海上の絶対君主




第二章 既往の罪と罰






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 食堂の一角を陣取ったラディスラス達は、周りの女達から向けられる秋波を一切無視して食事を始めた。
どれもこれも、多分珠生は初めて見るものばかりで、次々にテーブルに並べられていく料理の皿を目を丸くして見つめている。
しかし、初めてなだけに食べるのも不安なのか、じっと3人の顔を順番に見つめていくその姿はまるで子供で、とても珠生が18歳
の青年には思えなかった。
それでもそう言えば珠生が怒ることも分かるので、ラディスラスは全ての食べ物をいったん自分が一口ずつ口にして見せた。
 「美味いぞ」
 「美味い?」
 「ああ」
しょっちゅうラディスラスに文句を言うくせに、その言葉を嘘だとは思わないらしい珠生は恐る恐るサジを伸ばし、一口口に含んだと
同時に叫んだ。
 『美味しい!!』
 それは珠生の世界の言葉だったが、その表情でその味が気に入ったことは良く分かる。
途端に食欲を見せて食べ始めた珠生を笑いながら見たラディスラスは、ふと顔を上げて同じような表情で珠生を見ていたラシェル
に言った。
 「飯を食ったらそのまま行っていいぞ」
 「・・・・・ありがとうございます」
 「それと」
ラディスラスは拳ほどの袋をラシェルの前に置いた。
その音で中身が何か分かったらしいラシェルは眉を顰める。
 「ラディ、これは・・・・・」
 「お前は何時も分け前を周りに分けて自分はたいして持ってないだろう。大体、その分け前だって、お前の働きからすれば安過
ぎるくらいだ。これはその分、素直に持って行け」
 「ラディ・・・・・」
 「たまにはいいこともするじゃないですか」
アズハルが笑って言うが、ラディスラスはそれに対して苦笑を漏らすだけだ。
(本当は海賊なんかになるような男じゃないんだがな)
 その剣の腕も、正義感も、ラシェルは今の位置にいる男ではないと思っている。しかし、ラシェル自身がここにいることを望んでい
る限りラディスラスは受け入れていくつもりだし、十分・・・・・こき使ってやろうと思っている。
(ま、お綺麗な役人仕事よりも、俺達と一緒の方が生きている実感が湧くだろうがな)



 店を出ると、ラシェルだけが別の方向へ歩いていく。
どこへ行くのかと、珠生はアズハルの腕を引いた。
 「ラシェル、どうした?」
 「ラシェルは知り合いに会いに行くんですよ」
 「しりあい?」
(しりあい?・・・・・尻愛?・・・・・あ、知り合いのことか?)
単語単語はかなり聞き取れるが、時々ニュアンスを間違えてしまう。例えば箸と橋、雲と蜘蛛のように、同じような言い回しでも
意味が全く違うことがあるのだ。
日本語ほど複雑ではないが、まだ多少不安定なのは・・・・・仕方がないと言ってもいいはずだ(と、珠生は思っている)。
 「しりあい、家族?」
 「いいえ、それは・・・・・」
 「ラシェルは愛しき彼の君に会いに行くんだ」
 珠生がアズハルの方ばかり見ているのが気に喰わないのか、ラディスラスが珠生の肩を抱き寄せながら低く囁く。
しかし、女ならば腰が砕けそうなほど威力のある低音も、珠生にはあまり意味が無かったようだ。
 「かのきみ・・・・・?何?」
 「ラディ、あなたの言い回しではタマに誤解されるでしょう。タマ、ラシェルが会いに行ったのは昔仕えていた主君・・・・・あー、この
言い方も難しいかな・・・・・まあ、お世話になった大切な人です」
 「たいして違わないだろ」
ラディスラスの文句は無視して、珠生はへえと頷く。
あのラシェルにも大切な人がいたのかと少しだけ不思議に思ったが、おかしい事ではないだろう。
(そっかあ、大切な人か・・・・・俺も・・・・・)

 【珠生】

 「え?」
 ふと、名前を呼ばれたような気がして珠生は振り返った。
しかし、そこには忙しそうに行き交う人々の姿があるだけで、珠生の方を見ている者などいない(ラディスラス達は相変わらず熱い
視線を向けられていたが)。
 「タマ?」
 「どうしました?」
 「え・・・・・と、どうもしない」
(気のせい?)
懐かしい響きで名前を呼ばれた気がしたのは、もしかしたら戻れない元の世界を思い出したせいなのだろうか・・・・・。


       


 港から少し奥に入った街中の剣術教場(けんじゅつきょうじょう)が、ラシェルの始めの目的の場所だった。
昔、もう2年近く前に貰った最後の手紙の差し出し場がここだったのだ。
 「ラシェルっ?」
 「元気だったか、ハーライド!」
 ラシェルがジアーラ国の元皇太子ミシュアの親衛隊長だった4年前まで同じ隊にいたハーライドは、歳も近かったせいかよく飲み
も遊びもした仲間だ。
ミシュアが静養という名の国外追放をされた時、ラシェルは国に絶望して除隊し、直ぐにラディスラスと出会ってエイバルに乗り込
むことになったが、ハーライドはしばらくは隊に残り、その後のミシュアの近況を探っていた。
その後、同じように除隊したが、彼は剣術を教えるという触れ込みでミシュアがいるカノイ帝国にやってきていたのだ。
 「お前も元気そうだ」
 「ああ。居所がなかなか定まらなくて手紙も出せなくて・・・・・すまなかった」
 「・・・・・なんだか、本当にあのラシェルなのかと疑ってしまうな」
 いつもかっちりとした軍服姿で、常に張り詰めた表情をしていた近衛隊長時代とは違い、今のラシェルはラフな服装に精悍に日
焼けした、生き生きとしている表情だ。
多分、今の生活がラシェルには合っているのだろうと思い、ハーライドは複雑な表情で笑った。
(ハーライド?)
 会った瞬間、ハーライドの顔が複雑に歪んだのには直ぐに気付いた。
だが、それはラシェルが海賊だから関わりあいたくないというような感じとは思えない。第一、ハーライドという男はそんなことを気に
するような男ではなかったはずだ。
 「お前が住みかを変えていなくて良かった」
 「今ではカミさんと2人の子持ちだからな。頻繁に居を変えるなんて出来ないさ」
 「そうか、結婚したのか」
感慨深くラシェルが呟くと、ハーライドは深く項垂れた。
 「・・・・・すまんな、ラシェル。王子をお守りし、いずれ王子をジアーラ国の王にするという我らの誓いを・・・・・俺は守ることが出来
なかった」
 「・・・・・もう4年も経つ。俺だって、資金を集めるといいながら今だ海賊船に乗っている身だ。お前を責めることなど出来るはず
がない」
 天使のように穢れない心を持った王子を何とか王にしたい。そう思っているのはラシェル達だけではないが、それは簡単に出来る
はずのものでもなかった。
第一、過去の仲間の幸せを妬むようなことはしない。
 「王子は今どこに?ご無事なお姿を拝見したいんだが」
 「・・・・・」
 「ハーライド?」
 「申し訳ない!!」
いきなり、ハーライドはその場に膝を着いた。
 「・・・・・どうした?」
嫌な予感がして、ラシェルの声も硬くなる。
 「王子は・・・・・王子は、姿を消されたんだ・・・・・っ」
 「・・・・・なに?」
 「1年ほど前、静養先の離宮から忽然と姿を消されてしまったんだ!俺は、俺達は出来る限りお捜ししたが、まるで神隠しにで
もあわれたかのように忽然と、何の痕跡も残されないままお消えになってしまわれた!」
 「消え・・・・・た・・・・・」
 「すまないっ、ラシェル!すまない!!」
その場に土下座し、床に額を擦り付けるようにして謝罪し続けるハーライド。
しかし、ラシェルの耳にはその言葉は遠く響いていた。