眷恋の闇




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                                                                     『』は中国語です。






 安徳はにわかに騒がしくなった空港内で、いかにも出張中のビジネスマンという風を装って携帯電話を掛けていた。
 「理由は分からないが、どうやら事故で遅れるらしい」
 【ふふ、どうやら上手くいったみたいね。ジュウの動きは分かる?】
 「取引先の相手にはまだ連絡が取れない。これからも何度か連絡を取ってみるが」
 【貴賓室にいるのは間違いないらしいから、どうにか接近出来ないか試してみて。でも、深追いは禁物よ、治外法権を持ち出さ
れたら犬死だから】
 「分かった」
安徳が電話を切ると、コーヒーを手にした城内が隣に座った。
 「連絡取れました?」
 「後10分も掛からないうちに着く」
 コーヒーを口にしながら、安徳はロビーを素早く見回す。目に見えて増えてきた警備員の数。多分、私服の警察官もいるのだろ
う、時折鋭い目付きの男も行き交っている。
(こんな、無茶な手を使うとはな・・・・・)
 まだ真琴の姿が空港内にあるとの報告を受けた綾辻が、飛行機の発着を止めるために空港事務所に脅迫電話を掛けさせた
のだ。
それも、実際に行動したのは綾辻ではなく、こういう方法を一番嫌いそうな倉橋だと聞いて、安徳は彼らの繋がりがどういうものな
のだろうかと想像してしまった。
 「貴賓室には、確か3人だけでしたね」
 「外には5人いたらしい。どうにかして奴らをおびき出せないか」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「多少、反則技でもいいですかね」
 「これ以上の反則なんてあるのか」
冷静に言う安徳に、城内はクッと笑ってからコーヒーを口にした。




 いったい、外で何が起こっているのか、真琴には分からなかった。
先ほどからジュウはソファに座って目を閉じたままで、ウォンはずっと携帯電話で話している。どうやら中国語らしいので会話の内容
は全く分からないが、それでもウォンの口調が常の彼らしくないほどに乱暴になったのには気づいていた。
(爆弾を仕掛けたなんて・・・・・)
 テレビがあるので、つければニューがあるかもしれない。しかし、彼らはどうやら外界の情報を取ろうとは思っていないようだ。
いや、自分達が集めた情報しか信じない・・・・・そういうことなのだろう。
 「・・・・・」
 真琴はチラッとウォンを見た後、視線をジュウに戻して思い切って彼を呼んだ。
 「ジュウさん」
 「・・・・・」
 「あの」
眠ってはいないだろう。それでも、目を開いてくれないままのジュウに、真琴はもう一度頼んでみた。
 「俺を帰してください、お願いします」
 「・・・・・マコ」
 「・・・・・は、はい」
 「私はお前を得るために力を使った」
 「ち、力?」
 「ここでお前を手に入れなければ、それこそ私は組織の中で笑いものとなってしまうだろう。ロンタウは望むものも得られない腰抜
けなのかと」
 ジュウは目を開き、真琴を見据える。冷たい、感情の無い視線。そこには自分に対する愛情が見えない。
 「カイドー以上に、私は苛烈な世界で生きている。マコ、お前の傍で私を眠らせてくれないか」
 「・・・・・」
言葉の熱さと、眼差しの冷たさ。そのどちらが本当のジュウなのか分からない。
彼が望んでくれるほどに真琴はジュウのことを欲していないし、彼が知っているように自分はジュウのことを知らない。
 生きてきた世界が違うと一言で言えば簡単かもしれないが、もっと明白な事実が一つある。
(それでも・・・・・俺はジュウさんを好きになれない)
 「俺が傍にいたら、あなたは眠れるかもしれないけど・・・・・」
 「・・・・・」
 「今度は、俺が眠れなくなります」
寄り添う相手は自分ではないのだと、どうか言葉だけで分かって欲しかった。




 きっぱりと言い切った真琴に、ジュウは目を細める。
(どうしても、私の手の中に入るのが嫌だというのか・・・・・)
海藤から引き離せば、否が応でもこちらを向くしかないと思っていたが、仮にこのまま香港に連れ帰ったとしても、真琴は生ある限
り自分の方には振り向かない。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 怯えているのが分かるのに、それでも目を逸らそうとしない真琴をどうしたいのか、ジュウは自分自身の心の内が分からなくなって
きてしまった。
(私のものにならないのならば、他の人間にも・・・・・カイドーにも手が届かない所にやってしまおうか)
 自分を見る黒い瞳が力を無くし、あの唇から謝罪の言葉が漏れてこないように・・・・・。
 「ジュウ、さん?」
ジュウは立ち上がり、向かいに座る真琴にゆっくりと近付いていく。本能的に恐怖を感じたのか、真琴は僅かに後ろへと身体を移
動したが、それでも口から悲鳴や非難の言葉はまだ出てこない。
 「ジュウさ・・・・・」
 「私を必要としないお前を、このまま生かしておくのが悔しい」
 「な・・・・・」
 この手で、その生命を終わらせた方が、よほど安堵出来るかも知れないと手を伸ばした時だった。

 ドンッ

 「・・・・・」
 「!」
ドアに何かが叩きつけられるような音がして、ジュウは動きを止めて視線を向ける。
携帯で話していたウォンは直ぐに電話を切ると、スーツの胸元から拳銃を取り出し、用心深く入口のドアへと近付いた。
 『ウォン』
 『ご用心下さい』
 『・・・・・』
 この扉の向こうには護衛達がいる。組織のトップであるジュウを守る人間だ、頭も体力も選び抜かれた者達のはずで、簡単に何
者かに負けることは考え難い。
(一体、何があった)
少しずつ狂っている己の計算にどうしようかと考える間もなく事態は迫ってくる。
 「マコ」
 「あっ」
 そして、ジュウは真琴を自身の背に隠した。
誰かを庇うために己が前に出るなど、ジュウにとっては初めての経験だった。




 空港の駐車場に車を付けると、直ぐに海藤は関係者の出入り口へと向かう。
 「・・・・・」
その途中、まるで休憩をするかのように煙草を手に立っていた男がいたが、海藤を見ると軽く目礼をして近付いてきた。
 「貴賓室に3名。外には5名です」
 「拘束は?」
 「されていませんでした。目に見えた飛び道具もありませんでしたが、それは私が入ったからかもしれません」
 そう言うと、男はポケットから3つの社員証を取り出した。
 「終わり次第、処分をお願いします」
 「分かった。江坂理事には改めて礼を伝えに行くと言ってくれ」
 「承知しました」
男はそのままゆっくりと今海藤達が来た方へと歩き始める。その姿をちらっと見てから、海藤は首に社員証を掛けた。
(本当に、感謝しなければ)
 大東組の、というより、江坂の子飼いの人間が成田空港の職員の中にまでいたとは思わなかったが、そのおかげで内部の情報
までこうして分かるというのは本当に大きな材料だ。
 「マコちゃん、泣いていないかしら」
 「・・・・・泣いてはいないだろう」
 「分かるんですか?」
 「泣くよりも、自分が出来ることを考えているはずだ」
 ジュウの前で、真琴が出来ることなど本当に無いかもしれない。それでも、足掻くことを止めないのが真琴だと思う。
理由があるとはいえ、自らジュウのもとに行ってしまった己の始末を己でしなくてもいいと言ってやりたいが、その姿を見るのも声を聞
くのも、まだ少し先だろう。
 「外に5人と言ったな。何とか分散出来ないか」
 「アンちゃん達に連絡を取ります。1人ずつデートに誘いましょ」
 「・・・・・」
 この場にいるのは海藤を含めて丁度5人。とにかく、部屋の中に足を踏み込まなければ先には進めない。その手前で終わってし
まうことなど考えてはならない。
 「あ、それと、香港から例の人物の息が掛かった奴の姿が消えたそうです。今朝からというから、もしかしたらギリギリ入国している
かもしれません」
 「・・・・・不味いな」
 「狙うのが、あっちだったらいいんですけど」
 「真琴が一緒にいたら巻き添えをくってしまうかもしれない」
 「写真が無かったから顔が分かんないんですよね」
 さすがに綾辻も不味いと思っているのか眉を潜めているものの、今からその人物の照会をしていたのでは間に合わない。
とにかく、それらしい気配の者は全て用心をすればいいのだと思いなおし、海藤は職員通路の前に辿り着いた。




 本物の職員が用意した社員証で疑われることも無く裏口から空港施設内に入った綾辻達は、そのまま携帯で連絡を取った安
徳達と合流した。
 貴賓室へと向かう通路を見ながら綾辻は海藤に言った。
 「今、中は爆弾騒ぎで結構ゴタゴタしているはずです。中には警察関係者もいると思いますし」
 「それは確認しました」
自分の言葉を裏付ける安徳に頷き、綾辻は話を進める。
 「派手な動きは返ってそっちを引きつけちゃうと思うので」
 「・・・・・その手を使うか」
 「え?」
 「久保」
 「はい」
海藤に名前を呼ばれた久保が顔を上げた。

 まず、顔を知られていない久保が堂々と貴賓室の前まで行き、2人の護衛に荷物の確認を願い出た。
荷物など無いと言い張る男達に、爆弾か私物か分からない荷物を写真で確認してもらうだけですと言い、そのまま連れ出した2
人は久保と城内が拘束した。
 次に、その男達が持っていた携帯電話で仲間の男を1人呼び出し、安徳が柔道の締め技で落とした。
残りは2人。組織力は確かに大きい相手だが、個人戦ならば対等に渡り合える。特に、こんな風に闇討ち同様にすれば・・・・・。
 「綾辻」
 「殺さないで下さいよ」
 冗談めかして言ったが、返って来た海藤の笑みには凄みが増していて・・・・・無駄だったかもしれないと思ったが遅かったようで、
綾辻は久し振りに本気を出す海藤という姿を見る。
 銃を取り出そうとした相手の腕を蹴り上げ、そのまま重い拳を相手の腹に入れ、激しくドアにぶつかった身体が崩れ落ちる前にさ
らに腕を捻り上げた。
 鈍い音は、腕の骨が折れたのかもしれないが、海藤の表情は淡々として変わらない。
(こんな顔、マコちゃんに見せたくないわよ)
そう思いながら、綾辻も目の前の男の足に致命傷を与えるべく攻撃をした。