を聞いていた珠生は、少し癖のあるユージンの言葉も大体は聞き取れた・・・・・と、思う。
その聞き取った情報だけでいえば、ユージンは確かに王子で、結婚から逃げ出してきたという。
(なんか、イメージしてる王子像とは少し違うような気がする)
身近に王子という身分の知り合いがいないので(当然だが)、珠生の王子のイメージはミシュアの影響が強い。
頼りなげで儚げな印象のミシュアだが、見かけとは裏腹に確固たる意思も強く、王子としてのプライドも十分にあるように見えた。
出会って間もない自分がそう思うのだ、多分ミシュアは他の人間から見ても立派な王子様だったのだろう。
それに比べ、このユージンという王子は、どうもただの軟派な兄ちゃんとしか見えない。
(大丈夫かな、ベニート共和国って・・・・・)
こんな男が王子のその国に、ちゃんとした医師がいるのかと少し不安になってしまった。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「ん?どうした?」
珠生がじっと見ていたのに気付いたのか、ユージンが目を細めた。
陽の下でないせいか、先程は綺麗で美味しそうな蜂蜜色に見えた瞳が、今は少し落ち着いた琥珀色に見える。
(なんだ、蜂蜜じゃない・・・・・)
せっかくの発見が意味を無くした様で少し面白くなかった珠生は、ラディスラスの腕をしっかりと掴んだままちろっとユージンを見た。
「ウソおーじだ」
「はあ?」
「おーじの、そっくりさん」
「タマキ、失礼だよ」
「だって、おーじらしくない!」
窘める父に、珠生は口を尖らせた。
「おーじっていうのは、もっと、こう、りんとしてて、デンッとしてる感じだもん」
自分の頭の中のイメージを何とか説明しようとするが、こちらの言葉ではどうしても拙くなってしまう。
そんな珠生を目線で叱り、父がユージンに頭を下げた。
「息子の非礼をお許しください」
「息子?・・・・・へえ」
「とーさん、謝らなくていーのに」
「そういうわけには行かないよ、タマキ。誰もが平等なニホンとこの世界は違うんだから」
珠生より長くこの世界にいる父には、この世界なりの常識というものがよく分かっているのだろう。
父の言いたい事は分かるが、珠生はどうしても自分の口で謝罪をしたくは無かった。
「タマ」
その時、ラディスラスがポンッと珠生の頭を軽く叩いた。
いきなり何をするんだと眉を顰めたままの顔を上げた珠生に、ラディスラスは苦笑を零しながら言う。
「こんな男でもしばらくは同行者だ。気に入らなければ近づかないでいい」
「・・・・・」
「分かったか?」
「・・・・・わかった」
(医者を捜すのには、その国の人間がいた方がいいだろうし)
それが王子ならば、かなりの情報が手に入るはずだ。何の手掛かりもツテも無く捜し回るよりは確かにいいだろうと珠生も分かって
いるので、渋々ながらも頷いた。
「むしする」
「そうしてくれ」
「ラディ?」
「その方が俺も安心だ」
「?」
(俺がこのなんちゃって王子を無視する方がいいのか)
自分と同じようにラディスラスもこの王子を胡散臭く思っているのだと分かった珠生は、絶対に近づくのは止めておこうと思った。
・・・・・が。
そんな2人を楽しそうに見つめているユージンが、面白いものを見逃すはずも無く・・・・・。
(タマ・・・・・か。退屈しない時間を送れそうだな)
と、内心そう思っていることに、ラディスラスと珠生は気付く事は出来なかった。
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