眷恋の闇




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                                                                     『』は中国語です。






(島谷、来てるかな・・・・・)
 構内に入った真琴はどんな顔をして島谷と会おうかということばかり考えていたが、教室に入る前の廊下で、唐突に本人と会っ
てしまった。
それが偶然ではなかったのは、いかにも人を待っているというように視線を彷徨わせていた島谷が、自分と目が会った途端にこちら
へと近付いてきたからだ。
 「・・・・・っ」
 島谷の側にジュウはいないというのに、真琴はどうしても身構えてしまう。
一緒にいた安徳もさりげなく真琴の少し前に身体を移動し、城内はその反対側に回り、何時でも島谷を拘束出来る位置に変
わったらしいことが分かった。
 「おはよう、西原」
 「・・・・・おはよう」
 あまりにも普通に挨拶をされてしまい、真琴は一瞬言葉に詰まりながらも返した。自分達以外も大勢いるこんな場所で、自分
の方から変なことは言えない。
 「昨日は知り合いに急に頼まれてさ。会いたいのに西原が頷いてくれないからって泣きつかれちゃってあんな騙しうちをしちゃったけ
ど・・・・・ちゃんと話出来た?」
 「・・・・・」
 島谷の言葉がどこまで本当なのか、こうして聞いているだけでは分からなかった。
後ろめたいことがあるにしてはあまりにも表情も声も自然だったし、全く何も知らないにしては、島谷のような普通の学生がジュウの
ことを知っていたというのは説明がつかない。
 元々、親しいとまでは言えない知り合いだったし、彼に何か危害を加えられたわけではなかった。それでも、今まで通りには接す
ることは出来なくなったなと思いながら、真琴は少しだけ笑みを浮かべてううんと首を横に振って口を開いた。
 「・・・・・まあね。別になんでもなかったから。気にしなくっていいよ」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「それならいいけど。じゃあな」
 「うん」
 島谷は少しの間真琴の顔を見て、その後軽く手を上げて背中を向けた。
その様子は少しも自分に非があるような様子は見えず、真琴は自分の方が疑り深いのかと思ってしまったが、
 「・・・・・くえない男ですねえ」
 「え?」
呆れたような城内の言葉に、真琴は思わず彼を見上げる。
城内はそんな真琴に笑みを向けると、立ち去っていく島谷を見ながら呟くように言った。
 「あなたのこの反応で、あいつの命は永らえたと思います。ジュウはあなたを本当に特別に思っているようですから、あなたが傷付
いたと思えばあの男を抹殺することくらい簡単にするでしょう」
 「・・・・・っ」
 「城内」
 想像もしていなかったことを聞かされた真琴の顔は真っ青になってしまい、安徳が眉間の皺を深くして諌めるように名前を呼ぶ。
しかし、一度聞いてしまったことを忘れることは出来なくて、真琴はギュッと拳を握り締めて波立つ感情を抑えた。




 次々に送られてくる情報や資料をパソコンの画面で見る綾辻。その後ろで、海藤も同じ画面を見つめていた。
香港伍合会の内情を、もっと言えば弱点を探すために送らせている資料だが、こうして見ているだけでは組織としては完璧なほど
強固だ。
 「これで、数年前に裏切り者がいたなんて信じられませんね」
 「ああ」
(あの後、大掛かりな粛清が行われたな)
 それが、再教育なのか、それとも命を奪うものなのかは分からないが、今の香港伍合会の中でジュウに逆らう者はいないようだ。
 「・・・・・」
海藤は溜め息を噛み殺した。
どんなに力を持とうと足掻き、海藤自身もあの時よりは成長したはずだが、それでも真正面からぶつかったとして香港伍合会に勝
てる要素は・・・・・。
 「社長」
 「・・・・・」
 「大丈夫ですよ」
 綾辻は画面から視線を動かさないまま言葉を続けた。
 「絶対に、マコちゃんは社長の側から離れません」
 「根拠はあるのか?」
 「私も克己も、それを望んでいるから。ふふ、アリさんだって象を倒せるんですもの、同じ人間同士、絶対にどこか穴があるはず。
それを見逃さずに突けばいいんです」
綾辻らしい言葉に、海藤は少しだけ笑った。
本当は自分の方がそう言わなければならないのに・・・・・本当にこの男には何時も肝心な所で助けてもらっている。
 「そうだな・・・・・絶対に、勝機はあるはずだ」
 海藤が気にしなければならないのはそれだけではなかった。もう直ぐ側に迫っている理事への就任に関しても、様々な雑務が山
積みにあった。
日本でも一、二を争う組織である大東組の大掛かりな世代交代劇に注目は集まっていて、明日にでも公表される文書に名前
が載る海藤にもそれは例外が無い。
 「そう言えば、あの人から連絡ありませんね」
 「あの人?」
 「何時も眉間に皺を寄せている理事・・・・・ああ、もう総本部長と言った方がいいのかしら」
 「江坂さんか」
 ジュウの来日のことも、その要因も分かっているはずの江坂だが、向こうからの連絡は無かった。
単に何も掴んでいないのか、それとも考えがあるのか。こちらは力を借りる側なのでなんとも言いがたかったが、海藤は千葉の本家
で聞いた江坂の言葉を忘れてはいない。

 「友人としてならば手は貸そう。静の大切な友人を、むざむざ国外に攫われることはさせない」

 実際に江坂が動くことは、今の彼の立場からはとても難しいが、海藤にとってはまるで御守のような大切な言葉だ。
 「あの人も今忙しいんだろう。それに、ジュウが大きな動きをしていないからこそ大東組も動く必要がないということだ。それだけで
も貴重な情報だろう」
 「まあ、そうですね」
 「・・・・・」
(だが、披露目の時を狙っていたとしたら・・・・・。大東組の中で俺の位置を落とすことも考えているだろうしな)
 真琴を手に入れるため、ジュウがどこまで踏み込むのかがまだ見えない。
焦ってはいない。それでも、じりじりとした焦燥感が胸の中に渦巻いている海藤は、再び口から出そうになる溜め息を噛み殺した。








 二日後-----------------------。

 「おはようございます、真琴さん」
 「おはようございます」
 何時ものようにマンションに迎えに来てくれた安徳を迎えた真琴は、鞄を持って部屋のドアを閉めた。
あれから、ジュウからの接触は何も無い。大学内でも見知らぬ者から声を掛けられるわけではなく、電話という直接的なものも無く
て、真琴は少し拍子抜けという感じを抱いていた。
 もしかしたら、あの時の自分の言葉で、ジュウは諦めてくれたのかもしれない。
いや、断ると言いながらどっちつかずの自分に呆れてしまったのかもしれない。
 「真琴さん?」
 「あ、いえ」
 黙りこんでしまった真琴が気になったのか声を掛けてくれた安徳に、真琴はなんでもないですと笑って首を横に振った。
ジュウのことがはっきりと決着がつかない状態であるが、真琴は自分のことをまず考えなければならない。海藤の優しさに甘えること
なく、ちゃんと自分のしたいことを見付ける。
そのために大学に通い続けていた。
(それに、なんか見えてきたし)
 大学を受験する時、将来の役に立つ学部を選べと兄達に助言を受けていた真琴は、今まで自分が勉強してきたものをどうす
ればいいのかを考えている。その中で、少しだけ・・・・・先が見えてきたのだ。
 「あ」
 教室に入ろうとした真琴は、鞄の中の携帯が鳴ったことに気づいてそのまま取り出し、液晶を見て笑みを漏らした。
 「真ちゃん」
真哉(しんや)・・・・・中学生の弟からだ。今年の春から携帯を持たせてもらったと頻繁に掛けてきてくれるのだ。
 「もしもし、真ちゃん?」
 真琴の反応や言葉で相手を知った安徳は、そのまま廊下に立ち止まって真琴を見送ってくれる。
 【・・・・・】
 「真ちゃん?」
 【弟をそう呼んでいるのか】
 「・・・・・!」
電話の向こうの声は、真哉とはまるで違う大人の男の声だ。その時になって真琴はようやく、今が中学校の授業中であると気づ
いた。




 「・・・・・」
(弟さんか)
真琴の弟の名前とその呼び方を知っていた安徳は、思わず小さな笑みを浮かべた。
真琴は兄弟も多く、祖父も健在で、その家族仲はとても良いと綾辻は言っていた。

 「私達がいきなり行っても歓迎してくれてね。本当に家族の一員にしてもらったって感じなのよ〜」

 どうやら、父親は海藤達の本当の生業を知っているらしいが、それでも色眼鏡ではなく温かく迎えてくれたらしい。
真琴との関係も、暗黙のうちという状態で、本当に2人の関係は恵まれていると思ったが・・・・・。
 「・・・・・っ」
 安徳は不意に足を止めた。
今の時間、まだ中学生であるはずの弟は授業中で、普通ならば携帯を掛けてくるはずは無い。
家族に何かあったのか、それとももっと別の・・・・・そう考えた安徳は直ぐに教室に引き返したが、まだ入口付近に立っていた真琴
は真っ青な顔色で携帯を握り締めていた。
 「真琴さん」
 「・・・・・」
 「真琴さんっ」
 名前を呼んだだけでは気づかない様子の真琴の腕を引くと、ようやく大きな目が自分の方へと向けられた。
 「あ、安徳さん」
 「何かあったんですか?」
重ねて訊ねると、真琴はようやく聞き取れるほどの声で言った。
 「・・・・・ジュウさん、です」




 【弟をそう呼んでいるのか】
 どこか楽しそうな声。その声が誰のものなのか直ぐに分かった真琴は一瞬声が出なかった。
 【マコ】
 「ど・・・・・して、これ・・・・・」
 【偶然拾った。その中に、幸運にもマコの名前があったんだ】
 嘘だと叫びたくても声が出ない。
東京にいない真哉の携帯をジュウが偶然拾うはずないし、番号を変えたことを連絡したばかりなので名前を見て自分に繋がるな
んてことは想像も出来ないはずだ。
 「し、真ちゃん、は・・・・・」
 どんな答えが返ってくるのか怖かったが、それでも聞かずにはいられなかった。自分のせいで弟が危険な目に遭っているのだとした
ら、どんなことをしても助けにいかなければならない。
 「真琴さんっ」
その時、腕に強い力を感じた真琴が視線を向けると、そこには真剣な表情をした安徳が立っていた。