眷恋の闇
4
『』は中国語です。
食事が済むと、古河は自分の分は払いたいと申し出てきた。
しかし、海藤は無理に付き合わせたからと言って受け入れず、古河もそれではと引き下がってくれた。
今、海藤は煙草を吸うために店の外に出て、綾辻と倉橋は車を取りに向かっている。そこで、2人きりになった真琴は、古河に
向かって改めて頭を下げた。
「今日は突然付き合わせてすみませんでした」
「いや、俺の方こそ久し振りにマコの顔が見れたし、こんなに美味い物も食わせてもらって嬉しかったよ。今度は俺の方がマコと魔
王に奢るかな」
せいぜい居酒屋だけどと笑う古河の言葉が嬉しかった。自分だけではなく、海藤まで誘ってくれる古河にとって、海藤は真琴の
恋人としてちゃんと認知してくれているのだ。
きっと、海藤も嬉しく思ってくれると思う。居酒屋でも、ラーメン屋でも、それこそハンバーガー一つでも、普通に接してくれる貴重
な存在として、これからも付き合いを温かく見守ってくれるだろう。
「・・・・・マコ」
「はい?」
「悪かったな。俺、余計なことかもしれないって思ったけど、どうしてもあの横顔が気になってさ。こっちは子供を大勢預かる場所だ
し、お前のことだって心配だったし」
「教えてくれて良かったです。海藤さんも色々と考えることが出来るみたいだし、俺だって、古河さんに何かあったら心配ですから」
自分に連絡を取るまで、古河もきっと悩んだと思う。
単に見間違いかも知れないという可能性の他に、自分が余計なことを言って、真琴に何か影響があるのではないか・・・・・まるで
本当の身内のような優しさを向けてくれる古河に、真琴は本当に感謝した。
(多分・・・・・古河さんが見間違うはずないし)
数年前のこととはいえ、古河も係わったジュウのことだ。強烈な印象は残っているだろうし、今日大学に来たということでも彼らに
間違いはないだろう。
「大丈夫か?」
「え?」
真琴の頭を軽くポンポンと叩いてくれた古河は、少し言いよどんだが・・・・・やがて、思い切ったように口を開いた。
「お前があの人を好きなのは分かってるし、あの人もお前を大切にしてくれているけど・・・・・やっぱり、生きている世界は違うんだ
と思う。本当に、大丈夫なのか?このまま側にいても」
「古河さん・・・・・」
海藤やその部下が直ぐ側にいる状況で、その言葉を言うのがとても勇気がいることだというのが分かる。
それほどに、自分のことを気遣ってくれる古河に、真琴は感謝の思いと共に大丈夫ですとしっかりと答えた。
「俺、これでも強いですから」
「マコ」
「でも、心配してくれて嬉しいです。古河さん、なんか、父さんみたい」
「・・・・・せめて、兄貴っていえよ」
苦笑した古河は、また真琴の頭を撫でてくれる。
バイトを辞めてから会う機会はぐっと減ったが、それでも真琴にとって古河は大切な存在に変わりなかった。
「あっ、携帯!」
「ん?」
そのまま古河と向き合い、ホンワカした気持ちになっていた真琴だったが、店の外に迎えの車がきたのが見えた時、ハッと大切な
ことを思い出した。
「携帯変えたんです。アドレスはまだ考えていないから後でメール送りますけど、先に番号だけでも教えておきます」
「番号変えたのか?」
「は、はい」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・森脇(もりわき)には、俺から教えてもいいか?」
「すみません」
思うことはあるだろうに、大丈夫だと言った真琴の言葉を尊重して何も言わない古河。その気持ちに感謝しながら、真琴は数時
間前に受け取ったばかりの新しい携帯を鞄の中から取り出した。
マンションに帰り、先に風呂に入った真琴が、熱さで顔を上気させながらリビングに戻ってきた。
「ちゃんと温まったか」
「うん、お先に」
キッチンに向かって冷蔵庫を開けている真琴を見ながら、海藤はどうやら今日のジュウの出現が真琴にそれ程影響を残していな
いことに安堵した。
もちろん、直接会ってしまった衝撃を忘れることは出来ないだろうが、綾辻と倉橋を食事に誘い、その上古河という真琴のテリト
リー内にいる存在がいたことによって、不安定な感情はどうやら落ち着いたらしい。
「今日はご馳走様でした。今度は、俺に奢らせてください。あ、でも、2人きりは無しで」
自宅に送り、車を下りる際に言った古河の言葉を思い出して、海藤の口元には笑みが浮かんでいた。
真琴への強い独占欲と執着を自覚した時、一時はバイトも辞めさせようかと思ったほどだが、あの店の存在は真琴にとっては欠
かせないものとなっていたし、出会った者達も良い影響の者達ばかりのようだ。
(辞めさせなくて正解だったということか)
「・・・・・」
「・・・・・」
キッチンから戻ってきた真琴は、ソファに座っている海藤の隣に腰を下ろす。
パジャマ姿の真琴とは違い、海藤はまだスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた姿のままだった。
「・・・・・海藤さん」
「どうした?」
「・・・・・心配掛けて、ごめんなさい」
「・・・・・」
「なんか、何時も海藤さんに心配ばかり掛けてる気がする。俺なんかより、凄く忙しいのに・・・・・」
「真琴」
俯いてしまう真琴の肩を抱き寄せると、海藤は心配をさせてくれと言った。
「それが、恋人である俺の特権だろう?」
「でも・・・・・」
「それに、心配がなくなってしまうのも寂しい。お前は早く独り立ちしたいと思っているかもしれないが、俺にとっては何時までも腕
の中に閉じ込めて守りたい存在でいて欲しいくらいなんだ」
出会った時はまだ大学に入学したばかりだった真琴も、今年で4年生。
来年には卒業を迎え、順調に行けば社会人になる。20歳を過ぎた頃から、真琴自身、海藤に頼らないようにと気をつけている
ようだが、海藤としては何時までも頼って欲しいし、本当ならばスーツの内ポケットに入れて持ち歩きたいほどに大切で愛しくてたま
らないのだ。
「・・・・・」
海藤の言葉に真琴は恥ずかしそうな笑みを浮かべたが、直ぐにふっと表情を厳しくすると、海藤の手に自分の手を重ねた。
「俺だって、海藤さんを守りたいんです」
「真琴」
「・・・・・ジュウさん、俺に会いに来たんです、よね?」
違うと言わせない真琴の眼差しに、海藤は深い溜め息をついた。
「・・・・・多分な」
海藤の言葉に、真琴は無意識のうちに手に力がこもった。
どうしてジュウがこれほど自分に拘るのかは分からないが、あの時も・・・・・たった数度言葉を交わしただけの自分を、香港に連れ
て行こうとした。
あれから随分と時間が経ち、その間ジュウからの接触は無かった。とうに自分のことを忘れているのだと思っていたし、真琴の中
でも忘れることは出来ないが過去の存在として、記憶の片隅に追いやった存在なのだが・・・・・。
「・・・・・もしかして、海藤さんが大変になりますよね?俺のせいで・・・・・」
「違う」
「・・・・・」
「お前の側にいる者として、この挑戦を受ける権利があるということだけだ。確かに、あの男は圧倒的な権力を持っているが、それ
とこれとは違う問題だ」
「・・・・・」
(嘘、だ)
絶対に、ジュウの立場は海藤を追い込んでしまうと思う。
その理由が海藤の仕事だったとしても心配で仕方が無いと思うのに、それが自分のせいだとしたら・・・・・真琴は強く手を握り締め
てしまった。
(何かしなきゃ・・・・・ジュウさんに会う、とか・・・・・)
大学に来たくらいだ、こちらから何らかのアクションを示せば、ジュウは真琴に連絡を取ってくるのではないか?
日本で、それ程無茶なことはしないはずだしと考えていると、真琴の手に海藤の手が重なってきた。
「お前は考えなくてもいい」
「え・・・・・?」
まるで真琴の頭の中を覗いて見たかのような海藤の言葉に、真琴はビクッと肩を揺らしてしまった。
その反応で、真琴が何をしようか予想が付いたのだろう、海藤は無言のまま真琴の肩から手を離し、
「うわっ」
いきなり、真琴の身体を抱き上げた。
「か、海藤さん?」
「お前は言葉で言っても分からないだろう?」
「え?」
「下世話だが、身体で話し合いをしようか」
「えぇっ?」
普段の海藤ならば言いそうに無い言葉に、真琴は焦ったように視線を彷徨わせてしまう。
しかし、あまりにも驚いたせいで、さっきまで自分が何を考えていたのか一瞬で忘れてしまい、真琴はただ海藤の腕から落とされな
いように慌ててその肩に手を伸ばしてしまった。
「俺が戻って来るまで寝るなよ」
もちろん、真琴が眠れるはずがないと分かっていたが、海藤はそう言い残してバスルームに向かった。
何時もはあまり直接的な言葉で誘うことは無い海藤の態度に、真琴はずっと動揺したままでいる。そのおかげで、どうやら頭の中
からジュウのことは消えてしまったようだ。
「・・・・・」
それがたとえ一時のことだとしても、海藤は真琴の中を占めるジュウの影を消し去ったことに安堵していた。あのまま、真琴の考え
を中断しなかったら、自分からジュウの腕の中に飛び込んで行きかねなかったはずだ。
「・・・・・それだけは駄目だ」
あの男は真琴に対しては穏やかな顔を見せていたが、実際は冷酷で容赦ない采配をするマフィアのトップだ。真琴の優しい気
持ちを利用することなど容易いことだろう。
今は、真琴をジュウに近付けさせない。これを徹底しなければならない。
「・・・・・」
海藤は頭からシャワーを浴びながら目を閉じた。
大東組でも、近々新しい人事のことで騒がしくなる。個人的なことでその力を利用することは出来ないし、海藤自身も簡単には
動けなくなるかもしれない。
(誰か付けておく必要があるな)
倉橋も綾辻も、個人の仕事を抱えている。真琴にべったり付いてガードする時間はないだろうと、真琴の護衛を改めて考えてお
いた方がいいだろうと思った。
寝室に向かうと、真琴はベッドの上に座り込んでいた。
ベッドヘッドの明かりに照らされた横顔は不安そうで、海藤が離れていた僅かの間にまた何かを考えていたのかもしれない。
「寝ていなかったのか」
「・・・・・うん」
そのままベッドにまで歩いていき、片足を乗せると僅かにスプリングが揺れた。
「何を考えていた?」
「何、って」
「ジュウのことか?」
「か、海藤さんっ」
「今からは、俺のことだけ考えてくれ」
命令ではなく懇願するように言った海藤は、そのまま真琴の頭を抱き寄せて唇を重ねる。
素直に海藤の舌を受け入れる真琴はそのまま舌を絡めてきて・・・・・海藤は目を細めながらその表情を見つめ、真琴のパジャマの
ボタンに指をかけた。
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