眷恋の闇
3
『』は中国語です。
まだ仕事が残っているという海藤は、夕食を一緒にとるために少し待っていて欲しいと言ってきた。
ジュウのことが気になって、海藤に知らせなければと思う気持ちで事務所まで来たものの、仕事の邪魔をしたくはないと真琴は断っ
たが、
「久し振りに外で食べるのもいいだろう?綾辻と倉橋も一緒に」
と、2人の幹部の名前も出してきた。
海藤と2人きりはもちろん、大勢で食べる食事も楽しいが、当の2人はいいのだろうかと視線を向ける。
「私も楽しみ。社長とマコちゃんと一緒だと、美味しいものが食べられるんですもの」
「お邪魔でしょうが、ご一緒させていただきます」
綾辻も倉橋もそう言ってくれて、真琴はそれが自分に対する気遣いだと分かったがありがたく好意を受けることにした。
「それと、はい、マコちゃん」
「え?」
不意に綾辻が片手を差し出したので、真琴は何のことだかと首を傾げる。
「携帯」
「携帯?」
「新しいものを用意しました。機種も番号も変更しましたので、始めは扱い難いかもしれませんが」
「倉橋さん」
「登録されている番号やアドレスも移しますので」
それがどうしてなのか、今更理由など聞かなくても分かる。
ジュウがこの携帯に電話をしてきた、ただその理由だけで携帯を変えなければならないのだろう。
(どうしてこの番号が分かったんだろう・・・・・)
真琴の知り合いから漏れるというのは考えられないし、契約している会社からと考えるのも少し怖い気もするが、今度電話が掛
かってきた時どう相手をしていいのかも分からないので、真琴は素直に今ポケットに入れていた携帯を綾辻に手渡した。
「ごめんなさいね」
謝る必要がないのに綾辻はそう言ってくれ、付いていたストラップを器用に外して新しいものに付け替えてくれる。
もうしばらく待っていてと言われて頷いた時、突然その携帯が鳴った。
「!」
その場にいた4人が、いっせいに綾辻の持っている携帯を見る。
「見るわね」
真琴に断りを入れた綾辻がそれを開くと、直ぐに表情が緩んで真琴へと携帯を差し出してくれた。
「クマさんからよ」
「・・・・・クマさん?」
【悪いな、突然。今いいか?】
「もちろんいいですよ。でも、珍しいですね」
電話の相手は古河篤志(こが あつし)。真琴がバイトをしているデリバリーピザ屋《森の熊さん》で世話になった先輩だ。
今は社会人として図書館司書をしている彼はとても面倒見が良く、真琴のことも可愛がってくれて色々助けてくれた人だった。
海藤との関係も知っていて、今でも月に一、二度、大丈夫か、元気かと電話をくれる。それでもそれは、昼の休憩時間や夜の
遅くない時間が多くて、今のような昼日中に掛けてくることは今までになかった。
「今日は休みですか?」
【いや・・・・・ちょっと、気になることがあってさ】
「気になること?」
【・・・・・今日、会えないか?飯、奢るし】
「古河さん・・・・・」
口篭るということは、電話では話せないことなのだろうか。
しかし、今日は海藤達と食事を取ることになっているしと真琴が視線を向けると、海藤は古河を食事に誘うようにと言い出した。
普段の真琴の付き合いを極力考慮してくれる海藤だが、今日はやはり単独行動は許可出来ないらしい。ジュウが係わっている
ので仕方がないかと、真琴は駄目もとで古河を誘ってみた。
「あの、海藤さん達も一緒じゃ駄目ですか?今日はどうしても・・・・・」
【魔、あ、あの人、一緒にいるのか?】
「はい、今日はちょっと用があって・・・・・」
【・・・・・うん、その方が都合がいいな。彼にも聞いてもらった方がいいだろうし】
「え?」
電話の向こうで、まだ幼い声が古河の名前を呼んでいる。どうやら仕事中にこの電話を掛けてきているらしいが、真面目な古河
がそんな行動を取ること自体が珍しく、同時に真琴は不安も感じてしまった。
(一体、何があったんだろう・・・・・)
【俺、今日は7時にあがるんだ。時間と店が分かったらメールで知らせてくれ】
悪いなと言って、電話は唐突に切れた。
「・・・・・」
「真琴」
自分も古河も声を潜めていなかったので、静かな部屋の中では途切れ途切れでも電話の会話は聞こえただろう。
「・・・・・何だろう、気になることって・・・・・」
「社長が一緒の方が都合がいいって言ってたんでしょう?」
「はい」
普通、一般人はヤクザとは係わり合いになりたくないはずだ。海藤達は見掛けは普通以上に上等な男達だが、ヤクザであること
を知っている古河は偏見はないようだが距離は置いていたと思う。
それが、会って話したいと言うのだ。ジュウのこともあり、真琴の中の不安はどんどんと大きくなってしまう。
「大勢だからやっぱり中華がいいかしら?それとも、高いお鮨でも食べさせてあげた方が喜ぶかもね」
そんな真琴の不安に揺れる気持ちを和ませてくれるように、綾辻は笑いながらポンポンと頭を撫でてくれる。
真琴はそんな綾辻を見てから海藤を振り返って、力強く頷いてくれる様子に少しだけ頬を緩めた。
古河の就業時間に合わせて、図書館まで車で向かって拾うことになった。
それをメールで知らせた時は申し訳ないと恐縮した様子だったが、実際に顔を合わせた時は懐かしい顔は変わらずに優しい笑み
を浮かべて久し振りだなと声を掛けてくれた。
「今日はすみません」
古河は直ぐに海藤に頭を下げてそう言ったが、海藤は構わないと短く答えただけだ。
初対面の者は恐れてしまうその背景にも、古河は最初から真琴のことを心配して、海藤とちゃんと向き合ってくれていた気がする。
そんな古河に対し、海藤も悪い印象は持っていないようだった。
「古賀さん、お鮨でいいですか?」
「あ、うん」
古河は頷き、改めてというように真琴を見て笑い掛けてきた。
「久し振り、元気そうだな」
「古河さんも。仕事、忙しいですか?」
「忙しいけど、楽しいぞ。生意気な子供が、読み聞かせの時は目を輝かせて話を聞いていたりしてさ、なんかそれが可愛いんだ
よなあ」
その光景を思い浮かべながら言う古河の顔はとても優しくて楽しそうで、古河は本当に良い職業を選んだのだなと、真琴は何だか
羨ましくなってしまった。
(俺も、こんな顔が出来るような仕事が見付かるのかな)
それにしてはスタートが遅過ぎたかもと思っていると、真琴を挟んで座っていた海藤が古河に声を掛けた。
「真琴に話があるようだが、それは俺達が聞いてもいいことなんだな?」
食事を共にとることを了承した時点でそれは予想していたことだが、それでも一応聞いてみるといった感じだ。すると、真琴に向け
ていた柔らかな表情から少し変化した真面目な顔で、古河ははいと頷くと海藤を真っ直ぐに見る。
「どちらかというと、海藤さんに聞いてもらった方がいいかもしれないですから」
「俺に?」
「ええ」
「古河さん、それっていったい・・・・・」
「真琴、店に着いてからゆっくり聞こう」
「・・・・・はい」
古河が言おうとしていることが気になって仕方が無かったが、確かに車の中では落ち着かないかもしれないと真琴は口を閉ざして
窓の外を見つめた。
古河という男がどういう男か、同じ店で働いている時から海藤は事前に調べて知っていた。
今はそのバイト先も止めてしまったが、自分達のようなものと知り合いになったということだけでも用心した方がいいかもしれないと、
本人は気付いていないが定期的に様子を調べさせてもいた。
古河は海藤の生業を知っていたが、真琴の幸せを第一にと考えてくれているようで、頭から別れろということは言わないようだっ
た。
そんな古河には真琴も懐いていたし、自分が傍にいることが出来ないバイト先のことはこの男に任せておけばいい・・・・・海藤にそう
思わせるほどには、古河は信用のある男ということだ。
「うわ、俺、こんな高級な鮨屋、初めて来たぞ」
銀座の予約していた店に着き、座敷に案内された古河はそう呟くが、その言葉には卑下したような響きなどなく、純粋に驚いて
いるといった様子が垣間見えた。
「ほら、今日のお客様はこちら」
「すみません」
言葉の少ない自分の代わりに、綾辻が積極的に古河と話してくれる。
今日、ジュウと会って精神的に不安定になっているだろう真琴の気分転換にと綾辻と倉橋を誘ったのだが、ここまで着いてこさせた
ことも間違いではなかったようだ。
「好きな物、じゃんじゃん頼んでよ」
「はあ」
「本当は、この座敷で握ってもらうことも出来るんだけど、今日は話があるっていうし、向こうで握ってもらうけどいいかしら?」
「もちろんです」
先ずは飲み物をということで酒とビールを頼み、それぞれの好きなネタを握ってもらうことにした。
若者らしく食欲旺盛な様子で、それでいて、あまり高いものを頼まない古河は本当に出来た男だろう。そこまで気を遣ってしまうと
返って疲れるのではないかと思うが、どうやらそれは彼の性分・・・・・らしい。
「サイドメニューも豊富なのよ?小鉢もあるけど、焼き鳥や唐揚げもあるから」
「へえ」
テーブルの上は次々と運ばれてくる料理や酒で一杯になり、それぞれのグラスに注いで形ばかりの乾杯をして。
海藤は古河がビールの入ったグラスをテーブルに置くまで待ってから口を開いた。
「話は飯の後にするか?」
「いえ、今のままじゃ気になって飯も食えないし。良ければ今から話しますけど・・・・・」
そう言った古河の視線は真琴に向かい、真琴の視線は海藤に向けられる。
縋るようなそれに頷いて見せると、真琴は古河を振り返った。
「お願いします。何があったんですか?」
「ここ数日、図書館や児童館の周りに変な車が停まってるんだ」
「車?」
唐突な切り出しに、真琴はその意味が分からないようだったが、海藤はそれだけで古河が危惧していることが分かってしまった。
(まさか、ここまで手を回していたのか・・・・・)
「今日もいて、チラッとしか、車に乗った相手を見ることが出来なかったけど、俺の気のせいじゃなかったら、多分あの時の・・・・・
ほら、日本人じゃない、あの男のように思えてさ」
「!」
真琴が肩を揺らす。海藤はそれを宥めるように抱きしめた。
(日本で、自由に動くことは無いと思うが、用心に越したことは無い)
じっくりと顔を見合わせたことは無いはずだったが、あの男は古河のことを覚えていた。
その認識は真琴に近いということだけだろうが、それを最大限に利用しようとしているのだと感じ、その用意周到さにこちらも早く対
処をしなければという思いが膨らむ。
真琴に近いとはいえ、まさか全くの素人である古河に手を出すことは考えられないが、手段を選ばないで目的を達成しようとする
のならばそんな常識は通用しないかもしれなかった。
「分かった、こちらでも手を打つ」
「あ、でも、ああいう場所に、その・・・・・特殊な職業の方が係わるのは、あまりいいことじゃないんですけど・・・・・すみません」
「いや、謝罪は必要ない」
公共の場、それも子供が関係する場所に、自分達のような立場の人間が近付くのは拙いということは海藤も自覚している。
それならば・・・・・一番安全な組織を動かすしかない。
「心配いらないよう、何とか手を回そう」
「海藤さん・・・・・」
「心配するな」
不安そうな表情の真琴を元気づけるように言った海藤は、直ぐにこれからのことを頭の中で目まぐるしく考える。
こちらで動かせる駒には限りがあるが、自分達と全く無関係の人間を傷付けさせるわけにはいかないことは十分に分かっていた。
思ったよりも早くジュウは動いているようだ。
(近いうちに、向こうから連絡を取ってくるだろうな)
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