眷恋の闇
23
『』は中国語です。
兄弟を盾に取られ、こうしてジュウの言う通りにウォンと共に来たことが、結局は海藤よりもジュウを選んだという結果になってしま
うのだろうか。
(そんなの、違う!)
「お、俺は、海藤さんが・・・・・っ」
「・・・・・」
「海藤さんの傍から離れるなんて・・・・・考えてない!」
今更かもしれない。それでも、真琴はウォンにそう訴えた。
同性というハードルを越えたのも、ヤクザという生業を受け入れたのも、それは全部相手が海藤だったからだ。それが他の相手に
変わったとしたら・・・・・いや、考えたくも無い話だ。
「止めてください!」
「・・・・・」
「ウォンさん!」
「それは、お前の口からあの方に言えばいい。どう判断されようとも、あの方の仰ることに私は従うだけだ」
真琴の焦りにも冷たい眼差しを向けるだけで、ウォンは改めてそう言った。
ジュウに言っても、彼が簡単に頷いてくれるとはとても思えない。真琴の言葉を笑みを浮かべて聞いてくれるのに、出てくる言葉は
その意思を全て否定するものばかりで、真琴は彼が自分の何を欲しいのか、全く分からなかった。
黙って言いなりになる人形が欲しいのならば、そんな相手を捜せばいいだけで、こんな言うことを聞かない普通の男などさっさと
見限ってくれればいい。
(どうして・・・・・そうしてくれないんだ?)
ジュウは、何を望んでいるのか。
真琴は窓に手の平を当てたまま、口の中で何度も何度も海藤の名前を呼んだ。
それから、どのくらい車が走ったのか分からない。
何時の間にか停まってしまった車に気がついた時、ウォンが電話を掛けて中国語で何か話している。
そして。
「マコ」
電話を切ったウォンが名前を呼んだ。
「今から車を出るが、逃げ出そうとは思わないように」
「・・・・・ここ、どこですか?」
「お前が逃げ出せば、容赦なく動けないように拘束をする。その際、周りに一般人がいても関係ない。いや、むしろその一般人
に害が及ばないようにおとなしくすることだ」
「・・・・・っ」
意味ありげに自らのスーツの胸元を叩くウォンに、真琴はその向こうに何があるのかを想像してしまった。日本では特殊な職業
以外の者は手にすることも無い拳銃。それを外国人のウォンが堂々と持っているということを信じられないとはもはや言えなかった。
それよりも、外に出て現在位置を確認した上で、何か出来ることがあるかもしれない。車という密室に軟禁されているよりはまし
だと、真琴は黙って頷いた。
(日本を離れる覚悟とか言っていた。じゃあ、もしかしてここは・・・・・)
車を出た瞬間に聞こえた大きなエンジン音。
頭上を飛ぶそれを見て、真琴は自身の想像が当たっていたことに思わず崩れ落ちそうになってしまったが、それでもここでへたり込
んでしまっても誰も助けてくれない。
それどころか、それを逃げる行動と取られたら周りに迷惑を掛けてしまうかもしれないと、真琴は唇を噛み締め、少しだけ前に行っ
て待っているウォンの元へと歩いていった。
「・・・・・」
(ここ・・・・・成田だ)
このまま、自分は香港に連れて行かれるのだろうか。
「・・・・・っ」
(嫌だ・・・・・!)
以前も、こんなことがあった。
その時はジュウに敵対する相手が真琴を連れ去ろうとしていたらしく、それを直前で阻止してくれたのが江坂だった。
しかし、今回は・・・・・このまま抵抗も出来ず、ジュウのもとに連れて行かれている。いったい、自分はどうしてここにいるのか、真
琴は考えることを放棄したくても、それもどうしても出来なかった。
「マコ」
「・・・・・」
そんな真琴に、ウォンが歩みを止めずに話し掛けてくる。
「覚悟を決めろ」
「・・・・・」
「お前を得るために、あの方は多大な労力を使った。それは必ず結実されなければならない」
「大きな・・・・・労力?」
一体、ジュウは何をしたのか。
「こちらだ」
「・・・・・」
広い空港の敷地内。案内をしてくれる係りの男は、一団の中に明らかに浮いている真琴の存在を目にしても何も言わない。
一刻も早く厄介なものを排除したい。そんな怯えた態度が真琴にも分かって、彼に助けを求めることは無駄だと思い知らされた。
ジュウは真琴を待っていた。
肉親の情というものを大切にする真琴に対し、弟を取引材料にしてしまったのは可哀想だったと思うが、それでもそのおかげでこう
して自らの手の中に堕ちてくるのだから問題は無い。
「マコ・・・・・」
自分を育ててくれた香港の闇。温かいが、とても冷たく、情というものを一切排除した人間が1人完成した。
その人間に何かを欲するという感情を与えてくれた日本人を今から連れ帰り、大切に、大切に囲おうと思っている。
敵も多いが、それ以上に味方もいる香港でならば、ジュウは安心して真琴を見つめることが出来るし、頼る者のいない真琴はジュ
ウだけを見つめてくれるはずだ。
あの存在を傍にすれば、きっと、安らかな眠りにつける。
(早く、マコ)
トントン
ドアがノックされ、外に立っている部下が開く。
「・・・・・」
ジュウは立ち上がらずにソファに座ったまま、開かれるドアをじっと見つめた。もうそこには、一生を共にする愛しい存在が立ってい
るはずだった。
貴賓室。
特別な存在だけが使うことを許される空港内の部屋に案内された真琴は、ドアの前に立つ数人の男達の姿に思わず足を止め
てしまった。
彼らは皆、ジュウを守る為にそこにいる存在だろう。
ウォンの姿に直ぐにドアをノックし、そのままドアを開く男。すべてが無言のまま、それでも計算されたかのようにスムーズに、ウォンが
まずドアの前に立った。
『ジュウ、マコを連れてきました』
『中へ』
「マコ」
「・・・・・」
呼ばれても、簡単には足が動かない真琴に眉を顰めたウォンは、腕を掴んで引きずるように部屋の中に連れて入った。
「マコ」
ソファに座ったままのジュウが、ふっと笑みを浮かべて真琴を見つめてくる。
一瞬、錯覚してしまいそうなほどに優しい表情に戸惑った真琴は、直ぐに気を取り直してもう一度、彼の口から真実を聞くために
口を開いた。
「弟は、弟には何もしていませんか」
「・・・・・これか」
真琴の言葉に直ぐに反応したジュウは、スーツのポケットから彼に似合わないカラフルな携帯電話を取り出す。ストラップに見覚
えがあるそれは、間違いなく真哉の携帯電話だった。
「それっ」
「拾っただけだと言っただろう?お前の弟には指一本触れていない」
「本当に?」
「嘘は言わない」
「・・・・・」
「・・・・・」
言葉だけでは嘘か本当かは分からない。それでも、今の真琴はジュウの言葉に縋るしかなかった。
(真哉は、大丈夫。絶対・・・・・大丈夫)
「座りなさい、マコ」
ジュウが座っているソファの隣は空いている。座り心地の良さそうな革張りのソファに一瞬視線を向けた真琴は、せめてもの反抗心
に立ったままでいようと思ったが、
「あっ」
強引にウォンに座らせられてしまった。
『無理強いは止めろ』
『ジュウ』
『マコはもう逃げない』
「・・・・・っ」
身体を硬くしている真琴の膝の上で握り締めた手に、ジュウの手が重ねられた。
細く、骨ばった白い手はひんやりと冷たく、真琴は無意識のうちに手を引こうとしたが、ジュウはしっかりと握り締めて離さない。
いや、手だけではなかった。ジュウの眼差しも、真っ直ぐに自分に向けられたまま・・・・・離れなかった。
「マコ、私と共に香港に来い」
「・・・・・嫌です」
「何よりも、誰よりも大切にすると誓う」
「俺はっ、俺は・・・・・大切にされるだけの存在になりたくありません。俺は、海藤さんと共に・・・・・生きていきたいんです。ごめん
なさい、ジュウさん、俺、あなたと共に香港に行けません。俺は、日本にいたいんです」
言葉で納得してくれるかどうか分からないが、それでも真琴はジュウに頭を下げた。何度も謝罪し、帰してくださいと繰り返す真
琴に、ジュウはしばらく黙っていたが・・・・・。
「仕方が無いな」
溜め息をついた彼が立ち上がった。
(あ、諦めてくれた?)
「強引にお前を連れて行く事になってしまった」
「ジュ、ジュウさんっ」
「マコ、私はどうしてもお前が欲しい。私の目に映ってしまったことを諦めろ」
穏やかな笑みが一切消え、ジュウは無表情のまま真琴を見つめてきた。
車は間もなく成田に着く。
綾辻が調べた搭乗者リストには真琴の名もジュウの名も当然のごとく無く、やはり自家用ジェットで帰国するという判断が一番正
しいようだ。
滑走路の使用状況を調べると、香港行きの自家用ジェットの登録は2機。時間的に言えば後30分ほどで旅立つ1機に乗っ
ている可能性が高かった。
警察に密告して足止めする方法もあるものの、そうずれば真琴の名前が外に漏れてしまう。それだけは避けなければならない。
何の非も無い真琴を、警察に渡すことは出来ない。
「・・・・・」
海藤の携帯が鳴った。
番号を見た海藤は、一瞬考えた後に出た。
【面白いことになってるそーじゃねえか】
唐突にそう言われて、海藤は思わず聞き返してしまった。
「どこからそれを?」
【俺を顎で動かせる奴なんて1人だろ。理事を断ったペナルティだと、全く、インテリは理由もこじつける】
楽しそうに言う声は、直ぐに改まって続けた。
【こっちにも、香港の裏事情に詳しい奴がいるんだ。少しはお前の助けにならないか?】
礼は、一回飲みに付き合うことだと言う相手に、海藤は感謝の思いを込めて礼を言った。
「ありがとうございます、上杉会長」
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