眷恋の闇
14
『』は中国語です。
安徳から入った連絡に、さすがに綾辻も頬を強張らせた。
動くだろうとは思っていても、こんなに早く、それも前回姿を見せた大学に再びやってくるとは・・・・・。それだけでジュウの押しの強さ
をヒシヒシと感じた。
【どう、しましょうか】
問い掛けてくる安徳の声にも緊張感が漲っている。
考えた時間は僅かだった。
「分かったわ。今から言う場所にくる気があるか聞いて頂戴。OKならきっかり一時間後に到着するように。NOだったら、マコちゃ
んは必ず守って帰して、いいわね?」
それは、安徳の安全は二の次だというようなものなのだが、本人もそれは了承しているらしく短く肯定の言葉を告げて、背後にい
るらしい相手に問い掛けている。
(どう出るかしら)
こちらが場所を指定するということは、100パーセントこちらの手の内だということだ。そこへ、ジュウほどの大物がのこのこ訪れる
ということは普通ならば考えられないのだが。
【了解を得ました。ただし、1人の同行を条件としています】
「1人」
(ウォン、か)
ほぼ、間違いないだろう。いや、大体ジュウが1人で出歩いていると考える方がおかしいので、安徳の目が届かない所には何人
もの部下が身を潜めているのに違いない。
もしも、ここで相手側の要求を却下したとしたら、その潜んでいる者達がいっせいに動き出すという可能性もある。もちろん、それ
はあくまでも可能性として考えているのだが、たいして違わないような気がしていた。
「OK。1人だけと念押しして同行を許して」
【はい】
「マコちゃんは?大丈夫?」
【見た限りでは】
「頼むわよ、アンちゃん」
【分かりました】
外から見た限りでは、真琴は動揺はしていないようだ。
その前からジュウの出現を知り、考えていた分、大きな動揺は無かったと思うが、それでもあの男の持つ底知れない闇を感じて怯
えているはずだ。
「・・・・・」
綾辻は大きな溜め息をついた。
今の自分の判断を海藤に伝え、即座に手配をしなければならない。相手がどういう手段に打って出るのか分からないまま、綾辻
は素早く行動を開始した。
真琴は隣に座るジュウをチラッと見た。
その真琴の視線に気づいたジュウは・・・・・ずっと、こちらを見ていたようだが・・・・・目元を緩めて静かな笑みを浮かべてくれる。
こんな様子を見れば、ジュウがマフィアのトップ、それも、かなり冷酷な人物だという噂はとても信じがたいが、海藤や綾辻の話を嘘
だとは思わなかった。
多分、ジュウはかなり極端な二面性を持つ人物なのではないだろうか。自分に見せてくれる穏やかな顔も彼の一部であるし、冷
酷な顔も彼の一部。
しかし、どう理解しようとしても、真琴がジュウと共に香港に行くということは考えられない。ジュウのことを特別な目で見ることは
絶対に、無い。
ジュウが同行を求めたのはやはりウォンで、しかし安徳は、2人が同じ車に乗ることは許さなかった。
すると、
「では、私はマコと一緒に」
と、もっとごねるだろうと思われたジュウはそれを条件にしてきて、真琴は安徳が断る前に自分から受け入れるために頷いた。
ジュウとウォンが同席することを断るのならば、こちらもそれなりの条件をのまなければならず、それが自分との同席ならば受け入
れなければと思った。
2人きりではなく、そこに安徳がいてくれるということも随分と心強く思い、真琴は緊張しながら真っ直ぐ前を向いていたが。
「マコ」
車が走り出して間もなく、ジュウが穏やかに話し掛けてきた。
「・・・・・え?」
「来年、大学は卒業だな?」
「あ、はい」
いきなり出てきた言葉に、真琴は焦って頷いた。自分のことは全て調べられていてもおかしくないし、その上で来年の卒業のこと
も分かっているのだろう。
「どうするつもりだ?まさかそのまま、カイドーの庇護下で身動きせず過ごすつもりか?」
「・・・・・っ」
痛い、言葉だ。
「マコ、お前は力が無い人間ではない」
「ジュ、ジュウさ」
「カイドーの腕の中から飛び立たないか」
それは、どういう意味だろうか。海藤を頼るのではなく、1人の人間として自立しろという意味か、海藤のもとを離れて生活してみ
ないかということか。
(別れるんじゃ、なく?)
進学問題で悩んでいた真琴にとって、ジュウの言葉はとても大きく響いてくる。膝の上に置いた手にギュッと力を込めると、その
手に長く、白いジュウの手が重なってきた。
「私が手伝おう」
「・・・・・」
「お前が、1人で立つことが出来るよう、どんなサポートでもしてやる」
「お、俺は」
「真琴さん、この方の言葉は聞かないように」
不意に聞こえたそれは、揺れる真琴の気持ちをしっかりと繋ぎ止める、力強い響きの言葉だった。
「真琴さん、この方の言葉は聞かないように」
男の言葉に、ジュウはチラッとバックミラーを見た。
部下達も恐れるほどの冷酷な眼差しだったが、男は目を逸らすことも、強がって吼えることも無く、ただ真琴にいいですねと念を押
している。
(・・・・・厄介な)
どうやら、海藤の元には有能な部下が多いようだ。ジュウの名前に恐れることもなく、堂々と対応していることにも感心はするもの
の、せっかくの真琴との会話を邪魔したことは面白くない。
「失礼ですが、ロンタウ、会長不在の時に彼を追い詰めるのは止めていただけませんか」
「私はただ提案しただけだ」
「・・・・・」
「マコにとって何が最良か。本人がどう思うかも重要なことだろう」
自分の言葉に真琴は明らかに反応していた。今の真琴にとって、将来のことというのはごく身近な問題になっているようだ。
慎み深い真琴は守られるだけの安穏な生活を望んではおらず、自立したいと思っていることは明白で、自分ならばそれを手助け
してやれると言えば心が揺れていた。
もちろん、それが恋愛感情からではないと分かっていたが、ジュウにとっては逃したくない真琴の心の変化だ。
「それでも、今ここでそれを言うのはフェアではないと思います」
「・・・・・」
「・・・・・」
「分かった」
ジュウは引いた。ここでこの男と言いあったとしたら、せっかく揺れた真琴の心が再び硬く凍ってしまうかもしれないと思えたからだ。
(どちらにせよ、真琴は私についてくる)
ジュウが真琴を知ったのは運命で、その運命は真琴が永遠に側にいることで完成形になる。
(どんなにカイドーが喚いても、この決定事項に変更は無い)
どこまでいっても、ジュウにとって海藤は敗者だった。
ソファに座り、海藤は膝の上で組んだ手に力を込めたまま、眼差しだけは真っ直ぐにエントラスホールに向けられていた。
ここは海藤が出資している都内のホテルだ。ジュウが躊躇い無く姿を現すことが出来る場所としてここを指定した。
(真琴・・・・・)
「ジュウが大学に現れました。今マコちゃんと共にいます」
綾辻からの報告を聞いた時、海藤は驚きというよりもついにきたかという思いだった。
いずれは姿を現すと思っていた。さすがにそれが警戒をされていると分かっている大学だとは予想外だったが、どうやらジュウの手
の者も大学内には潜んでいたらしい。
安徳が何とか抑えてくれたが、一瞬でも対応が遅れていたらどうなったか・・・・・守ると決めたくせに、肝心な時に側にいることが
出来ない自分が悔しかった。
「・・・・・」
「来ましたね」
側に立っていた綾辻の声に頷いて立ち上がった海藤の目には、既に愛しい者の姿が映っていた。その瞬間から駆け出してその
身体を抱きしめたかったが、辛うじてその思いを抑えたのはジュウの感情を考えたからだ。
「・・・・・っ」
真琴の前ではおとなしい顔を見せているジュウも、場所を変えればたちまちマフィアのトップの顔に変わる。無駄な争いを出来る
だけ避けるために、海藤は爪が食い込むほどに強く拳を握り締めながら、ゆっくりと2人に近付いた。
「海藤さんっ」
「真琴」
自分の姿に気付いた真琴は、明らかに安堵した様子だった。危険は感じなかったかも知れないが、恐怖まで押さえ込むことは
出来なかった様子に、海藤は安心させるために口元に笑みを浮かべて頷いて見せた。
そして、改めてジュウに向かい合う。ジュウも、その少し後ろを城内と共に歩いてきたウォンもごく普通のスーツ姿だったが、どこか
異国の匂いを感じさせる容貌までは隠せない。
「まさか、こんな形で再び会うとは思いませんでした」
「そうか?私は遅過ぎるくらいだと思ったが」
「・・・・・」
「・・・・・」
ジュウの口元には笑みが浮かんでいるが、その目元は全く笑っていない。海藤は用心深くその姿を見た後、素早くロビーにいる
者達に視線を走らせた。
「・・・・・」
このホテルを指定したのはこちら側だが、マフィアのトップであるジュウが何の手立ても無く敵側の懐に入るということは考えられな
い。
この場所にも、一般の利用者と変わらないような顔をしてジュウ側の人間がいるということを考えていた方がいいだろう。
「・・・・・」
「・・・・・」
海藤が綾辻を見ると、綾辻は微かに頷いてさらに視線を動かす。
ロビーだけでなく、各階にも人間を手配している。海藤はジュウに言った。
「上の階に」
「分かった」
「真琴、お前は・・・・・」
「お、俺も、一緒に行っちゃいけませんか?」
どこか、焦ったように言う真琴の顔をじっと見つめた海藤は、その表情の中に恐怖以外の色があるのを見て取り、無意識のうちに
手を伸ばして肩を抱き寄せる。
「どうした?」
「ど、どうもしない、です」
「・・・・・」
(何かあったな)
このホテルに来るまでの距離、真琴はジュウと共にいた。その間、何かを言われたということは考えられて、海藤は口の中で舌を
打つ。
本当ならジュウとの話し合いの前に真琴の話をゆっくり聞きたかったが、今はそれが許される状況ではない。
それならば、せめてこの手を繋いでおきたいと思った海藤は、
「行こうか」
しっかりと真琴の手を握り締めて、ゆっくりとエレベーターホールへと向かう。
連れ立って歩くその背中をジュウがじっと見つめていたことは気がついていたが、海藤は振り向くことはしなかった。
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