『』内は外国語です。
バスは向き合う形のサロンバスで、子供達はそれぞれに大好きな相手の隣に陣取るように座る。
しかし、おとなしく座っていたのは出発してから10分程度で、直ぐに太朗が席を立ち、運転手の方へと歩き出した。
まだ都内なのでそれ程スピードは出ていないものの、小さな太朗の身体は振動でフラフラと揺れている。
(ったく、ちっとはおとなしく出来ないのか、あいつは)
面倒臭いと思うより先に、危ないと思ってしまった上杉は直ぐに立ち上がって太朗の後を追う。その小さな背中に追いつく前に、太
朗は運転手の直ぐ傍まで辿り着いた。
「ねえねえ、おじちゃん、あとどのくらいでつく?」
「まだまだだよ。今日は平日だし、指定された別荘には2時間ぐらい掛かるかな」
30代半ばぐらいの運転手は、丁度赤信号で止まったタイミングでもあったようで、太朗の顔を見て答えている。少し大柄で、ど
ちらかといえば怖いと思われるような容貌の主だったが、太朗はにこにこと笑いながらにじかんかあと歌うように繰り返した。
「うんてん、たいへん?」
「大丈夫だよ、お仕事だしね」
「う~っ、かっこいい!」
その声の調子だけでも、太朗の目がキラキラと輝いているのは想像出来た。今の太朗にとって、間違いなく自分よりもこの運転
手の方レベルが高いようだ。
(運転なんて、歳食えば出来るだろ)
なんなら、自家用飛行機や、船舶の免許を取って見せてやろうかなどと思うものの、そんな風に張り合う上杉の気持ちを太朗が
分かってくれるかどうかは疑問だった。
「はは、ありがとう」
白い手袋をした手が、太朗の髪を撫でる。それを見た瞬間、上杉は動いていた。
「・・・・・タ~ロ」
軽々と太朗の身体を抱き上げ、そのまま荷物のように肩に担ぐ。突然の体勢の変化に、太朗はギャーギャーと煩く騒いだ。
「おろせよっ、じろー!」
高い子供の声が耳元近くで喚くのは煩くて仕方が無いが、このまま太朗を放っておくことも出来ない。
なぜか、容姿がいい者よりも厳つい容貌の相手を好む太朗に、この旅行中自分より運転手に懐かれても面白くないからだ。
(こいつの美的センスは狂ってるって)
「車が動いている最中はおとなしくしてろ」
色んな女達に賛美されることに慣れている上杉も、太朗の視線をじっと惹き付けておくほどの容姿ではないらしいと思えば、自
身の自慢出来るものとはいったいなんだろうと考えてしまった。
「・・・・・」
江坂は少し口元を歪める。
(あの男が、子供相手に・・・・・)
何時もは不遜で俺様な生徒会長である上杉も、太朗相手では勝手が違うらしくただの情けない男になっている。この場には静が
いるので動くことはしないが、向こうに着けばからかってやろうと思った。
「りょーじおにいちゃん、たのしいことあった?」
「どうしてです?」
「たのしそーだから」
「・・・・・そうですか?」
自分では表情に出ていないと思っても、どうやら隠し切れないものがあったらしい。まさか上杉を追い落とす企みをしていたとは知
られたくなくて、江坂はコホンと咳払いをした。
「静さんと出かけるのが楽しいんですよ」
これは嘘ではない。そこには、静と2人でという前提が欠けてしまっているものの、彼を楽しませたいと思う気持ちに嘘は無かった。
そんな江坂の気持ちが伝わったのか、静もへへっと嬉しそうに笑う。
「おれと?」
「ええ。何をして遊ぼうかと思いましてね」
「おれも、りょーじおにいちゃんといっぱいあそびたいなー」
小さな頭の中で何を考えているのか訊ねたい気もするが、何も聞かなくてもその考えを実現させる方が楽しみは何倍にもなるは
ずだ。
(それには・・・・・誰かに聞かないといけないな)
真琴か、友春か。おとなしく、話しやすい子に、静の望みを聞いてみよう。間違っても煩い太朗や、口の悪い楓には訊ねないぞ
と心に決めていた。
真琴が椅子から降りようとした時、バスが大きく曲がってしまってその身体が揺れた。
「うわわっ」
「大丈夫か?」
長い腕を伸ばしてその身体を抱きとめた海藤は、いったい何をするつもりなのだと訊ねた。
「あのね、おちゃをくばろうとおもって」
「お茶?」
「まこ、おせわしたいんだ。なつやすみのもくひょーなの!」
突然、そう言い出した真琴。どうやら夏休みの目標にお手伝いを掲げたらしいが、ここには真琴が世話をするような小さな子供
はいない。
(本当は、弟の世話をしてやりたいんだろうが)
真琴の家族のことも既に知っている海藤は、真琴にべったりな、まだ這うことしか出来ない末の弟のことを思い出して思わず笑っ
てしまった。こんな子供に自分と真琴の関係など分かるはずも無いと思うが、真琴を遊びに連れ出すために家に迎えに行った時、
なぜか睨まれているような気がしていたものだ。
(あ・・・・っと)
海藤がそんなことを考えているうちに、真琴はバスの前方にある冷蔵庫へ向かって歩いていく。
「おい、真琴・・・・・」
「まこ、どこいくの?」
「おちゃをだしにいくのー」
「あ、おれもてつだうー!」
「ぼ、ぼくも!」
「あー、まってってば!」
手伝いという言葉は、子供達にとっては魔法の言葉なのかもしれない。真琴がそう言うと次々に椅子から立ち上がり(太朗は上
杉の腕に噛み付いて拘束を逃れている)、真琴の後を追っていく。
いくら豪華サロンバスとはいえ、その通路はそれなりに狭い。そして、常に走っているということは・・・・・。
キキーーーーーッ!!
「うわっ」
「きゃう!」
「おいっ!」
「大丈夫ですかっ?」
焦ったような運転手の言葉。どういった理由からか、急ブレーキを掛けてしまったせいで、5人の子供達は団子状態になって通
路をザザッと前方へと倒れ掛かっていく。
いっせいに動き出そうとした海藤達よりも早く、
「みんなっ、大丈夫かっ?」
運転席の直ぐ傍の座席に座っていた宗岡が、大きな身体で5人を抱きとめていた。
「む、むねちゃん、こわかった~っ」
「しんじゃうとおもった!」
口々に恐怖を訴える子供達に向かい、宗岡は保育士らしく優しく言いきかせる。
「いいか、みんな。動いている車の中では立ち上がらないこと。何時急ブレーキが掛かって、今みたいに倒れそうになるか分からな
いだろう?」
「「「「「は~い!」」」」」
さすがに怖い思いをしたらしい子供達は、素直に手を上げてそう答えている。
(・・・・・いい所を取られた)
先生には勝てないなと、海藤は浮かしかけた腰を再び椅子に下ろしてしまった。
(良かった)
どうやら皆怪我をしなくて良かったと宗岡はホッとした。引率者として同行しているのに、そんなことになったら佐緒里に顔向けも
出来なくなってしまう。
このくらいの子供達はバスや電車に乗ると落ち着かないので用心をしていたが、それが功をそうしたようだ。
「よし、今止まっているうちに席に戻れ。飲み物なら先生が持って行ってやるから」
赤信号でバスが止まって、宗岡は5人を促す。は~いと言いながら素直に席に戻る子供達を目を細めて見送っていると、
「さすがですね」
「!」
いきなりするりと背中を撫でられて、宗岡はビクッと大きく肩を揺らしてしまった。
一同とは離れた席に座ろうとした宗岡に強引についていった小田切は、窓際を勧められて座っていた。
無骨な外見のくせにこんな風に気遣いの出来る宗岡はなかなかツボで、どうやってからかって遊んでやろうかと思っていた矢先に、
いきなりバスが止まり、続いて宗岡が立ち上がった。
さすが、保育士というべきか。こういう対処が自然に素早く出来ることが素直に凄いと思ったし、それとは相反するように自分に対
してはしどろもどろの中学生のような反応を示す姿が面白い。
今も、わざと背中を撫でると、まるで冷水でも浴びたかのようにハッと後ろを振り返った。
「な、何かな?」
「・・・・・」
「・・・・・」
(この僕に対しても、子供と同じように接するつもり?)
それが、無意識の上の防御策というのも小田切には分かって、わざとにっこりと邪気なく笑んで見せた。
「むねちゃん、カッコイイ」
「・・・・・っ、お、大人を、からかうもんじゃないっ」
「・・・・・」
(ふふ、大人ねえ)
歳なんか幾つも離れていないはずなのに、わざと大人ぶっているのがおかしい。
小田切はクスクスと漏れてしまう笑みを消すことが出来ず、そのまま強引に宗岡の腕を引いて椅子に座らせた。
「お、おいっ?」
「僕にも構って。そうでないと・・・・・泣いちゃうかも」
腕を絡め、わざと上目遣いにしながら言うと、目の前の宗岡の喉がコクンと動くのが見えた。
「は、離して下さいっ」
今の光景を見た倉橋は焦って言った。
本来は一番下っ端である自分が一同の世話をしなければならないのに、綾辻に捕まっていたからといって子供達を危ない目に遭
わせてしまった。
「飲み物なんて、飲みたい奴が取ればいいのよ」
確かにそれは正論だが、ここにいるのは自分達のような高校生ばかりではない。何をやらかすかも分からない幼稚園児がいる段
階で、どうにでも動けるようにしておかなければならなかったのだ。
「とにかく、離して下さいっ」
指と指を絡め合う、いわば恋人繋ぎをしている綾辻の指を強引に引き離し、倉橋は立ち上がると後ろへと向かった。
「皆さん、何が飲みたいのか言ってください、用意しますから」
「おれ、つぶつぶのみかんじゅーす!」
「まこは、かるぴす!」
「おれは、ひゃくぱーせんとりんごじゅーす」
「ぼくは、あまいおみず」
「おちゃ、おねがいしまーす」
太朗、真琴、楓、友春、静の順に答えてきたが、友春の言う《甘い水》というのが分からない。
「友春君、甘い水っていうのは?」
「それ、ぽかいじぇっとだよなっ?」
友春の代わりに答えた太朗も、ちゃんと言えたわけではなかったが、それでも十分伝わって倉橋は頷いた。
「分かった。皆さんは、コーヒーでいいんですか?」
「俺、無糖なー」
「無糖で頼む」
「微糖」
「砂糖抜きのミルク入り」
「手伝うよ、倉橋」
上杉、海藤、江坂、アレッシオの順で言われ、最後に伊崎が立ち上がりながらそう言ってくれる。
「悪い」
1人ではとても運べないので倉橋は素直に頷くと、そのまま横顔に注がれる視線は無視して備え付けの冷蔵庫を見た。
子供達のリクエストはバラバラで、全てが揃っているのか不安だったが、どうやら静の父親は子供の友人達の好みはちゃんと把握
していたらしく、全てがきちんと揃っていた。
「倉橋、先に持って行ってやってくれ」
「うん」
それぞれの缶やペットボトルとストローを持って、倉橋はおとなしく待っている子供達の方へと踵を返した。
ペットボトルの蓋はともかく、缶ジュースは子供達には開け難い。
「タロ、開けてやるぞ」
「うん」
上杉が太朗の缶を受け取ったのを見て、楓はむーっと口を尖らせた。楓はこれを開けることが出来ないのに、伊崎は他の人のお
世話をしている。
(どうしておれのとなりにいないんだよ!)
「きょーすけ!」
「はい?」
「ここっ、ここきて!」
「楓君、開けてあげようか」
「きょーすけがいいの!」
目の前にいた倉橋がそう言ってくれるが、自分の世話は伊崎がしてくれなければならないのだ。綺麗な顔が寂しそうに目を伏せ
るのを見て悪いなとは思ったが、楓は後には引けなかった。
「きょーすけってば!」
「悪い、伊崎、行ってやって」
申し訳なさそうな倉橋に、伊崎はごめんと謝ってから楓の傍に行く。蓋など誰が開けても同じだと思うのだが、楓はどうしても自分
の手を望むのだ。
嬉しいが、せっかく親切で声を掛けてくれた倉橋に悪いなと思いながら、伊崎は楓が持っていた缶を受け取る。
(・・・・・ん?)
また文句の続きを言われるかと思ったが、楓の視線はコーヒーを配る倉橋に向けられていた。どうやら悪いと思っている様子に、
伊崎の口元も緩む。
「ここに来た時、ありがとうって言ったらいいんですよ」
ピクッと揺れた眼差しは、そのまま動かない。返事は無かったが、きっと楓はちゃんと礼が言えるだろうと、伊崎は近付いてくる倉
橋に視線を向けた。
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これだけの人数がいたら、バスの中も賑やかでしょう。
次回は別荘到着。