『』内は外国語です。
そして、午前中最後の子供達の出番となる競技が始まろうとしていた。
「え?じゃあ、じろーがよんだらいっていいの?」
「ええ、君達もそうですよ?」
5人の子供達を前にして、小田切はまるで保育士のように腰を屈め、穏やかな表情で言い聞かせた。
傍目から見れば確かに微笑ましい光景のはずなのに、なぜだか小田切が関わっているというだけで何か裏を感じ取っているのは
ごく一部だけではないだろう。
「よんでくれるかな?」
期待を込めたように真琴が言うと、楓は当然と言うように頷く。
「きょーすけがおれをよばないわけないもん!」
「アレも、ともくんすきだもんな〜」
「そ、そうかな?」
「うん、おれもそーおもう。りょーじおにいちゃん、こんどははしってくれるかなあ」
静が見ているだけでも、江坂が競技に出ている姿は無かったと思う。
渡されたプログラムに江坂の似顔絵が書いてある時でも彼は出場せず、そのたびに静が訊ねるとそうなのかなという説明をされて
しまった。
全ての競技を満遍なく見ていなければならない偉い立場の江坂のことを大変だとは思うが、走っているカッコいい江坂の姿も見た
いなあと思ってしまうのだ。
「大丈夫ですよ、静君、江坂も絶対に出ますから」
「ほんとう?」
「ええ」
にっこりと笑う小田切に、静も期待に満ちた目を向けて頷いた。
「・・・・・」
(あの人は今度何を考えているんだ・・・・・?)
小田切と子供達という、ありえない光景を少し離れた場所で見ていた倉橋は、内心不安でたまらないものの表面上は何時も
と変わらない無表情で佇んでいた。
小田切の性格というものを全て把握しているわけではないのだが、それでも多少知っている彼のそれはかなり屈折していて、本当
に綾辻と従兄弟同士だなと思ってしまう。
(まさか、子供達に何かするなんてことは・・・・・)
「克己」
「!」
そんな時、いきなり肩をポンと叩かれた倉橋は、ビクッと身体を震わせて振り向いた。
「あ、綾辻、先輩」
「何見てる・・・・・あ〜、あれか」
綾辻は直ぐに克己の懸念の原因に気付くと、口元に苦笑を浮かべながら言った。
「アレは大丈夫」
「・・・・・どうしてそう言い切れるんですか?」
「ん?だって、何をしようとしてるのか知っているから」
「え・・・・・何です、それは?」
「内緒」
「綾辻先輩!」
「もっと気楽に楽しんだらいいって、ね?」
「・・・・・」
(あなたは気楽にし過ぎなんです!)
この体育祭は、今期の生徒会の仕事の中でも大切なものの1つだ。任期も残り少なく、何事も無いように万全にしていなけれ
ばならないのに、どうしてこうも皆気楽なのだろうか?
(・・・・・あ、伊崎に話しておくか)
役員の中で、1つ年上とはいえ今は同じ2年生で書記の伊崎は、真面目で誠実な男だ。とにかく彼にだけでも小田切の不穏な
動きを知らせておこうと歩き始めた倉橋の背中に、綾辻は慌てて声を掛ける。
「おいっ、克己!」
「仕事です。あなたもやることがあるでしょう」
全く未練も見せないままに立ち去っていく倉橋の後ろ姿を見つめながら、綾辻は口元に苦笑を浮かべてしまった。
(苦労性め・・・・・)
《次は色別借り物競争です!出場の方は入場門にお集まり下さい!》
放送がグラウンドの中に響く。
しかし、江坂はアレッシオと共に椅子に座ったまま、我関せずといった表情をしていた。
一応2人共この競技に参加するようになっているものの、名前だけのつもりの江坂は全く動くつもりは無く、アレッシオも100メート
ルを走っただけで十分だろうと長い足を組んで座っている。
そんな2人の視線は、なぜか来賓席のテントの真前に座った5人の子供達に向けられていた。
『あれはどういう意味だ?』
『さあ・・・・・次の競技に出るなんてことは・・・・・』
そう言いながら江坂はプログラムに目を落として眉を潜めた。
「借り物?」
「カリモノ?何だ、それは」
「・・・・・紙に書かれたものを人から借りたり探したりして、それを持ってゴールするんです。それは、物の場合もあれば、人間の
場合も・・・・・」
(・・・・・人間?)
何か、嫌な予感がした。
江坂が入場門に目をやると、そこには上杉と海藤、それに伊崎も並んでいる。学年混合色別対抗なので、そこに2年生の伊崎
がいてもおかしくは無いのだが・・・・・。
「お2人共、次は出場じゃないんですか?」
「・・・・・」
その声に聞き覚えが有り過ぎるほどにある江坂は、あからさまに眉を顰めながらゆっくりと振り向いた。
「代わりの人間は行っている。人数が合わないという事はないぞ」
「まあ、人数のことはどうでもいいんですけど・・・・・借り物ですよ?いいんですか?」
「・・・・・何が言いたい?」
「今回はもう少し趣向を凝らしまして、人間という項目が引き当てられた場合には、ゴール手前で選手に必ず何かをしてもらうこ
とになってるんですよ。例えば、背中に負ぶってとか、お姫様抱っことか・・・・・頬にキスとか」
「アレッシオ」
いきなり江坂は立ち上がると、スタスタと入場門に向かって歩き始めた。
日本語を十分理解出来るアレッシオも、一瞬小田切に鋭い視線を向けた後歩き始める。
「さっさと動けばいいものを」
そんな睨みなどいっさい効かない小田切は、江坂の座っていた椅子に優雅に腰を下ろした。
「特等席だな、ここは」
「あの5人は必ず借り出されるようにしてますから」
(全く、何を考えてるんだ、あの人はっ!)
スタート音と共に飛び出した伊崎は、一番内側の封筒を手に取った。それを取るようにと小田切に言われたからだ。
なんだかズルをしているような気がして心苦しいが、誰かが楓を・・・・・と思うと、やはり面白くない。
いったい何と書かれているのか・・・・・。
【この場にいる一番綺麗な男の子 ゴール手前でお姫様抱っこをする】
「・・・・・」
(そのまま・・・・・だな)
これを引き当てて、楓以外を選ぶ人間なんているはずが無い。伊崎は溜め息をつくと、そのまま来賓のテントに向かった。
「楓さん」
伊崎が名前を呼ぶと、楓は待ってましたとばかりに笑いながら、両手を伸ばして伊崎の首にしがみ付く。ゴール手前からのお姫
様抱っこになってしまったが、軽い楓の身体は苦になどなるはずも無かった。
(ゴールの条件確認が綾辻先輩と倉橋で良かった・・・・・)
【目元にホクロのある、体操着姿の男の子 ゴール手前で目元にキスをする】
「・・・・・」
海藤は一瞬その場に立ち止まってしまった。
(真琴以外にいるはずが無いだろう・・・・・)
かなり出来る奴だからと、上杉が強引に生徒会に引っ張り込んだ小田切だが、その手腕はこんな捻くれた形でもしっかりと表わ
れているようだ。
海藤がちらっと来賓テントに視線を向けると、真琴が笑いながら手を振っている。
(子供相手にキスなんて、悪戯の度が過ぎている)
そうは思うものの、その手に乗ってしまったのも自分だ。
言いたいことはかなりあるものの、海藤はそれを飲み込んで真っ直ぐに真琴に向かって歩いていく。
「真琴、来てくれるか?」
「うん!」
手を繋いで走るよりも断然早いと、海藤はそのまま真琴を腕に抱え上げた。
(トモを借り出すなんて何を考えてるんだ、あの男は・・・・・っ)
そうでなくても何時も目障りに動き回る小田切を、カッサーノ家の名前で何とか押さえ込もうとも考えたが、小田切のバックはか
なり大きい存在が控えているらしいとの報告に、アレッシオは渋々野放しにしていた。
「・・・・・」
言われた封筒を手に取り、そのまま中を開けて見る。
【季節の漢字を名前に持つ男の子 ゴール手前で背負う】
「季節・・・・・春、か」
容姿のことを言われるよりも、その名前の響きを条件に出した小田切が心憎い。それでも、アレッシオの足が向かう先はただ一つ
で、他の誰にも友春に触れさせようとは思わなかった。
午前中の競技で、ようやく初めてグラウンドを走った江坂は、無言のまま既に決められている封筒を取った。
こんな茶番劇なことはさっさと終わらせてしまいたい・・・・・そんな投げやりな雰囲気を悟られても構わないとも思っていたが、中の
紙に書かれていたものを見ると、江坂は一瞬・・・・・本当に悔しいが驚いて目を見張ってしまった。
【あなたが一番可愛いと思う子 ゴール手前で5秒間抱きしめる】
「・・・・・馬鹿馬鹿しい」
江坂はそう呟いたが、自分で思っていたほどには皮肉気な響きにはならなかった。
(そんなもの・・・・・この場に1人しかいないだろう)
最後の組の走者になった上杉は、妙にワクワクとしていた。
列に並んでいる当初は、小田切の思惑にまんまと乗せられてしまったことが面白くないと思っていたものの、自分の前の、何時も
あれほどに冷静な男達が4人の子供相手に柔らかな表情を見せていたのが面白かった。
何時もは滅多に見れない、いや、多分見たことなど無いかもしれない彼らの笑顔は在校生達にもかなりインパクトがあったらしく、
そこかしこでざわめきが広がっていたくらいだ。
(さて・・・・・俺はどんなタロを引き当てるんだろうな)
テントの前で1人きりになった太朗は、少し心細げな目でじっと上杉を見ている。
生意気な太朗のそんな可愛らしい表情に思わず笑いながら、ようやくお待ちかねの封筒を取った。
【犬の名前の男の子 ゴール前ではお好きなように】
「へえ・・・・・」
(好きなように、か)
上杉はどんな風にからかってやろうかと思いながら、まるで飼い主を待っている子犬のような様子の太朗の面前にゆっくりと歩い
て行くと、いきなり小さな身体を荷物のように横抱きにしてしまった。
「じ、じろーっ?」
「この方が早い」
そのままゴール手前の白線まで行くと、上杉はようやく太朗を地面に下ろした。
「さてと、何する?紙には好きなようにって書いてあったけどな」
「・・・・・」
太朗は荷物のように運ばれたことを根に持っているのか唇を尖らせていたが、不意ににっと笑うと上杉の服の裾を引っ張った。
「ちょっと」
「ん?」
上杉はそのまま太朗の目線にまで腰を屈めたが、その瞬間にビタッと音がするほど両頬を掴まれると、そのままブチューっと太朗に
キスを・・・・・いや、口と口を合わせられてしまった。
その瞬間、津波のような歓声が沸き起こった。
「へへっ、これでおんなにもてないぞ、じろー!じろーはしょこたんだからな!」
「・・・・・おいおい」
(それを言うならショタコンだろ)
いったい誰にそんな言葉を教わったのか聞くのも怖い気がしたが、上杉は女とは全く違う小さな子供の唇の感触に、らしくもなく途
惑っている自分に気付いてしまった。
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借り物競争。小田切さんの策略の成果は出ているでしょうか。
次はお楽しみ、お弁当の時間です。