眷恋の闇
33
『』は中国語です。
綾辻の言葉通り、それから30分もしないうちに安徳と城内、そして綾辻の部下である久保がやってきた。
彼らが座敷に姿を現した時、真琴は直ぐに立ち上がり、
「ごめんなさい!」
深く頭を下げて言えば、口々に顔を上げてくれと言われたが、真琴はたとえそれが自己満足の行為だったとしても、先ずは迷惑を
掛けたことを謝罪したかった。
特に、大学の校門で制止を振り払った安徳に関しては、真琴は本当に迷惑を掛けてしまったと思う。
今から考えれば馬鹿なことをしてしまったと後悔するが、あの時の自分は真哉のことしか頭の中に無く、ジュウの指示通りにしなけ
ればならないと思ったのだ。
「こちらこそ、申し訳ありませんでした」
「あ、安徳さん?」
「前回に引き続き、またあなたを危険な目に遭わせてしまいました。会長や綾辻幹部からあなたを託されたというのに、こんなこと
になってしまい、本当に申し訳なく思っています」
淡々とした口調でそう言った安徳に、真琴は反論しかけて・・・・・口を噤んでしまった。
(俺が・・・・・こうさせてるんだ・・・・・)
たとえ真琴の身勝手な行動が招いた上での危機も、海藤からその護衛を託された安徳に最終的な責任が掛かってしまうのだ。
彼に頭を下げさせているのは自分だという自覚をしなければならないと、真琴は唇を噛み締めた。
「安徳、城内、久保」
そんな真琴の代わりに、海藤が口を開く。
「今回は御苦労だった」
「会長・・・・・」
「お前達がしっかりと後方を固めていてくれたからこそ、真琴は今ここにいる。俺にとってはその事実が一番大切なんだ」
「海藤さん・・・・・」
海藤の表情は穏やかで、真琴には彼が慰めではなく本当にそう思っているということが伝わった。今回怪我をしてしまった海藤がそ
う言うのだ、真琴はこれ以上謝ることは出来ない。
それは安徳達も同様で、海藤に労をねぎらってもらえば、頭を下げることは出来ないだろう。
「綾辻、お前も後で褒めてやってくれ」
「ええ。吐くほど奢っちゃいます」
綾辻はそんな海藤の対応を予期していたらしく、にこやかに笑いながら自慢げに自分の部下を見つめている。彼らにとって海藤の
言葉や綾辻の眼差しこそが、一番の褒美なのだろうなとその表情を見て感じることが出来た。
安徳達の姿を見た途端、真琴の顔に大きな安堵の色が浮かんだのが分かった。いくら言葉で無事だと伝えても、その顔を見る
までは安心出来なかったのだろう。
真琴が本当に落ち着いたのを見計らい、海藤は静かに茶を飲んでいる江坂に視線を向けた。
「江坂理事」
「なんだ」
「彼らのことですが」
それだけで、江坂は海藤が言いたいことが分かったのだろう。
「本人達の希望を聞く」
「希望?」
「今回の銃撃は向こうの内紛だろう。今帰っても反乱分子を特定するのには時間が掛かるだろうし、日本から指示を与えたいと
いえばそれをバックアップしてやるようにと組長から言われている」
もちろん、それはジュウの生命を心配しての話ではなく、恩を売るための好機を逃さないためだというのはよく分かった。
香港伍合会は大陸でも一、二を争う大きな組織で、そこのロンタウとなればその権力はかなりのものだ。
今後、大東組が向こうとコンタクトを取った時、出来るだけ優位な条件を突きつけるためにも、ジュウを厚遇するのは無駄ではな
い。
「帰国すると言ったら?」
「日本から出るまでは責任を持つが、向こうに戻った後は関知しない」
「・・・・・そうですか」
(どうするだろうか・・・・・)
真琴からきっぱりと拒絶された上、自らも暗殺されかけたジュウは、このまま香港に帰国するかどうか・・・・・海藤には想像が出来
なかった。
結束が固いと言われる大陸の組織。そんな中、今回で二度も裏切り者を出してしまったジュウのロンタウとしての資質に、今回
は堂々と異を唱える者が出てくるかもしれない。
どちらにしても被害は最小限だったし、その後の厳しい粛清はあっただろうが。
「どちらにせよ、この日本にいる限りは大東組が守る。気に食わないという子供っぽい感情は持つな」
「はい」
もちろん、それについての上の決定に海藤は従うつもりだ。真琴の恋人としての立場と、組織の一員としての立場は理解してい
るし、海藤としてもここで彼を再起不能にまでするつもりは無かった。
「それよりも、海藤、分かっているのか?襲名式は来週だぞ」
「ええ」
「事務手続きは倉橋が滞りなく進めているようだが、一番重要なのはお前の心構えだ」
そう言った江坂は、チラッと真琴に視線を向ける。
「・・・・・知っているのか?」
「話しました」
「・・・・・」
堂々と言い切る海藤に、その件では決着が着いているらしいことを悟った江坂が、なぜか少し頬を緩めた。
「本人がよければ、ここに連れてくるといい」
「江坂理事」
「私も連れてくる予定だ」
彼がわざわざそう言う相手は、真琴の友人でもあるあの青年のことだろうか。
「晴れ姿は見てもらいたいものだろう?」
重ねて、珍しく軽口を言う江坂を、安徳と城内は驚いたように見つめている。
しかし、江坂の青年・・・・・小早川静に対する執着を知っている海藤にとって、その言葉はあまりにも当然のように聞こえた。
「本人に聞いてから決めます」
「そうか」
江坂はそれ以上強くは勧めない。
その絶妙な引き際に、海藤は感謝の意を示すように軽く頭を下げた。
「ミスタージュウが話があると」
そんな声に江坂が座敷を出て行ってから、真琴は何だか落ち着かなくて視線を彷徨わせてしまう。
彼が江坂に何を言うのか、ジュウに対して怒りしかぶつけることが出来なかったことを思うと、あれでもう二度と会えなくなってもいい
のかと自分自身に問い掛けてしまうのだ。
(全部がジュウさんのせいじゃないのに・・・・・)
最初から、きっぱりとした態度を取らなかった自分にももちろん非はあるし、それについては改めてちゃんと謝罪したいと感じた。
ただ、今彼に会うのは、少し・・・・・怖い。
「・・・・・」
「どうした?」
真琴の表情を気にして、海藤が話し掛けてくれた。
「う・・・・・ん」
「気になるか?彼のことが」
「・・・・・ごめんなさい」
否定は出来なくて謝ると、海藤は撃たれていない方の手でくしゃっと髪を撫でてくる。
「その気持ちは分かるが、今は会わせない」
「海藤さん・・・・・」
「俺が、会わせたくない」
そこまできっぱりと言う海藤に、それでもと言い返すことはとても出来なくて、真琴はただ頷くとギュッと膝の上に置いた手を握りし
めた。
部屋のドアが開く。
『では、そのように』
中国語でそう言った江坂がドアを完全に閉めたのを見計らい、綾辻はわざと笑みを浮かべながら近付いた。
元々気配には敏いはずの男だ、そこに誰かがいると分かっていたのだろう、綾辻の顔を見ても驚くことなく、何をしていると平坦な声
で訊ねてきた。
(ほ〜んと、面白みが無いんだから)
「どうなったのかなって思って」
「海藤か?」
「いいえ〜、個人的な趣味で」
「・・・・・」
一瞬、江坂は口を噤むかなとも思ったが、隠してもいずれ分かると思ったのか、江坂は案外簡単に口を割ってくれる。
そもそも、自分相手に長く時間を取りたくないのかもしれない。
「帰国したいと言って来た」
「へ〜、やっぱり」
裏切り者の粛清は迅速ということが一番の条件だ。それが遅れれば遅れるほどに求心力は低下してしまう。それを避けるために
も、ジュウは今この瞬間にも香港に戻りたいというのが本音のはずだ。
「うちの立場は?」
「襲名式が終わるまでは日本から出さない」
「問題は起こしたくないですものね」
今の組長である永友が襲名した時もそうだが、今回の理事替えや新総本部長の発表は大東組の組織内の大々的な若返り
としてマスコミでも大きく取り上げられていた。
こういう時にいくら組とは関係ない話だとはいえ、余計な事件で絶対に大東組の名前を外には出せない。
(こういうとこ、警察に似てるかも)
「・・・・・綾辻、空港でのお前のやり方は少々乱暴だ。後の始末をどう付ける気だった?」
「あら、尻尾を捕まれるようなことはしていませんけど」
「入れ知恵をしたのはどちらだ?倉橋か?」
「克己は関係ないわ。理事、あんまり冷たいこと言うと、私も怒っちゃうわよ?」
目を細めると、江坂は顎を上げた。この男に、自分の脅しは効かないとは分かっているものの、この一件に関しては倉橋は無関
係だと一応言っておくことは必要だ。
「向こうで押さえている人間の処遇はどうします?それとも、江坂理事が直接小田切さんと話します?」
その言葉に、江坂の眉間に皺が寄った。
どうやら、自分以上に小田切を嫌っているのがよく分かる。
(早くこの名前を出せば良かった)
「向こうで押さえている人間の処遇はどうします?それとも、江坂理事が直接小田切さんと話します?」
綾辻の言葉に江坂は眉を顰めた。
確かに、小田切とは首謀者の身柄の件で話をしなければならないが、江坂はあまり小田切と話したくは無い。能力はずば抜けて
優秀な男だが、その性格はというと・・・・・江坂の理解の範疇外だった。
出来れば、綾辻に対応してもらった方が自分の手もわずらわないで済む。
「・・・・・殺さないように言っておけ」
「は〜い。あ、それと」
「まだ何かあるのか」
「襲名式が終わるまで、彼らはどこに軟禁するんです?」
「・・・・・」
(人聞きの悪い)
綾辻がわざとそういう言い方をしているのだと分かり、江坂はさらに渋い表情になった。
「ここに置いておくんですか?」
「そんな無茶はしない。こちらが用意したホテルで丁重にもてなす」
「・・・・・了解」
聞きたいことはきいたと、綾辻は軽く手を振って背中を向ける。
いったい何をしに来たのだと考え、江坂はふと真琴の顔を思い出した。あの一発で全ては終わったかと思っていたが、どうやらそうで
はないのかもしれない。
(ご苦労なことだ)
想像はついても、それが真実だとは限らない。
それでも江坂はこれ以上深入りをするつもりは無かった。
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