海上の絶対君主




第二章 既往の罪と罰






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 『うわ〜・・・・・すっごい、お祭りみたいだ・・・・・』
 人の多さと露天の店がずっと先まで続く光景を見て、珠生はそう呟いたきり言葉も無かった
前回、初めて上がった港町リーズンでは、まだ言葉も全く分からなかったので怖さの方が先にたって、店の中まで見る余裕など全
く無かった。
しかし、今では覚束無いながらも少しは話は分かる。
特にこの世界は各国共通の言語らしく、国によっては多少の訛りがあるようだが、基本は同じだ。
珠生は煩いほどに耳に入ってくる人々の会話に、ただ圧倒されるばかりだった。
 「どうですか、タマ。この港も結構大きな方なので賑やかでしょう?」
 穏やかに笑うアズハルに、 珠生はただコクコクと頷くだけだ。
しかし、立ち並ぶ店の中に視線を移した瞬間、珠生のその目はさらに輝く。
 「あ、あれ、美味しいっ?」
 「あれ?ああ、ジャコモですね。土地によって味は多少変わりますが美味しいですよ」
 「ちゃ、しゃ・・・・・も?」
 「ジャ・コ・モ」
 「じゃ、じゃころ」
目の前では、珠生の身長の半分ほどもありそうな大きなヒラメの様な魚が捌かれていた。その身は食べ易そうな大きさに切り分け
られ、何かの粉を塗されて油で揚げられている。
見た目は白身魚のフライのような形になっていて、それをナンのような平たいパンで包み、ケチャップのような赤いソースを掛けられ
て次々と並べられていた。
ファーストフードのような食べ物に、珠生はコクンと生唾を飲み込んでしまった。
(た、食べてみたい・・・・・)



 珠生が何を考えているのか丸分かりで、ラディスラスはクッと口元を緩めていた。
それはラディスラスだけではなく、一緒に船を下りたアズハルやラシェルも同じ思いのようで、2人も何時もは見せないような穏やか
な顔で珠生を見つめている。
(甘やかしたくなるんだよな)
女とは違う可愛さが珠生にはあるのだ。
 「食いたいか?」
 「・・・・・っ」
 じいっとジャコモを見ていた珠生は、ビクッと肩を揺らしてラディスラスを振り向く。
その顔には、食べたいけどお願いとは言いたくないと、あからさまに書いてあるようだった。
(素直に可愛くねだればいいのに)
 一度身体の関係を結べば、相手に甘えるという気持ちが生まれてもおかしくは無い。現に、今までラディスラスが抱いてきた女
達のほとんどは、自分が愛されていると勘違いして擦り寄ってきた。
そんな女達の押しつけがましい思いはうんざりだが、珠生にはもっと甘えて欲しいとさえ思う。
(愛してるんだから当然だ)
 「俺は食いたいと思ったんだが、お前も付き合わないか?」
 「・・・・・」
 「男が1人で食べてると恥ずかしいだろ」
 珠生が言葉の意味をちゃんと分かるように砕いて言うと、何度かラディスラスとジャコモを見比べて(食べ物と同列なのは情けな
いが)珠生は頷いた。
 「食べてやる」
あくまでも、ラディスラスの願いを聞いてやったのだという態度を崩さない珠生に、ラディスラスは声を出して笑った。
 「それは、すまんな」



 出来立てのジャコモという食べ物は、ソースが少し酸味が効いていたがフィッシュバーガーのような口当たりで美味しかった。
一口口に含んでその味を気に入った珠生は、笑み崩れる頬を直せないままパクパクと口に運ぶ。
 「美味いか?」
 「美味い」
不本意ながらラディスラスの言葉に頷いた珠生は、ふと感じた視線に目線だけを上げた。
(う・・・・・見られている・・・・・)
 食べ歩きをしている者は他にもいるのに、なぜか自分達が注目を向けられているのを感じた。
ムズムズしたものを感じた珠生は、直ぐにそれが自分ではなくラディスラスに向けられたものだということに気付いた。
(・・・・・見てる・・・・・)
 ラディスラスは目立たないようなごく普通のシャツとズボンに、旅人がよく来ている防寒用のマントをまとっている姿だった。
行き交う男達も良く似た格好で、ラディスラスが奇異な格好をしているというわけではない。
 「タマ?どうした?」
 「・・・・・」
急に黙り込んで自分を見つめる珠生の顔を、ラディスラスは少し身を屈めて覗きこんできた。
 「・・・・・」
(・・・・・顔だけはいいから・・・・・な)
2メートル近くある大柄な身体はがっしりとしていながらスマートで、高い腰の位置に長い手足と見惚れるほどにバランスがいい。
肩より長い黒い長髪を無造作に縛り、程よく日焼けした肌に、彫りの深い顔立ち、そして深い紫色の瞳・・・・・ラディスラスの性
格には目を瞑って外見だけを見れば、 確かにカッコいいといえるかも・・・・・しれない。
そんなラディスラスに秋波を送っている何人もの女達。
いや、見ているだけではなく・・・・・。
 「ねえ、お兄さん遊ばない?」
 「お兄さん達ならお金要らないわよ」
 珠生は知らなかったが、それは港にいる商売女達だった。
船員や旅人相手に身体を売る女達は、ラディスラスやその後ろにいるアズハルやラシェルの容姿にも色めき立っている(珠生は眼
中に無いらしい)。
 「ねえ、いいでしょう?」
女の手がラディスラスの腰に回り、その厚い胸板にうっとりと頬を寄せている。
その様子を見た珠生は、握り締めていたジャコモを思わず落としてしまった。



(臭いな)
 男を誘う為に女達が身に付けた香料が鼻をつき、ラディスラスは今までの楽しかった思いが一変して眉を顰めてしまった。
ラディスラスも遊んだことが無いとは言わず、その時はこの香料が欲望を刺激してくれたことも確かだ。
しかし、今のラディスラスにとっての欲望を刺激されるのはこの香料の匂いではない。身体を洗っている石鹸の匂い、その人間が
元々持っている匂いだ。
 「・・・・・」
 ラディスラスは溜め息をつき、身体にしなだれかかっている女の肩を軽く押し返した。
 「悪いが間に合ってる」
 「え〜っ?どこの店の子?私の方が・・・・・!」
 「生憎、俺には可愛い子がいるんでな」
そう言うと、少し強引に珠生の肩を抱き寄せた。
途端に目を丸くして自分を見上げる珠生の頬に、ついでのように口付けをする。
 『!!何すんだ!馬鹿!!』
 今だに興奮したりパニックになると、珠生は自分の国の言葉で叫ぶ。
しかし、今ではその口調でどんなことを言っているのか、ラディスラスにも十分予測出来るようになっていた。
(後が大変だ)
多分、人前でこんなことをされた珠生はかなり怒っているだろう。それ以前に、泣きそうな目でラディスラスを見つめていたことなど、
きっと本人は認めないだろうが。
 「こんな子供よりもずっと気持ちよくしてあげるわよ!」
 女達は相手が珠生のような子供ということで勝てると思ったのか、珠生を抱いているラディスラスの手を引っ張ろうとする。
すると、今までラディスラスを睨んでいた珠生が、キッと女達を睨んでギュウッとラディスラスに抱きついた。
 「あげない!!」
 「なっ?」
 「ばか、ば〜か!!」
 「!」
知っている言葉が少ない為か、珠生は子供のような言葉で女達に立ち向かっている。
その姿が面白くて、可愛くて、ラディスラスは笑いながらその身体を抱きしめた。
 「ラ、ラディ!」
 「そういうことだ。悪いが他を探してくれ」
 女達は反射的に側にいたアズハルとラシェルを振り返る。
 「申し訳ありませんが、私もこの子の方がいいので」
 「同様」
 「は、離せ、ラディ!」
 「照れるな、タマ」
女達は見惚れるほどにいい男達に囲まれながらも子供のように騒いで歩いていく珠生を、憎々しげに見送ることしか出来なかっ
た。