海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 「よし、そのまま渡り板を外せ!」

 金と、価値のある品を奪ったラディスラスは、何の未練も無いというようにそう言い放った。
船に乗っている女達が自らこちらに来たいと申し出たらしいが、一見して価値のある存在にはとても思えず、男達の中に女を入れ
る煩わしさも嫌で、ラディスラスはあっさりとその申し出を却下した。
 直ぐに逃げることも後を追うことも出来ないように、バルア卿の船の帆を1箇所切り裂いておく。予備の布はあったので、1日補
修をすれば運行には問題ないだろう。
無駄な命を奪うつもりも無いので、それが何時ものラディスラスのやり方の一つだった。
 「押せ!」
 何人かの乗組員達が、長い棒で相手の船の横腹を押す。
今まで渡り板1枚で密着していた2つの船は、その力によってじわりと離れていった。
 「・・・・・」
男達の縄は解いていないが、1人の女の縄は少し緩めにしておいた。
後はあの女が勝手に動いてくれるだろう。
 「舵を取れ!」
 ゆっくりと、エイバル号は進み始める。
海の中に置き去りにされたバルア卿の船は、次第に小さな姿になっていった。



 「おお、お疲れさん!」
 夜が更ける前に全ての仕事が終わったエイバル号の中はざわめいていた。
交代で食事を取りに行った者で食堂の中はたちまちいっぱいになり、ジェイや料理番の乗組員達は忙しく立ち働いていた。
その中で、瑛生も器用な手付きで厨房の中を手伝っていた。
 「・・・・・タマは?」
 一通りの指示を終えたラディスラスが食堂に来て視線を彷徨わせたが、そこに珠生の姿は無かった。
暇があれば瑛生の傍でその働く姿を見ているはずの珠生がいったいどこに行ったのだろうか。眉を潜めながらラディスラスは直ぐに
瑛生に問い掛けた。
 「ここにはいないよ」
 「いない?」
 「君の所に行くと言ってたけれど・・・・・違うのかい?」
(俺の所に?)
ラディスラスはつい今まで操舵室にいたが、珠生は一度もそこに姿を現さなかった。
この船の中で危険なことがあるはずはない・・・・・そう思ったラディスラスはあっと思い直した。
(あいつがいた・・・・・っ)
 ベニート共和国の第二王子、ユージン。
飄々とした、とても大国の王子とは思えない男がこの船にいるのだと思い直し、ラディスラスは舌打ちを打って足早に食堂から甲
板に上がった。
幾ら王子と確認が取れたとはいえ、今日捉えたばかりの捕虜ともいっていい相手を1人にしているわけは無く、今彼はラシェルの
補佐でもあるルドーの監視下に置かれているはずだ。
多分、何も無いとは思うが、ごたついてしまった略奪行為の直後なので、ラディスラスは早く珠生の顔を見て安心したかった。



 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「なに」
 「何って?」
 「俺見て笑った・・・・・。何か言うことある?」

 珠生は今、直ぐ目の前でユージンと対峙していた。

なぜ、こんなことになったのか、珠生は自分の不運を呪っていた。



       


 ラディスラスが最後の確認をしにバルア卿の船に乗り移った時、珠生は食堂に残っていた。
ユージンもラシェルに引かれるようにしてそのまま出て行き、その場には珠生と瑛生と、ミシュア、アズハル、ジェイが残った。
 「・・・・・」
 珠生はちらっとミシュアに視線を向けた。
先程まではきちんと自分の足で立っていたが、今は気を張って疲れたのか崩れるように椅子に座っており、その身体をアズハルが
支えている。
 子供ではないのだから、友達や、あるいは大好きな人が取られたからといって、自分が腹を立てるのもおかしいとは分かっている
が、それでも何時も珠生に微笑を向けてくれていたアズハルの関心がミシュアだけに向けられているのは少し面白くは無かった。
 健康な自分の身体が恨めしい・・・・・などとは思わない。
それでも、なんだか居場所が無いような気がして、珠生は椅子から立ち上がった。
 「タマ?」
 アズハルが直ぐに声を掛けてくれた。
 「どこに行くんです?」
 「え〜と、ちょっと」
 「タマキ、上はまだ騒がしいだろうから大人しくここにいなさい」
父もそう言うが、珠生は少し考えて言った。
 「おしっこ!もれるから、行くね!その後、ラディとこ行くから!」
この世界でトイレに行くと言っても通じないので、こういったあからさまな表現になってしまうが、当初は気にしていたそれも今ではほ
とんど躊躇いも無く口に出せる。
いや、本来はそんなことを口にはしないものかもしれないが、(どうも自分の言動を心配する大人達に)自分の行動を誤魔化すに
は、これは都合のいい言い訳になった。
 「じゃあね」

 珠生はそのまま食堂を出ると甲板に上がる。
どうやら奪ったものは全て移しかえ終えたらしく、今くっ付いていた2つの船が離れようとしていた。
 『海賊かあ〜』
テレビや映画で見たことが、現実で目の前で行われていることに妙に感動してしまう。
もちろん人の物を取る事はいいことではないが、生きる為の手段としてこの方法を選んだラディスラスを口だけで非難する事は出
来なかった。
その証拠に、幼い頃から悪いことをした珠生をあれほどに叱っていた父も、ラディスラスが海賊だと知っても嫌悪感を抱いた様子は
ない。
父がこの国の常識をきちんと踏まえてくれていることに珠生も安堵していた。
 『・・・・・どこ行こうかなあ』
 今は甲板上もバタバタしていて落ち着く場所が無い。
とりあえずと、珠生は甲板の端にある、予備の帆を仕舞い込んでいる小さな物置(小さいといっても、大人が3人は入れる大きさ
だ)に入り込み、そのまま目を閉じてしまった。

 「・・・・・で、ちょっと手を貸して欲しいって」
 「今か?」
 どのくらい経ったか、それは10分ほどだったかもしれないし、一時間ぐらい経ったかもしれないが、珠生は直ぐ傍で聞こえてくる会
話で眠そうな目を開いた。
 「行ってもいいが、こいつをどうするかな」
 「・・・・・」
(ジェイ?)
物置の直ぐ外で交わされている会話。どうやらジェイが誰かに呼び止められているらしい。
 「仕方ない、一時だけここに入っていてくれ。お頭の許しが無けりゃ縄も解けない」
 「ああ、いいよ」
 「!」
(まずっ)
 物置の扉が開かれると同時に、珠生は予備の帆の影に隠れる。
そのまま誰かが入ってきて・・・・・外から鍵代わりの閂(門の扉が開かないようにする横木)が差し込まれる音がして、足音が遠ざ
かった。


       


 「あれ?」
 ユージンは直ぐに、物置の中にいる珠生に気付いたらしく、面白がっていると直ぐに分かる声が聞こえる。
狭い物置の中、珠生は木の壁にへばり付くようにしてユージンと対峙した。