眷恋の闇
19
『』は中国語です。
自分が用意したチキンライスに、海藤がふわふわな卵をのせてくれた。
甘くて、トロリとして、なんだか胸の中のつかえまで解けて胃の中に落ちていったような気さえした。
「イチゴ、買ってたんです」
一緒に後片付けをした後、食後のデザートであるイチゴが入ったガラスの器を持ち、真琴はリビングへと移動する。
「美味そうだな」
「甘いって言われました」
海藤にそう答えた真琴はイチゴを一つ口に入れ、その甘酸っぱさに目を閉じて・・・・・フォークを置いた。
「・・・・・あのね、海藤さん。俺、ちゃんと言わなくちゃ駄目だって思って・・・・・」
「・・・・・」
海藤が帰ってくるまで、真琴はずっと考えていた。
側で守ってくれていた安徳や城内はそんな真琴に気を遣ってくれて黙っていたので、まるで1人しかいないかもしれないように感じる
空間の中、自分にとって一番何が大切なのか、どうしたいのかを思い・・・・・そこで、見付かった答えはやはり一つだった。
「俺、海藤さんが・・・・・好きです」
「真琴」
「他の人を何て考えられないし、ずっと一緒にいたいって思うのも、海藤さんだけです。色々考えても、結局これだけは変わらなく
て」
何度も海藤自身に伝えたと思う言葉だが、やはり改めて言うのは恥ずかしいし、あれだけ挙動不審な態度を取ってしまった自
分に対して海藤がどう思っているのかも気になるが、それでもそれが誤魔化しようの無い気持ちだった。
「海藤さんに優しくされるのは嬉しいし、俺もつい頼っちゃって・・・・・。でも、やっぱりそれじゃ駄目なんだって思ってるんです。海藤
さんと一緒にいたいっていう気持ちと、ずっと甘えるということって違うんじゃないかって」
思ったことをそのまま口にしているので、真琴自身支離滅裂な説明だろうと思うが、それでも海藤は黙って自分が話すのを聞い
てくれている。
それが後押しをしてくれているように感じて、真琴は何とか考えをまとめようと思いながら言葉を押し出した。
「俺は、海藤さんとこ、恋人同士だって思ってるけど、でも、男だし・・・・・守られてばかりは嫌なんです」
「・・・・・」
「海藤さんが俺のことを思って、ゆっくり進路を考えたらどうかって言ってくれるの、嬉しいくせに戸惑っちゃって・・・・・ごめんなさい、
俺、すごく勝手なこと言ってる」
真琴は俯くと、逃げるように赤いイチゴをじっと見つめてしまった。
海藤は溜め息をついた。
すると、真琴の肩が僅かに震えたのが目に見えたが、これは真琴を非難するための溜め息ではない。自分の行動の不器用さに呆
れての行動だった。
(真琴が初めてだから、か)
愛する対象として初めて意識したのが真琴で、海藤は自分自身の全ての愛情を注いでいるつもりだったが、慣れないためかブ
レーキが効かず、真琴にとってそれが重荷になってしまったのかもしれない。
「俺は、生まれた時から道が決まっていた」
「・・・・・」
「両親も、伯父も、どっぷりとこの世界の人間だったし、周りは俺がこの世界に入ることを疑う者はいなかった」
それは組織の人間だけではなく、海藤が接してきた僅かな一般人達も特別な目で海藤のことを見ていた。
「俺自身、それが嫌だと思わなかったし・・・・・いや、どこかでどうでもいいと予め全てを捨てていたのかもしれないが・・・・・。だから
じゃないが、お前には、色んな可能性があるならじっくりと考えて欲しいと思ってしまった」
真琴の手が、躊躇いがちに自分の膝の上に置いていた手に重なる。
そこから真琴の優しい気遣いを感じ、海藤は大丈夫だと言うようにポンポンとその手を叩いた。
「やり直しが効かないとは言わないが、それでも一番初めに就く仕事はそれなりの思いがないとやっていけない。真琴、俺はお前
が失敗するのを怖がっていたわけじゃないんだ。そうだな・・・・・少しでも迷いが長ければ、それだけお前は俺の腕の中にいると思っ
たのかもしれない。酷い男だな」
「違う!」
「真琴」
自嘲の笑みを零した海藤に、真琴の鋭い否定の声が響いた。
「酷く無い!」
そして、ぶつかるように腕にしがみ付いてくる。
「・・・・・」
「俺、海藤さんがそんな風に思っていたとか知らなくって・・・・・っ」
「真琴」
「ただ、うじうじしていた俺を甘やかしてくれていたとしか思ってなかった!海藤さんにとっても、俺の就職、大事な問題だって思って
くれていたのに・・・・・っ」
「・・・・・」
(それは、違うぞ、真琴)
今の自分勝手な思いを真琴は好意的に捉えてくれているが、冷静に聞けば単なるエゴでしかない。自分がそうしたいと思ったか
ら、真琴が決断出来ないように甘やかしていただけなのだ。
「真琴、俺は・・・・・」
海藤が自身の情けなさを吐露する前に、真琴が下から唇を合わせてきた。
クチュ
そのまま舌が口の中に入ってきて、海藤もそれに自身の舌を絡める。
(・・・・・俺を、甘やかすな、真琴)
こんな風に真琴が全てを受け入れてくれるからこそ、海藤の欲はどんどん増えていくのだ。
そう思いながら、海藤は真琴の身体を抱え直し、今度は自分からキスを深めて行く。今は言葉より、こうしてお互いの身体の一部
を強く感じていたかった。
「ん・・・・・っ」
淡々とした言葉の中に、真琴は海藤の中の闇の部分を感じてしまった。
出会ってから今まで、真琴に対しては何時も優しく、しっかりと支えてくれた海藤だったが、その海藤の中にも弱い部分があったの
だと、今痛烈に感じた。
「そうだな・・・・・少しでも迷いが長ければ、それだけお前は俺の腕の中にいると思ったのかもしれない。酷い男だな」
海藤にこんなことを言わせたくなかった。
いや、彼自身が言う前に、真琴が気づいていなければならなかったことだった。
(ごめんなさい・・・・・っ!)
自分のことばかり考え、海藤の心のうちまでよく考えなかった自分こそが情けないし、本当は謝りたいが、きっと海藤は真琴が謝
罪することを望んではいないだろう。
今はただ、海藤をこうして抱きしめていたい。真琴はそう思い、海藤との深いキスを貪った。
「・・・・・」
「・・・・・」
どのくらい経ったのか。
何時の間にかキスは終わっていたが、真琴は海藤の胸に抱かれたまま、しばらくお互い無言のままでいた。
「温くなったかもな」
「・・・・・え?」
「イチゴ」
「・・・・・あ、イチゴ」
海藤に言われ、真琴はテーブルの上に置かれたまま忘れていたイチゴに視線を向ける。まだ艶々と輝いて美味しそうに見えるも
のの、海藤がそう言うくらい長い間キスをしていたのだろうか。
「・・・・・」
真琴が海藤を見上げると、海藤の目は先ほどまでの暗さは無くて優しく笑んでいる。自分も落ち着いたが、どうやら海藤も落ち
着いたことが分かった。
(キスくらいで、仲直りするなんて・・・・・恥ずかしい)
喧嘩では無いかもしれないが、どこかすれ違っていた気持ちが今ちゃんと添えたような気がする。
「・・・・・どうする?」
「え?」
「ジュウのことだ」
甘い雰囲気の中話すことではないが、今だからこそ海藤は切り出したのだろう。そして真琴も、ちゃんと自分の気持ちを海藤に
伝えたい。
「一緒に行きません」
「・・・・・そうか」
「俺が好きなのは海藤さんです。ジュウさんの気持ちはよく分からないけど、あの人の側に行ったとしたら・・・・・俺、多分笑えなく
なると思う」
生きるとか、死ぬとか。そんなことを軽々しく口にすることは出来ないし、想像も出来ない。ただ、心から笑うことなんて出来ないだ
ろうというのは簡単に想像出来た。
「ごめんなさい、色々迷惑・・・・・」
「馬鹿」
「・・・・・」
「こんな時は甘えてもいいだろう」
「・・・・・そっかな」
これから、ジュウがどんな風に自分と接触してくるのか分からなかったが、それでも真琴は次はきっぱりとその思いをつき返すことが
出来ると思った。
翌朝、真琴は笑って玄関先で海藤を見送った。
「行ってらっしゃい」
「行ってくる」
海藤も笑みを返してくれ、軽く唇を合わせてから出て行った。
それと入れ替わるように、安徳と城内が中に入ってくる。ドアが閉まっていたので今のキスを見られてはいないのだが、何だか恥ずか
しくて真琴は焦って頭を下げた。
「おはようございますっ」
「おはようございます」
「昨日はありがとうございました!」
「・・・・・さあ、どのことを言われているのか分かりませんが」
真琴の礼に安徳はそっけなくそう言う。多分、気遣ってもらっているのだと分かった真琴は、それ以上は言わないことにした。何度
も重ねて礼を言ってしまうと、かえって安徳の迷惑になってしまうだろう。
「今日はどうされますか?」
「えっと・・・・・」
大学に行きたいが、昨日の今日で大丈夫かなという不安は残っている。ジュウがいる場所に呼び出した島谷にも、どういう顔を
していいのかも分からない。
ただ、じっとマンションの中にいたとしても、状況が変わらないということもまた、分かっていた。
「・・・・・大学、行ってもいいですか?」
思い切ってそう言うと、安徳が少しだけ口元を緩めたように見える。
「もちろんです」
「じゃあ、直ぐに仕度をするので」
「慌てなくてもよろしいですよ」
そうは言っても、ただ待たせるのは申し訳なくて、真琴は急いで仕度をするために足早に自室に向かった。
「やっぱり、大学に行かれるんですね」
城内の言葉を安徳は黙って聞く。もしかしたらマンションから出ないと言うかと予想していたが、真琴は自分が考えていた以上に
強い精神力の持ち主らしい。そして安徳は、そんな真琴を以前よりも好ましく思った。
「あの男の動向は掴んでいるだろうな」
「ええ、2人つけています」
まんまと真琴を連れ出した男。同級生で、あまり親しくないからということで見逃してしまっていたが、失敗を続けないために昨夜
のうちに大学のデータベースに入り込み、大陸に関係ある者は全て割り出し、身辺を探った。時間が無かったので100パーセント
は無理かもしれないが、それでもかなりの確率で怪しい者はリストアップ出来たと思う。
「くれぐれも真琴さんに気づかれないように」
「はい」
「すみませんっ、待たせちゃって!」
その時、真琴の声と慌しい足音が聞こえ、安徳と城内は直ぐに意識をそちらへと向けた。
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