眷恋の闇
24
『』は中国語です。
【お前に恩を売っておけば、何時かいいこともあるだろうしな。しっかり力つけろよ、新理事】
生真面目に礼を言う海藤に照れくさくなったのか、電話の向こうの相手、羽生会会長の上杉はチャカすように言うが、海藤は上
杉がそんな貸し借りなど利用しないということも分かっていた。
海藤に気を遣わせないように言ってくれているのだろう。言動に見合わず細かな心配りが出来る上杉に、海藤もごく普通に言葉
を返した。
「何時でも、言ってきてください」
【ははっ、おい】
電話の向こうで誰かが会話をする声が聞こえ、直ぐに返ってきた声は上杉とは別のものだった。
【お疲れ様です。面倒な相手に絡まれているそうですね】
「手間を掛けさせる」
【いいえ、海藤会長には、何時もうちのがご迷惑を掛けていますから。こういう時にお手伝い出来るのならばお安い御用です】
穏やかに言う羽生会会計監査である小田切は、早速というように話を切り出した。
【私の情報は、綾辻さんのものと被るかもしれませんが・・・・・】
そう前置きをして、小田切は香港伍合会の内部事情を話し始める。
その多くは綾辻の報告でも分かっていたことだが、中には初めて聞く話もあった。
特に、ジュウと敵対関係にある相手の情報はどんな些細なものでも欲しかったので、海藤は一言も漏らさないように聞いていた。
【・・・・・どうです、少しはお役にたてそうですか?】
「十分だ」
どうしてそんな、中枢にいなければ分からないような情報を持っているのか、大東組本部にいた時からその存在感を感じていた
小田切とは、彼が羽生会に出向してからの方がよく接している。
掴みどころの無い雰囲気は綾辻と共通するものがあるが、その情報収集能力も引けを取らないようだ。
【情報源のプライベートナンバーは、後で綾辻さんにメールで教えておきましょう。私の名前を出せば喜んで協力してくれるはず
ですから】
「助かる」
【彼が日本からいなくなってしまうと、太朗君も寂しがりますからね】
真琴を慕い、電話やメールで連絡を取り合ったり、実際に遊んだりしている少年のことも、当然海藤は知っている。
「真琴は、向こうにはやらない」
【ええ】
そう言って電話は切れた。
「社長」
「・・・・・綾辻」
自分達が空港に着くのが先か、それともジュウが旅立つのが先か、それはかなりギリギリの時間の勝負だ。
真琴を日本から出さないという気持ちは当然あるが、それでも万が一のことを考えて先の先まで手を打っておかなければならない
と、海藤は綾辻に素早く指示を出し、続いて携帯の番号を押す。
(やはり・・・・・頼ることになってしまったか)
真琴がきっぱりと拒絶をしてから、ジュウの雰囲気はがらりと変わってしまった。
いや、これは彼が自分以外の相手によく見せていた表情だと分かったが、その表情を自分に向けてくるほどにジュウの感情が冷たく
凍り付いてしまったのだろうか。
それでも、たとえ嘘でもジュウと一緒に行くとは言いたくなかった。誰が聞いていなくても、それが海藤への裏切りであると自分自
身が見ているのだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
(このまま飛行機に乗るんだろうか・・・・・。何とか、外に連絡を取れない・・・・・?)
真琴の携帯はウォンが持っているし、部屋には電話は無く、あったとしても堂々かけられるはずが無い。
自分の隣に座っているジュウは目を閉じていて微動だにせず、その彼の空気を壊さないようにウォンも黙って佇んでいて・・・・・張り
詰めた緊張感に、真琴は視線だけを素早く動かしていた。
その時だ。
トントン
ドアがノックされた。小さな音は静まり返った部屋の中に響き、ウォンが直ぐに動いて僅かにドアを開いた。
『空港側から搭乗チェックをと』
『・・・・・』
「・・・・・」
(搭乗チェック?)
どうやら、この部屋で全ての手続きをするらしい。
しかし、そうすれば真琴がパスポートを持っていないということも分かってしまうはずだ。
「失礼します」
開けられたドアから中に入ったスーツ姿の男は、ウォンに向かって一礼をした。
「人数チェックだけさせていただきます。男性3名、よろしいですか」
「ああ」
「それでは」
「あ・・・・・っ」
たったそれだけを言って部屋を出ようとした相手に、真琴は思わず声を上げてしまった。
その切羽詰った声に足を止めてくれた男は、初めて真琴の方へと視線を向けると、気分でも悪いのかと訊ねてくれる。
「あのっ」
「問題はない」
しかし、直ぐにウォンが男の背を押した。医師は必要ないのかという男に、ウォンは否定の言葉を告げて外へと強引に押し出し、
ドアを閉めてしまう。
すると、今まで黙っていたジュウが目を開けて言った。
「日本を出るまでは勝手なことを話すな」
「ジュウさんっ、俺は!」
「その愛らしい口を黙らせる方法はいくつもある」
「・・・・・っ」
怖い、と、思った。本当にジュウは自分とは全く違う世界の人なのだと、いや、海藤とも違うということを思い知ってしまう。
大切にすると、欲しいと言う相手をこんな風に脅すなど・・・・・多分、それはジュウにとって無意識の言動だということが悲しくてたま
らなかった。
(どうすればいい・・・・・!)
どうしたら、自分は海藤の元に戻れるのだろうか。
貴賓室から出たスーツ姿の男は、そのまま搭乗カウンターに・・・・・は、向かわず、ゆっくりとした足取りで空港内の従業員出入
口へと向かっていた。
そのまま建物の外に出た男は、軽く辺りを見回してから携帯電話を取り出す。
「・・・・・私です。はい、確認しました」
淡々とした口調に、電話の向こうの声も同じように返してくる。
「・・・・・出発は予定通りとのことですが・・・・・はい」
短い指示に頷き、携帯電話を切った男は再び空港内へと足を向ける。偽りではない社員章・・・・・しかし、元から男がどの組織
の者なのか、知っている者はこの場にはいなかった。
再びドアがノックされた。
今度現れたのは客室乗務員の女性だった。
「搭乗時間です」
「・・・・・」
その声にジュウは立ち上がったが、真琴はソファをしっかりと握り締めたまま唇を噛み締める。このまま立ってしまえば、本当にもう
香港に連れて行かれてしまうと分かっていた。
「マコ」
子供の我が儘を諌めるような口調のジュウに、真琴は首を横に振る。
今、ここでこの女性に助けを求めたらいったいどうなるだろうか?まさか、自分のような平凡な男が、いかにも上流階級だと分かる
男達に拉致されているとは直ぐに信じてはくれないかもしれない。
それに、もしもその事情に女性が気づいたら、今度はこの女性が何かされるかもしれないと思えば・・・・・。
(だ・・・・・めだっ)
「マコ」
ジュウの手が腕を掴み、真琴は強引に立たせられる。
「行こうか」
「ジュウさんっ」
「・・・・・」
腕をジュウに、そして後ろにはウォンが立ち、真琴はもつれそうな足取りで空港内を歩いた。
本当にもう、駄目かもしれない・・・・・ギュッと目を閉じた真琴は、
「申し訳ありません!」
いきなりそう叫びながら現れた数人の男達の姿に、思わずえっと戸惑った声を上げて目を開いてしまった。
ここから香港までは近い。
日本国内を行き来するよりも身近にある存在だというのに、日本と香港はまるで違う。あくまで、ジュウの帰る場所は香港で、これ
からはそこで真琴も待ってくれることになるのだ。
今、こんなにも悲痛な表情になっているのは、真琴が日本に、いや、海藤に情を感じているからであって、それは時間が経てば
色褪せるものだ。
直ぐに、己の愛情で、香港が生きる場所だと真琴に言わせてやる・・・・・そう思いながら歩いていたジュウは、
「申し訳ありません!」
唐突に現れた男達に思わず眉を顰めた。
直ぐに自分の周りには護衛が取り囲み、ウォンが対応をする。
「何事だ」
「いったん、部屋に戻っていただけないでしょうかっ」
「もう、搭乗時間だと思うが。今そちらの案内が呼びに来たんだ」
ウォンの言葉に、案内に立っていた女も分けがわからないというような表情をしている。
「そ、それが、今電話がありまして」
「電話?」
「飛行機に爆弾が仕掛けられたとっ」
「爆弾?」
さすがに想像もしていなかった言葉に、ジュウが視線を向ける。その手は真琴の腕から離れなかったが、今、自分が全く考えていな
かった展開になっているのだと思うと、その手に無意識に力が込められてしまった。
「どういうことだ」
冷え冷えとしたジュウの声に、男は真っ青になった顔を向け、深く頭を下げたまま言葉を続けた。
「5分ほど前、事務所に電話が入りました。今日の午後、外国に向かう便のどれかに爆弾を仕掛けた、時間は1時間後だと。
要求は言いませんでしたし、もしかしたら愉快犯の可能性もありますが、今成田に待機している便全ての安全確認が取れるま
で、全発着便を止めることになりましたっ」
「・・・・・」
『ジュウ』
ウォンがこちらを見た。
『・・・・・やられたな』
(こんな馬鹿馬鹿しい手を取ってくるとは・・・・・)
海藤本人が考えたのか、それとも周りの人間の知恵か、こんな子供がするような悪戯電話で一空港の機能を麻痺させてしまうと
は。
『どうしますか』
『しかたがない。空港から出発するには管制塔の許可がいる』
これが香港ならば、ジュウの力でも飛行機を飛ばすことが出来るが、一々細かな日本ではいくら権力者の言葉でも安全が確認
されない限り許可は出ないだろう。
今、この空港にどれ程の飛行機がいるのかは分からないが、少なくとも2、3時間はこの場に足止めだ。その間に、必ず海藤はこ
こにやってくる。
(・・・・・面倒な)
いっそのこと、もう手を出すことが無いように、この場でその命を奪ってやろうか。
『こちらの自家用ジェットのチェックを優先しろと伝えろ』
そんなことを考えながら、ジュウは戸惑っている様子の真琴を連れたまま、今来た道を引き返し始めた。
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