眷恋の闇




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                                                                     『』は中国語です。






 翌日、海藤は綾辻と倉橋に真琴に全てを説明し、その上で共に生きると言ってもらえたということを伝えた。
2人は明らかにホッとした表情になり、良かったですねと短い言葉を伝えてくれる。真琴のことを信じていたのであろう彼らも、この世
界で今以上に重要なポジションに立つ海藤を、一大学生である真琴が受け入れるかどうかは疑問だったのだろう。
 「じゃあ、就任関係の細かなことは克己に任せて、後はジュウのことですよね?」
 「それが一番難問だな」
 海藤は溜め息をついた。
自分に対して直接攻撃されるのならば幾通りもの対処の方法があるが、標的とされているのは一般人である真琴で、さらにその
目的は本人自身というのが厄介だ。
 「都内のホテルにはいないんだな?」
 「ええ。ある程度のグレードの部屋にはそれらしい宿泊者はいません。幾らジュウやウォンが日本語が話せるといっても、その周り
までは、ねえ」
それなりの人材を集めたとしても、微妙なニュアンスの違いは隠しようが無いはずだ。
 「こっちの組織の人間を使うっていうのも考えられますけど、こんなごくプライベートな問題にあまり人材は使わないんじゃないかっ
て思うんですけど」
 「そうだな」
 「ただ、今度は彼も本気でマコちゃんを連れて行こうと思っているはずだし・・・・・あ、マコちゃんの実家と、親しいお友達のトコは用
心のため人をつけていますから」
 綾辻の報告に海藤は頷いた。
真琴の前ではまるで人が違うほどに穏やかで物静かな顔を見せているジュウだが、その本性は獰猛で冷酷な香港マフィアのトップ
だ。目的のためには手段は選ばないだろうし、現に先日は真琴のバイト先の人間だった古河のもとに現れた。
(絶対に、手出しはさせない)
 真琴はもちろん、自分達の関係に目を瞑ってくれている真琴の家族にも、掠り傷一つつけさせない。
 「どう、動くかだな」
 「社長は動けないでしょう?」
 「理事の就任のことならば心配ない・・・・・いや、こっちが気になって仕方が無いんだ」
 「社長・・・・・」
真琴との磐石な生活のために引き受けた今回の役職なのに、当の真琴の危機に手をこまねいていることなどは出来ない。
 「悪いが、綾辻、ジュウの居場所を大至急掴んでくれ」
 「はい。今はビジネスホテルにラブホテルまで、宿泊出来る状況の場所は探っています。ただ、東京はやはり広いので、1、2日は
掛かってしまいそうですけど」
 「・・・・・」
 綾辻が手を抜いているとは思わないが、こうしてただ時間が過ぎていくのを待っているだけということに、海藤は焦燥感を感じてい
た。




 「今日は出掛けられないんですか?」
 不審な車につけられた翌日は、1日、マンションから出なかった。
恐怖からというよりは、付いてくれている安徳達に迷惑を掛けたくないからという思いだったが、そんな真琴の気持ちを分かっている
のか、安徳の方がそう声を掛けてきてくれた。
 「えっと・・・・・」
 「大学の方は?」
 「授業は、ないです」
 「本当に?」
重ねて聞かれ、真琴は困ってしまった。
 「・・・・・」
 実は、今日は真琴が慕っている教授の講義があった。
外部から月に2回だけ訪れる初老の教授の授業はとても面白く、真琴は今まで一度も休んだことは無い。しかし・・・・・。
(どうしても出なくちゃいけない講義じゃないし・・・・・)
 卒業に必要な単位は既に取っているので、数回休んでも大丈夫だというのは事実だった。
 「真琴さん」
 「はい」
 「確かに、勝手なことをされるとこちらも困りますが、それでも私達はあなたに不自由な生活を強いるために側にいるわけではあり
ません」
 「安徳さん・・・・・」
 「あなたが普通の生活を送れるようにすることが、私達に課せられた任務です」
安徳の言葉は素直に嬉しかったが、本当にいいのだろうかという思いは残る。躊躇う真琴に、今度は城内が笑いながら声を掛け
てきた。
 「何かあるっていうんなら、ここにいたって同じことですよ」
 「城内」
 何をいうんだと安徳がきつい眼差しを向けたが、城内の言葉はそこで止まらなかった。
 「相手が相手ですから、どんな手段を使ってくるかは分からない。だから、真琴さん。どうせ同じなら怯えて引きこもるんではなく、
堂々と外に出て行きましょうよ」
 「・・・・・な、んか・・・・・」
今の城内の言葉を聞いていると、何だか綾辻が側にいるような錯覚を覚えた。2人共、元々は綾辻の下についていると聞いてい
るが、側にいれば考えや言い方も似てくるのだろうか。
 「ね?」
首を傾げる仕草も綾辻にそっくりだと思いながら、真琴は2人の心遣いに甘えることにした。




 「・・・・・分かりました」
 携帯を切った安徳に、城内が眼差しで問い掛けてきた。
今、真琴は講義を受けていて、自分達は廊下で待機中だ。教室の中にも手の者は何人か潜り込んでおり、定期的にメールで
様子を伝えてきていた。
 しかし、安徳が今話していたのは綾辻だ。何か現状に変化があったのだろうかと身構えていると、安徳はジュウの潜伏先が判明
したらしいと言った。
 「だが、それは今朝までいた場所らしい。ビジネスホテルのツインの部屋に泊まっていたようだ」
 「場所は?」
 「新宿」
 「新宿・・・・・」
 今朝その場所にいたことが確かならば、余裕でこの大学にまで来れるだろう。
写真ではなく、鮮明な似顔絵でジュウとウォンの顔を確認していた城内は、素早く窓の外から敷地内を見た。
 「応援を送ってくるそうだ」
 「俺達だけじゃ頼りないって?」
 苦々しい口調の安徳に、返す城内の口調にも嫌味な響きがこもってしまう。信頼されてここにいるはずなのに、自分達だけでは
安心出来ないから誰かを呼ぶのかと。
 普通よりは役に立てると自負しているだけに、そういう判断を下されたという事実を内心で納得出来ないと思っていると、そんな
城内の感情を鎮めるかのように安徳が冷静に答えた。
 「それ以前の問題なんだろう」
 何人人数がいても、目的の人物にとってたいした問題ではない・・・・・そういうことだろうか。
 「大学内で下手に動くことは考えられませんが」
 「相手は、常識では測れない人物だ」
 「・・・・・」
 「今朝までの居所を掴めたということも、もしかしたら向こうのリークかもしれないと。都内にいることをはっきり認識させてから動くか
もしれないから用心しろということだ」
それも、綾辻の指示なのだろう。
城内はまだ綾辻に追いつけない自身に内心苛立つ思いを自覚しながらも、そのアドバイスを実行すべく鋭い眼差しで警戒を強く
した。




 「はあ〜」
(やっぱり、来て良かったなあ)
 尊敬する教授の講義はやはり面白くて、真琴は満足の吐息をついた。ここにこうしてくることを勧めてくれた安徳と城内に本当に
感謝したい。
 「真琴!」
 そんな真琴に、友人の1人が声を掛けてきた。
 「昼、一緒に食わないか?」
 「あ、お昼か」
正確にはまだ少し早いのだが、そういう時間だと改めて気づかされた。
 「ごめん」
 「駄目?」
 「人と待ち合わせしてるから、ごめん」
 仕方ないかと手を振ってくれる友人にもう一度謝ると、鞄を手にして教室を出ようと足を速める。
慌てなくてもいいと言ってくれたものの、講義を受けている自分とは違い、安徳達はただ外で自分のことを待っているだけなのだ。
それが無駄な時間かどうかは自分では言えないものの、真琴はとにかく急がなければと思う。
 「西原」
 そんな真琴に、また声が掛かった。
 「え・・・・・っと、島谷?」
顔は知っているが、あまり親しく話をしない相手だ。テスト期間でもないのにこうして改まって声を掛けてくることも今までに無かった
ことで、真琴はどうしたのだろうと首を傾げる。
 「ちょっと、いい?」
 島谷はいかにも今風といった感じにラフに着崩したジーパンに片手を入れたままこちらを見ていた。
 「ごめん、あんまり時間が無いんだけど・・・・・」
 「これ見て」
そう言って差し出されたのは、ポケットから出したらしい携帯だ。既に開かれたそれには何かが映っている・・・・・どうやら、動画らしい
が。
 「ライブ」
 「え?」
 戸惑ったままそれを受け取ってよく見た真琴は、そこにうつっている者を認識した途端目を見開いた。
 「騒がないでよ?」
ごく普通に話しかけてくる島谷が、何だか不気味で怖くて仕方が無い。
携帯に流れているのは遠目ではあるが安徳と城内の2人に間違いが無く、隠し撮りをしているらしいというのは分かった。
 なぜ2人が島谷の携帯に映っているのだと思う以上に衝撃を受けたのは、時々画面の端に映る何者かの手に握られている刃
物や銃の断片。その対比が、何時でも2人を狙えるのだと言っているように思え、真琴は思わずフラッと足をよろめかせてしまった。
 「ど、どうして・・・・・」
 「このまま俺についてきて」
 「そ、そんなの出来な・・・・・」
 「その言葉、電話の向こうの奴に言ってもいいわけ?」
 「・・・・・っ」
 それが何を示しているのか、さすがに真琴にも分かった。
どうして島谷がと思うよりも、今2人を助けることが出来るのは自分しかいないと思い、真琴はコクッと頷くとさっさと歩き始めた島谷
の後ろを慌てて追い掛けた。




 「どちらに?」
 「ちょ、ちょっと図書室でいる本があるから。直ぐに行くので玄関で待っていてください」

 自分の声は震えていなかっただろうか。
言っている言葉はちゃんと理に適ったものだっただろうか。
 ただ、そんなことを考えている余裕は無くて、真琴は島谷と共に別棟にある図書室に向かった。
(いったい、何をするつもりなんだ・・・・・?)
 「こっち」
高い本棚を縫うように歩く島谷は明確な目的があるようだが、何も知らないまま付いていく真琴は不安で仕方が無い。
自分の言い訳を信じて安徳達がちゃんと待っていてくれるのかというのも気になって何度も足が止まりそうになるが、そのたびに島
谷は無言で促してきた。
 「あ」
 そして、今立っているのは図書準備室。ドアが開かれたそこに恐る恐る足を踏み入れた真琴は、
 「マコ」
 「・・・・・ジュウさん・・・・・」
もしかしてと思っていた本人が目の前に立っているのを見て、ただ呆然とその名前を呼ぶことしか出来なかった。