眷恋の闇




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                                                                     『』は中国語です。






 貴賓室に続く廊下のドアが開いた瞬間、

 カチッ

 「!」
僅かな引き金の音を聴いたと思った瞬間に、海藤の身体は動いた。
いや、海藤だけではなくその場にいた男達・・・・・真琴を除いてだが・・・・・は皆気付き、即座に行動している。
 『ジュウッ!』
 ウォンはジュウを庇うようにその頭を抱きこみ、ジュウ自身は真琴の身体を自分のそれで隠そうとした。
綾辻は自分の背後に回り、海藤は真琴を守る為に地を蹴った。
 「確認しろっ!」
 理由など考えることもない。現に銃は発砲されて、それはこちら側の誰かを狙っている。自分か、それともジュウなのか、撃ち込ま
れた弾に聞くことが出来るはずがなく、海藤はただ真琴の無事を確保することしか考えられなかった。

 バシュッ

 2発目の音が聞こえ、目の前のウォンの腕から鮮血が溢れるのが見える。
これほど密着している中で的確に狙っているということは相手は間違いなく組織の人間で・・・・・目的はジュウだ。
 「・・・・・っ!」
(左かっ)
 その時、窓ガラスに銃口が映った。どこから狙っているのか判断できた海藤は、

 バシュッ

三度めの音を耳にした瞬間、自分の肩が熱く痺れたのを自覚した。




 「!」
 警戒はしていた。
それでも、こんな公の場所で実際に拳銃を発砲する馬鹿がいるはずが無いと思っていたのも事実で、綾辻はそんな自分の甘い
考えに今更ながら舌を打つしかない。
 だが、後悔などしている時間はなかった。
 「・・・・・っ」
 たて続けに撃たれる弾は確実にこちらを、いや、ジュウを狙っている。一発目は外れたものの、続いて海藤とウォンを傷付けたそ
の存在から海藤と真琴を守らなければならない。
 「綾辻さんっ?」
 「確認しろっ」
 ジュウのガードを隔離して戻ってきた安徳の驚いた声を耳にし、綾辻は海藤の頭を抱え込むようにして叫んだ。
 「サツを寄せ付けるな!」
 「はいっ」
現状に驚いたはずの安徳も直ぐに行動する。その後ろには、城内もついているはずだ。
(くそっ、こっちを考えないと・・・・・っ)
 普通に考えれば拳銃には6発の弾が込められていて、狙撃者は6発こちらを狙うことが出来る。
しかし、今この空港は爆弾騒ぎで警備や警察もウロウロしている状態で、暢気に全部発砲するとは思えない。半分撃ち、そのう
ちの2発は確かに命中したのだ。
 逃げ出す相手を絶対に逃してはならない。
 「マコちゃん!」
 「・・・・・」
ジュウの腕の中にいるままの真琴。
目の前で海藤が撃たれた瞬間を見てしまった真琴は、大きく目を見開いたまま硬直していた。その衝撃は一般人の真琴にとって
大きなものだというのはもちろん分かるが、その心境を思い遣ってやる暇は今は無い。
 「マコちゃん!!」
 再度大きな声で名前を呼べば、恐ろしいほどゆっくりと真琴が視線を合わせてくる。
 「しっかりして!」
 「・・・・・」
その目が、もう一度海藤の肩口へと向けられたかと思った瞬間、
 「マコちゃんっ!」
 「・・・・・ぁ・・・・・ああ!」
真琴が、ジュウの腕を振り払ったのが見えた。




 「・・・・・ぁ・・・・・ああ!」
 「マコッ」
 どこにその力があるのかと思うほどの勢いで、真琴が自分の腕を振り払った。
とっさに手を伸ばしたが、それよりも早く真琴は海藤の身体に抱きついていた。
 「海藤さんっ、海藤さん!」
 切迫した、泣きそうな真琴の声がジュウの耳に届く。
 『・・・・・っ』
熱い、苦しげなウォンの息が頭上から聞こえる。
 『ウォン・・・・・』
 部下であるウォンが自分を守るのは当然だ。しかし、海藤は・・・・・愛人を奪われる寸前だった海藤が、自分を庇うなど考えられ
なかった。少なくとも、ジュウならば、あんな場面で動かない。
 「海藤さんっ、海藤さんっ」
 『・・・・・』
(カイドーはなぜ私を・・・・・)
 とっさに、身体が動いたというのか?
それとも、この場面で恩を売り、真琴を取り戻そうとしているのか?
(・・・・・いや、カイドーはそんなことをしない)
 ジュウが調べた海藤という男は、そんな目先のことだけで動くはずが無い。
 「・・・・・真琴」
 「!」
 「無事か・・・・・?」
 「う・・・・・うん・・・・・っ」
 『・・・・・』
(カイドーは、マコを助けたのか)
命を落とすかどうかのぎりぎりの場面で、海藤は真琴を、いや、真琴を連れている自分さえ庇ったのだ。
その事実に思い当たったジュウは、伸ばしていた手を握りこんだ。




 何もかもが突然で、あっという間のことで、真琴はその状況を把握することが出来なかった。
ただ分かったのは、突然ジュウに抱き込まれ、続いてその肩越しにウォンの腕から、海藤の肩から血が溢れたのが見えた。
 こんな風に誰か拳銃で撃たれるのを見たことが無いとは言わない。それでも、やはり・・・・・その一瞬で命を失うかも知れないとい
う恐怖に慣れることはない。
 「・・・・・真琴」
 「!」
 その胸にしがみ付いていた真琴の頭が、大きな手でそっと撫でられた。
 「無事か・・・・・?」
 「う・・・・・うん・・・・・っ」
どうして、まず自分のことを気遣ってくれるのだろう。どんなに鍛えていたとしても痛みは薄れることは無いはずなのに、それでも真琴
のことを一番に気遣ってくれる海藤の気持ちが悲しくて・・・・・嬉しかった。
 「か、海藤さん、痛い?大丈夫っ?」
 「掠っただけだ」
 「う・・・・・」
(嘘、だ・・・・・!)
 撃たれた肩を押さえている手の間からも、こんなにも血が溢れている。その姿を見て、ただ掠っただけだとはとても思えなかった。
 「・・・・・」
それでも、海藤が気遣ってくれるその気持ちに泣いているばかりではダメだと、必死で我慢しているので変な呼吸になってしまう。
そんな真琴に、海藤は苦笑して言った。
 「真琴、これは、俺達の世界ではよくあることだ」
 「よ・・・・・よく・・・・・」
 「無理だと分かっているが、一々傷付くな」
 「・・・・・はい」
(痛いのは・・・・・俺じゃ、ない・・・・・っ)
 海藤がこんな怪我を負ったのも、全ては自分のせいだ。それを、海藤は己の世界のことだと言って、真琴の罪の意識を拭ってく
れようとしている。
真琴が出来ることはただ、こうして頷くことだ。

 「大丈夫ね?」
 真琴が落ち着いたのが分かったのか、綾辻がそう言って笑いかけてくれた。
先ほどまでの切羽詰ったような声ではなく、何時ものからかう口調に、真琴は取りあえずの危機が去ったことをようやく信じることが
出来た。
 「綾辻さん、海藤さんの怪我っ」
 「ええ、分かってる。直ぐに応援を呼んで・・・・・っ」

 カチャ

 ドアが開く音に綾辻は口を噤み、同時に、真琴は海藤に顔を胸に押し付けられる。
明らかに何かがあったと分かる傷を負った海藤とウォンの姿を見られたら通報されるのは当然で、その時のためにとっさに真琴の顔
を隠してくれたのだ。
 「雑音は気にするな」
 「・・・・・っ」
 しかし、聞こえてきた声は真琴の耳にも馴染みのあるもので。
 「え、江坂さん・・・・・っ」
こんな時、一番頼りになる相手のものだった。




 とっさに真琴の顔は隠したものの、この場をどうやって言い逃れようか、さすがの海藤も肩の痛みで直ぐに思考が回らなかった。
撃たれた傷など見せたら、暴力団同士の抗争だと直ぐに勘付かれてしまう。
どんなに一般人だと真琴を擁護しようとも、その場にいるだけで・・・・・いや、海藤の愛人だというだけでどんな偏った取調べを受け
るのか分からなかった。
 「・・・・・っ」
 しかし、睨みつけていたドアの向こうから姿をみせたのは、自分よりもずっと力のある男で、海藤は無意識のうちに詰めていた息を
吐いていた。
 「雑音は気にするな」
 「え、江坂さん・・・・・っ」
 真琴も、その登場に驚いたようだ。
 「江坂理事・・・・・」
 「小田切の言っていた要注意人物が入国したという知らせを受けて、一応用心のためにやってきたんだが・・・・・」
そう言って、江坂はジュウの方へと眼鏡越しに怜悧な眼差しを向けた。
 『ロンタウ、自分の部下を全て掌握していると思うのは自由だが、色恋に目が眩んだ末にうちの有能な人間を傷付けて。どう始
末をつけてもらいましょうか』
 『・・・・・私のせいというのか』
 『狙撃した人物に心当たりがないと?そこまであなたは無能ですか』
 『黙れ!』
 江坂のジュウへの侮蔑の言葉に、とっさにウォンが傷付いていない方の手で拳銃を握りなおし、銃口を向けようとするが、何時の
間に現れたのか一人の男が無言のまま腕を捻って拳銃を落とす。
 「とりあえず、移動させていただきます」
 その言葉と同時に、廊下には何人もの男達が姿を現した。
主導権が自分の手から離れたことを自覚したのか、ジュウは一瞬真琴へと目を向けた後、無言のままゆっくりと視線を外した。