眷恋の闇




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                                                                     『』は中国語です。






 数日前に来たばかりの千葉の総本部に着くと、大きな家の周りには物々しい何台もの黒い車と、数えられないほどの黒服の男
達、それと同じくらいの警察官の姿があって、真琴は思わず息をのんでしまった。
 「一応、日本でもトップクラスの組の襲名式でしょ?あっちも万が一のことを考えてお仕事してるのよ」
 「・・・・・」
 「うちとしては、ただで警備をしてもらっているつもりで助かるけど。ああ、マコちゃんの顔は知られないようにしているから心配しない
でね」
 本当にと訊ねたくなるのを辛うじて抑えた真琴は、出来るだけ外から顔が見えないように身体を縮こまらせる。そうでなくても、車
にはスモークが貼られていて、そう簡単に外からは見えないことは分かっているのだが・・・・・どうしても気になって仕方が無かった。
(俺のこと・・・・・警察の中でも知られているのかな)
 この世界には、海藤の愛人である真琴の名前は広く知られているらしい。
自分の知らないところでどんな風に噂をされているのか想像するだけでも怖いが、きっと男である海藤に男のくせに擦り寄ったと蔑
まれているのではないかと思う。
 自分が男で、その上で海藤を好きになったことを後悔はしないが、真琴は本当に自分が今日ここにいてもいいものだろうかと未だ
に迷っていた。

 「俺が上にあがるのを見届けてくれ」

でも、海藤はそう言った。

 「俺と共に生きてくれると言ったお前には、どんなことも隠したくない」

頭を、下げてくれた。
これまで真琴のことを考えて、意識して裏の仕事のことを何も言わなかった海藤が、改めてそう言ってくれたことは素直に嬉しいと
思う。
(・・・・・ちゃんと、見ていないと・・・・・)
 「・・・・・」
 車は多くのチェックを潜り抜け、建物の裏手へと回っている。もちろんここにも警察官や組員の姿はあるものの、表と比べれば随
分と少ない。
 「このまま中に入るから」
 「あ・・・・・」
そう言った綾辻が、真琴の頭を抱き寄せ、胸元に顔を押し付けた。彼の愛用しているコロンが香る。
 「社長には内緒ね」
 「・・・・・すみません」
真琴は自分からも綾辻の胸に深く顔を伏せ、中を覗き込もうとしている者達の視線から逃れた。




 永友の襲名式以降、久々の大きな義理事で、警察も張り切って人数を出したようだ。
(あの中に、うさちゃんがいたりして・・・・・ねえ)
海藤の腹違いの弟は、警視庁組織犯罪対策部第三課の警視正だ。
ヤクザとは対極の存在であるその弟が、今日この場にいたとしたら・・・・・笑うに笑えないだろう。キャリアでもある彼が現場に出るこ
とは少ないとは思うものの、綾辻は一応部下に一言言っておこうと思った。
 「着きました」
 「ありがと、キーチ」
 裏門をそのまま車でくぐり、裏口に着いたと城内が告げ、助手席にいた安徳がドアを開けてくれる。
 「マコちゃん」
 「は、はい」
緊張した面持ちで車から出てきた真琴は、少し怯えた表情だ。
(まー、ごつい男達ばかりだものねえ)
真琴がここに来るのは二度目だが、前回はジュウのこともあって落ち着かないままに辞した。多分、どんな場所だったか、真琴の中
ではぼんやりとした記憶しか残っていないだろう。
 今回も、真琴は同じ敷地内の別棟に用意された控え室で待つことになっている。傍に置いておきたいという思いと同時に、深く
この世界に係わらせたくない海藤の、これがギリギリの選択だったようだ。
 「あら」
 「・・・・・」
 真琴を連れて歩いていた綾辻は、目の前から歩いてきた男の姿に思わず口元を綻ばせる。
 「呼び出されちゃった?」
 「こういう時ですから手伝うのは当たり前です」
 「じゃあ、組長さんも来てるの?」
 「楓さんもいらしてますよ」
 「楓君が?」
思わず声を上げた真琴に、ようやく挨拶する切っ掛けを見つけたと思ったのか男・・・・・日向組若頭、伊崎恭祐(いさききょうすけ)
が丁寧に頭を下げた。
 「このたびは海藤会長の理事就任、おめでとうございます」
 「あ、ありがとうございます」
 気分は夫の部下に返礼する妻だろうかと思わず微笑ましく思ってしまうが、真琴は伊崎の口から出た名前が気になっているよう
だ。
 「あの、楓君も来ているんですか?」
 「ええ、彼はこちらのご老人方に可愛がってもらっていまして・・・・・こういう時にはよく呼ばれるんです」
 「そう、なんですか」
 弱小ヤクザの組である日向組が、ここまで大東組に重用されているわけ・・・・・それは、ひとえに現組長の弟である楓の存在か
らだ。類稀な美貌とその気性ゆえか、楓は大東組の幹部達に幼い頃から可愛がられ、事あるごとに本家へ呼ばれていることは良
く知られていることだ。
 今回もそうらしいなと、綾辻はお守り役である伊崎にウインクしてみせる。
 「大変ねえ、お姫様も」
 「ですが、今日は西原君と小早川君も来られるということを聞いて楽しみにされていましたよ」
 「へ~、理事・・・・・っと、総本部長、彼連れて来たのね」
 「控え室にいらっしゃいます」
 「よし、じゃあ、行こ、マコちゃん」
 「はい」
気心の知れた友人達の名前を聞いた真琴も、どうやら緊張感が解けたような感じだ。これはこれで良かったのかもと、綾辻は真
琴を促して再び歩き始めた。




 廊下には幾人もの体格のいい男達が並んでいる。
廊下を歩く真琴や綾辻に向かって頭を下げるものの言葉は発せず、近付くに連れてその鋭い眼差しなどがよく見えて、この男達
がこの場所を守っているのだということが分かった。
 「ここよ」
 「あ、はい」
 緊張しているうちに何時の間にか目的の場所に着いたらしく、綾辻があるドアの前に立って軽くノックをする。
しばらくして顔を覗かせたのは、先日色々と協力をしてくれた江坂の部下だという男だった。
 「よくいらっしゃいました」
 「あ、あのっ」
 「・・・・・」
 「あの、先日は色々とありがとうございました」
 この場で言ってもいい事なのだろうかと一瞬躊躇はしたものの、真琴はどうしても礼を言いたくて頭を下げる。すると、男は穏やか
な笑みを湛えたまま、いいえと柔らかく言葉を返してくれた。
 「何事も無くて何よりでした。中に小早川君と日向組の坊ちゃんがお待ちですよ」

 「真琴っ」
 「真琴さん!」
 「静、楓君」
 自分とあまり変わらないような格好の2人は、真琴が部屋の中に入っていった途端駆け寄ってきた。
ジュウのことは何も伝えてはいなかったが、それぞれの恋人から簡単な話を聞いていたのか2人は真琴の手を握り締め、じっとその
顔を見てくる。
(・・・・・綺麗)
 綺麗な顔の2人は真剣な顔をしても綺麗だなと思わず見惚れていると、
 「もうっ、心配したんだから!」
そう言った楓が抱きついてきた。華奢に見えるのに、背中に回った手の力はとても強い。
 「そうだよ、水臭い。俺にも相談して欲しかった」
そして、何時も感情の動きは僅かなのに、今日ばかりは眉を顰めて少し怒ったような顔をする静が、真琴の頭を軽く小突く。
 「・・・・・ごめん、俺も、どうしていいのか分からなくて・・・・・」
 「でも、終わったんだよね?」
 「・・・・・うん」
 まだジュウが日本にいるということを知っているのかどうか分からないので、真琴の言葉は微妙に揺れてしまった。
 「真琴さん、俺に話してくれたら良かったのにっ。あいつ、また性懲りも無く人の恋人に手を出して・・・・・っ」
 「楓君」
自分のことのように怒り、心配してくれる2人の言葉や態度が嬉しくて、真琴は泣きそうになるのを何とか我慢してもう一度礼を告
げた。




 「海藤さんが理事を受けるとは思わなかった。あの人、そういうことにあまり興味がなさそうだったし」
 バリッと、煎餅を口にした楓が感心したように言っている。さすがにこの世界に身を置いているので、様々な事情は聞いているのか
もしれない。
 真琴が来たことで、新たな飲み物と菓子が運ばれてきた。
ホテルのリビングのような部屋。全て新調されたのだろうなと分かる真新しいソファや、壁紙。
アンティークのテーブルの上には、ケーキに、和菓子に、煎餅。飲み物も何がいいかと訊ねられ、何だか来賓にでもなった気分にな
るなと、むさ苦しいお偉いさんがいる場所に挨拶に行かずにそのままソファに座った綾辻は、優雅にコーヒーを口に運んだ。
(当然か。あの人のやることにそつはないだろうし)
 そもそも、仕事とプライベートはきっちりと分けて考える江坂が、この場に静を連れて来たこと自体が異例だった。
海藤もそうだが、江坂にも共に暮らしている愛人がいることは広く知られており、それが男だというのも一部の者は知っている。若く
して理事になり、その手腕をいかんなく発揮して、まだ30代だというのに組のNo.3の総本部長という地位にまで上りつめた江坂
には、海藤以上の妬みや憎悪が向けられていた(本人は意に関していないようだが)。
 そんな真っ只中に、自分のもっとも愛する者を連れてくるということは・・・・・。
(もしかしたら、組長に面通しするかもね)
未だ独身である江坂には、これから降るほどの縁談の話がくるだろう。その地位から、かなりの身分のものだろうが、その相手を何
の遺恨もなく断るには、せめて組長には静の存在を知らせておいた方がいい・・・・・彼はそう考えたはずだ。

 トントン

 不意に、ドアがノックされる。
部屋の時計を見上げれば、まだ式が始まるまで30分ほどあった。
 「は~い、と」
 この部屋の中には真琴と静と楓、そして自分しかない。必然的に自分が対応するために、綾辻は立ち上がってドアを開いた。
 「・・・・・やっぱり、ここでサボっていましたね」
廊下に立っていたのは倉橋だ。何時も隙の無いスーツ姿だが今日もいちだんとスタイリッシュで、髪も上げて綺麗な額の形が見
えている。
(今日も美人ね~)
 「おはよ、克己。だって、誰かがいた方がいいでしょう?」
 「安徳と城内はどこにいるんですか」
 「えー」
 「彼らに任せておけば安心でしょう。重鎮の中にはあなたに会いたいと仰られている方もいますよ。面倒だと思わないで、このまま
私と一緒に来てください」
 綾辻に言いわけを許さないように一気にそう言った倉橋は、そのまま部屋の中に入り、先ず静の前に立って深く頭を下げた。
 「今回は江坂理事の総本部長への就任、おめでとうございます」
 「ありがとうございます」
丁寧な倉橋の祝辞に、静は笑って礼を言う。
続いて、倉橋は真琴に向かった。
 「海藤会長の理事への就任、おめでとうございます」
 「倉橋さん・・・・・・」
 「これからも、海藤会長を支えていきますので・・・・・あなたもどうか、あの方の傍にいてください」
真摯な倉橋の言葉に真琴は声に詰まってしまい、ただコクコクと頷くことしか出来なかった。






                                           






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