重なる縁
14
「次は貴士なんて置いてきて、ユウと2人で遊びにおいで」
よほど真琴が気に入ったのか、別れ際菱沼はそう言って真琴を抱きしめた。
そうでなくても昼過ぎまで無理に引き止められていた海藤は、呆れたように溜め息をつきながら直ぐ真琴から引き離し、菱
沼はしばらく涼子の小言を浴びせられていたが、懲りない性格なのか、車が出発する時にはニコニコ笑いながら手を振って
いた。
「どうだった?」
見送る菱沼達の姿が見えなくなるまで後ろを向いて手を振っていた真琴は、海藤の言葉にシートに座り直して笑った。
「楽しかったです、凄く!」
「そうか」
「ここに来るまでは少し不安だったけど、伯父さんや涼子さん、2人とも凄くいい人で、会えて良かったです」
涼子には厳しい事も言われたが、真琴はかえってありがたいと思った。誰も自分が悪者にはなりたくないのに、あえて苦言
を言ってくれた涼子の気持ちが嬉しかったからだ。
「また、来たいです」
「正月でも来るか」
「はい」
素直に頷いた真琴は、ふと気が付いたように窓の外の風景を見ながら聞いてみた。
「あの、温泉ってどこに行くんですか?」
「箱根だ」
「は、箱根?遠くないですか?」
「懇意にしている宿がある。1日三組しか客を取らないし、全室離れだ。人の目を気にしなくていいぞ」
「・・・・・懇意・・・・・」
「ん?」
そう呟いて眉を顰める真琴を見る海藤に、楽しそうな声が前から掛かった。
「やだあ、社長〜。マコちゃんは社長が誰と行ったかって気になってるんですよお〜」
「あ、綾辻さん!」
助手席に座っている綾辻が笑いながら言うのを、真琴は慌てて身を乗り出して止めた。
「俺、そんなこと思ってませんから!」
(綾辻さんってば〜・・・・・っ)
残務処理(祝い金の計算や経費等の計算)の為に、後から合流する倉橋に代わって車に乗り込んだ綾辻を恨めしそう
に見つめながら言うが、海藤は直ぐに真琴の顔を見つめながら言った。
「そうなのか?」
そうだと素直に認めるのは恥ずかしいが、違うと嘘はつけない。
「う〜・・・・・」
唸る真琴に、海藤は笑みを浮かべて肩を抱き寄せた。
「女とは行ったことがない。組関係の、仕事の相手だ」
「・・・・・ごめんなさい」
「謝る必要はないだろ。お前は聞く権利があるからな」
暗に特別だと言われて、真琴は顔を赤くした。
数時間のドライブの後、夕方には宿に着くことが出来た。
「静かだろ」
「静かっていうか・・・・・」
手入れをされた広い庭園を抜けた先に見えた重厚で立派な玄関に、真琴は思わずポカンと口を開けてしまった。
まるで旅行番組で見るような、いかにも「特別な宿」に、どうしても気後れしてしまうが、海藤はそんな真琴の背中を軽く押
して、純和風の広々とした玄関に足を踏み入れた。
(ひ、広い・・・・・)
木の香りがするような広い玄関に入るとすぐ、
「海藤様、いらっしゃいませ」
50代だろうか、上品な和服を纏った女将らしい女が現われ、海藤に向かって深々と頭を下げた。
「世話になる」
「はい、お部屋はご用意出来ております。お食事はいかがされますか?」
「綾辻、倉橋は何時頃着く?」
「7時には」
「じゃあ、7時半だ」
「かしこまりました」
普通部屋に案内されてから交わす会話をこの場で終わらせ、海藤は離れに続く引戸を開けた女将を置いて足を進めた。
「か、海藤さん、いいんですか?」
後ろを気にして振り返る真琴に、海藤は説明する。
「ここは必要以上に客と接触しないようになっている。常連客がほとんどだし、どこに何があるとの説明はいらないしな」
「へえ」
「それに、今日は貸切だ。他の客と顔を合わすことは絶対にない」
「え?じゃあ、あとの2部屋は・・・・・」
「私と倉橋が泊まるわ。こ〜んな上等な広い部屋に1人きりじゃつまらないから、私の部屋に弘中泊めましょ」
少し離れて歩いていた綾辻がそう言うと、真琴はもうそれ以上言葉が出なかった。
「どうだ?」
「・・・・・立派で・・・・・でも、落ち着く感じ、です」
海藤が選んだのは当然一番広い部屋で、景色もいい。
竹林の中に点在するように建てられた部屋は距離も十分あるし、何より竹が風に揺らされさざめく音が、余計な雑音を部
屋に入れなかった。
部屋の造り自体は立派なものの、老舗ということでどこか古めかしく懐かしい空気があり、緊張していた真琴も慣れてきた
のか、窓から外を眺めたり、1つの客室に2つある立派な風呂を覗きに行って歓声をあげたりと、普段とは違う環境に気分
が高揚してきたようだった。
「凄いですよねえ、あの露天風呂!10人位は入れるんじゃないかなあ」
自慢の露天風呂は真琴の言っているように広く、そこから眺める夜の竹林はライトアップされて幻想的になる。
何時もはむさ苦しい仕事相手と来ている海藤は、子供のようにはしゃいでいる真琴の姿に思わず笑みを誘われた。
「他の2部屋はどういう造りなんですか?」
「部屋は似たり寄ったりだが、露天風呂はそれぞれ違うな」
海藤が思わずそう言った途端、
「見せてもらってきます!」
「真琴っ?」
止める間もなく飛び出して行く真琴に、海藤はこのまま一緒に風呂にと思っていた思惑を破られてしまい、手持ち無沙汰
になった手で髪をかきあげた後眼鏡を外した。
「・・・・・言う順番を間違えたか」
自覚はしていなかったが、どうやら自分自身もこの突然の余暇を楽しんでいるらしい。
楽しみは食事の後にじっくりとと思い直すと、海藤は真琴の後を追って部屋から出た。
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