海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
(なにこいつ、なにこいつ、何なんだよ~~~!)
ラディスラスの背中に隠れながら、珠生は何度も心の中でユージンを罵倒した。
黒い瞳が見たいと顔を近付けてきたあの男は、こともあろうにベタベタと身体にも触ってきた。いや、もしかしたらそう思うのは珠生
の気のせいなのかもしれないが、あの手はどうも変な意図があったような気がする。
(ラディ以外に俺に変な気起こす人間がいるなんて信じられないって~)
一度ラディスラスと最後までしただけに、珠生の頭の中には妙な知識が渦巻いていた。
今までは全く気にしていなかった同性との接触も、その先があると知ってからは別の意味を持つようになっている。同性に全く興味
の無い珠生には迷惑以外にはないが。
「タマに何をした?」
ラディスラスが、珠生には言ったことがないような低い声でユージンを問い詰める。
言われていない珠生の方が背筋がビクッとしてしまうほどに厳しい声だったが、ユージンは少しも気にしていないようにのんびりとし
た口調で答えた。
「何も」
「・・・・・」
「ただ、その目を見せて欲しいって言っただけだ。そうだよな?タマ」
「・・・・・っ」
(お前がタマって言うな~!)
目一杯罵倒するが、もちろん口から漏れることはない。
人当たりのよい雰囲気とは別に、なぜか底知れないものをユージンに感じている珠生は、ムッと口を引き結んでラディスラスの背
中からじとっとユージンを睨むだけだった。
「・・・・・とてもそうは見えないが」
「でも、ここで俺を海に放り投げるわけにはいかないだろう?俺が何の為にこの船に呼ばれたかは分からないが、今のあんた達に
俺の存在は絶対に必要なはずだ・・・・・違うか?」
「・・・・・そうだな」
「ラ、ラディ」
「タマ、お前へのお仕置きは後だ。ルドー!」
「・・・・・」
(お、お仕置きって、俺何もして無いじゃん・・・・・っ)
「お頭」
ユージンから逃げることばかり考えていた珠生は、そこで初めてルドーがラディスラスの後ろに立っていることに気がついた。
「鍵が掛かる部屋にこいつを入れておけ。世話はきちんとしても、無駄口は一切きくな、いいな?」
「はい」
「俺、軟禁されるわけ?」
「海に放り出されるよりいいだろ」
「・・・・・まあね」
ルドーにユージンを引き渡したラディスラスはほっと息をついたように見えた。ラディスラスもあの男が苦手なのかと思えば、珠生も自
分だけではないのだと気が楽だが・・・・・。
「タマ」
しかし、安堵するのは少し早かったらしい。
珠生は上からじっと自分の顔を見下ろすラディスラスに強張った笑みを向けた。
「な、何?」
「可愛い顔をしても無駄だ、タマ。お前には少し俺の言葉の重さを知ってもらわないとな」
「え?」
(俺、何か悪いことした?)
ユージンの腕の中にいる珠生を見た時、ラディスラスは自分の心臓が鷲掴みにされたような衝撃を感じた。
多分・・・・・この感情は嫉妬だろう。自分の物に触れられたことに対する怒りはもちろんユージンに対してより強く感じるが、それと
同時にあまりに無防備な珠生に対しても怒りに近い感情が向いてしまった。
(近づくなと言ったのに・・・・・っ)
今回の事はあくまでも偶然による事故のようなものだが、それを引き寄せてしまう珠生も悪い・・・・・ラディスラスは理不尽とは思
いながらも、こみ上げる感情を抑え切れなかった。
「ラ、ラディ、どうしたんだよっ?」
腕を掴んで強引に自分の部屋に連れて行くと、珠生は明らかに怯えたような目で自分を見ていた。
「お、俺、ごはん!ごはん食べていない!」
「・・・・・こんな時に腹が減ってるのか?」
「へ、減ってる!」
「・・・・・」
(怯えているのが丸分かりなのに・・・・・)
多分、ラディスラスが怒っていることを肌で感じているのだろうが、それでも言葉だけは精一杯強気なのが珠生らしかった。本当は
ここで笑ってやれば珠生も少しは落ち着くかもしれないが、あいにくラディスラスにその余裕はない。
それでも、珠生を怖がらせることが目的ではないラディスラスは、一度はあ~と溜め息をつくと、そのまま強引に珠生を自分の寝
台の上に座らせた。
「な、なに?」
見る間に、珠生の身体が強張っていくのが分かる。
(このまま押し倒すと思ってるのか・・・・・)
そこまで獣ではないつもりのラディスラスは、本当はそのまま華奢な首筋に歯を立てたい衝動を何とか抑え、座っている珠生の前
に片膝を着いてその顔を覗き込んだ。
「タマ、俺が何を怒っているのか分かるか?」
「・・・・・俺が、あいつ・・・・・と、会った事」
「そうだ」
「でもっ、さっきの事は俺が自分からしたわけじゃ・・・・・!」
「そうだな。今回の事はタマは悪くないのかもしれない。でも、俺が面白くないと思っていることも、分かるよな?」
「・・・・・」
珠生は唇をムッと引き結んでいたが、それでも渋々こくんと頷いた。
今回の事はあくまでも偶然だが、結果的にラディスラスとの約束を破ってしまった事は認めているのだろう。
少しは自分の教育の成果も出ているようだが、それでも先程自分が感じた面白くない思いを全て払拭出来るまでは行かず、ラ
ディスラスはそっと珠生の頬に手を触れた。
「・・・・・っ」
「こうして、俺以外の男がお前に触れても、お前は全然構わないと言うのか?」
「ラディ・・・・・」
「タマ」
そのまま、ラディスラスは下から珠生の唇を奪った。
反射的に珠生は身体を引こうとしたが、ラディスラスは両腕を掴んだまま離さず、逃げられないと思ったのか珠生はギュッと唇を硬
く引き結んでいる。
子供っぽい反抗にラディスラスは僅かに笑い、そのままペロッと珠生の唇を舐めた。
「!」
驚いた珠生が何かを言おうと口を開きかけると、ラディスラスはその隙に口腔の中に舌を侵入させる。
縮こまった舌に強引に自分の舌を絡ませ、ラディスラスは久しぶりにじっくり珠生の唇を味わった。
「ふ・・・・・んっ」
息の仕方が分からないのか、苦しそうに喘ぐ珠生。
普段の元気がいい珠生と、今自分の目の前にいて苦しげに眉を潜める珠生と。同じ人物とは思えないほどの変わりようだ。
「・・・・・ぁっ」
ようやく唇を離すと、珠生は泣きそうな顔で自分を睨んでいた。
理不尽な言い掛かりと、今の口付けと、珠生にとっては不本意なことばかりだったのだろうということが、その表情からもよく分かっ
た。
「タマ」
「・・・・・ラディ、嫌い。どうして、こんなことするんだよ」
「お前が好きだから」
「す、好きって、だって・・・・・」
「ああ、そんな言葉だけじゃ足りないな。俺はお前を愛しているし、お前を欲しいと思っている。他の男が少しでもお前に触れる
だけで頭にくるくらいな」
「・・・・・そんなの・・・・・」
「今度、また同じようなことがあったら、今度は有無を言わさずお前を抱いてしまうだろう。そんなの・・・・・お前も嫌だろう?」
ブンブンと激しく頷く様を見るとさすがに虚しくなってしまうが、今の怯えた状態の珠生にこんな真似をした自分を警戒するのは仕
方ない気もした。
そこまで考え、ラディスラスは苦笑を漏らした。
「俺が暴走しない為にも、お前は俺以外の男に気をつけろ、いいな?」
「・・・・・」
「・・・・・また、同じようなことをしていいのか?」
「わ、分かった、気をつける!」
「よし」
今はとりあえずここまでが限界だろう。
珠生もこれまで以上に周りを警戒するだろうし(それでもかなり粗がありそうだが)、後はもう自分がもっと気をつけてやることが一
番早いとラディスラスは改めて思った。
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