海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
ラディスラスは甲板を歩いていた乗組員を捕まえて言った。
「タマを見なかったかっ?」
「タマ?いえ、こっちには来てませんけど」
「そうか。見かけたら直ぐに知らせてくれっ」
自分の心配が過保護だというのは分かっているものの、ラディスラスは奇妙な胸騒ぎを打ち消すことが出来なかった。
(まさかとは思うが・・・・・)
あれほどラディスラスが近付くなと言い、珠生自身も近付かないと自ら言ったくらいだ。その言葉を破ることは無いだろうとは思うも
のの、相手は一見優男ながらも食えない相手だ。
(あいつ相手じゃ、タマなんか直ぐに手玉に取られる)
珠生が聞いたら絶対に怒るだろうが、それは誰の目で見ても明らかだろう。
ラディスラスはとにかく早く珠生の姿を確認したくて、甲板を歩こうとして・・・・・ふと足を止めた。
「・・・・・あいつの方を確かめるか」
全く所在の分からない珠生を闇雲に捜すよりも、今乗組員達に監視されているはずのユージンの姿を先に確認した方が心配
の種は無くなるかも知れない。
「おいっ、ルドーはどこだ!」
ラディスラスは傍にいた乗組員に大声で訊ねた。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
(何で笑ってるんだよ、こいつ・・・・・っ)
珠生は手を伸ばせば届くほどに近くに立っているユージンを訝しげに見つめた。
窓など無い物置の中だが、密閉されているというわけではないので漏れてくる外からの光で、直ぐ傍に立っている相手の表情はよ
く分かった。
漫画や絵本の中に出てくる王子様という言葉がぴったりと当てはまるようなユージンの容姿。金髪に薄茶の瞳、バランスの良い
身体と、女ならばうっとりと心が惹かれてもおかしくはないだろう。
だが、あいにく珠生は男で、基本的にというか、男に対してきっぱり全く興味が無い。
だからからか、ユージンがくすっと楽しそうに微笑んでも、何だと気分が下降するが、見惚れる事は絶対になかった。
「タマって、変わった名前だよな」
「タマじゃないもん」
「え?」
「俺のなまえ、タマキだから」
「ターキ?」
「タ・マ・キ!」
「タアキ?」
「・・・・・タマでいい」
(なんでこいつとこんな会話しなきゃなんないんだよ)
真面目に話しているのが馬鹿らしくなった珠生は、グイッと強引にユージンの身体を隅の方へと押すと、そのまま外に出ようとし
た。
「鍵、掛けられてるけど?」
「あ・・・・・」
「もっとゆっくり話さないか?タマ」
「・・・・・」
壁に背を預け、腕を組んでこちらを見ている姿は様になっているが、珠生は心の中でカッコつけるなとブツブツ文句を言う。
とにかく、ユージンの言葉を聞かないように、珠生はふんっと顔を逸らした。
「タマは、ラディスラス・アーディンの何?」
「・・・・・」
「とてもただの乗組員には見えないし、かといって・・・・・夜の相手にも見えない」
「・・・・・っ!スケベなこと言うな!」
(お、俺と、ラディは別に・・・・・っ)
夜の相手などとんでもない。ラディスラスと身体を重ねたのはたった1回で、もちろん、恋人同士でもなんでもない。
ただ、全く関係ないとすっぱり切り捨てることも出来無いのが自分でも分からなくて、珠生はそのイライラをユージンにぶつけるように
言った。
「俺とラディのこと、関係ない!あんた、ホントにおーじっ?」
「ミシュアがそう言ってくれたろう?」
「・・・・・」
確かにミシュアがラディスラス達に嘘をつく必要はないが、珠生としてはこのユージンのことに関してだけでも嘘だと言って欲しかっ
た。面白くないとはいえ、仮にも王子に手をあげたり出来ないからだ。
(・・・・・まあ、多分俺の方が負けるのは確かかも知れないけど・・・・・)
「・・・・・ねえ、その瞳、もっと間近で見せてもらえない?」
「え?」
「本当にそれって自分の目?」
ゆっくりとユージンの手が自分の方へと伸ばされてきた。
珠生は思わず身を引こうとしたが、狭い物置の中では下がる距離も知れていて、ユージンの手はあっさりと珠生の顎を捉えた。
「・・・・・はっ、離せ、よ!」
声は相変わらずの強気だが、その目が怯えているのがユージンには分かっただろうか。
自分よりも大柄の男に上から覗き込まれるのはとても怖くて、珠生は思わずギュッと目を閉じて息をのんだ。
「お頭?」
ラディスラスが自分を呼んでいると聞いたルドーが、船底から甲板まで上がってきた。
先程バルア卿の船と密接していた時、ほんの僅かだがエイバル号の側面に傷が付いてしまったのだ。それは水漏れをしてしまうほ
どの深い傷ではないものの、用心の為にと甲板長補佐のルドーが点検する為に呼ばれていた。
「ルドー!あの男はどうしたっ!」
ルドーの姿を見るなりそう叫んだラディスラスに、いったい何のことだか分からないままのルドーは途惑ったように言った。
「あいつは、予備の帆を置いている物置に・・・・・お頭っ?」
ラディスラスはそれを聞くなり走り出した。
物置に閉じ込めているのなら簡単に出てくることはないだろうが、それでもこの目で確認しなければ気がすまない。
「・・・・・っ」
(あれか!)
普段のラディスラスならばほとんど寄り付かない物置。扉の閂がしっかりとしてあるのは直ぐに分かった。
少し安心したラディスラスは溜め息をつきかけたが・・・・・。
「うわあっ!」
「タマッ?」
中から、捜しているはずの珠生の慌てたような声が聞こえた。
この中にはユージンが閉じ込められているはずなのに、中から聞こえてきたのは珠生の声。嫌な予感は一瞬のうちに膨れ上がって
しまい、ラディスラスは直ぐにドアを開いた。
「!」
そこには、ルドーが言った通りユージンがいた。
そして、声を上げた珠生の姿も・・・・・あった。
「何をしているっ!」
こんな狭い場所でいったい何をしていたのか・・・・・ラディスラスの目に映ったのは、王子らしからぬ逞しい身体のユージンが、自分
の身体で珠生の身体を壁際に押しつけ、片方の腕を掴み、空いた手で珠生の顎を掴んで今にも口付けしそうなほど顔を寄せ
た姿だった。
「・・・・・!」
一瞬だった。
ラディスラスはとっさに珠生の腕を掴んで外に引き出すと、もう一つの手で腰に携えていた剣を鞘から抜いてユージンの喉元に突き
つけた。
海賊とはいえ、卑怯なことの嫌いなラディスラスが、丸腰の相手にこんな風に剣を突きつけるのは初めてのことだった。
「・・・・・」
「・・・・・」
ユージンはじっとラディスラスを見つめているが、その目の中に殺されることへの恐怖心は欠片も見えない。
「それ、面白いな。もう少し遊びたかったんだけど」
そして、まるでラディスラスを挑発するように楽しそうに言ってのける。
(こいつ・・・・・ワザとか?)
ユージンがいったいどんな思惑を持っているのか、さすがのラディスラスにも読みきれない。
ただ、ラディスラスと同じ種類のものか、それともただ単に軽い気持ちなのか、どちらか言い切れないものの、ユージンが珠生に興
味を持ったらしい事は確かなような気がした。
「意外と、気が短いんだな、ラディスラス・アーディン」
「・・・・・そっちこそ、王子らしからぬ手の早さだ」
お互いに視線を逸らさないまま、ラディスラスとユージンはしばらくそのままの格好で動かなかった。
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