海上の絶対君主




第二章 既往の罪と罰


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※ここでの『』の言葉は日本語です






(もっと運動しておけば良かった・・・・・)
 それが珠生の正直な思いだった。
少し前を歩くラディスラスも、後ろにいる乗組員達も、少しも息を荒げることなくこの山道を歩いている。
いや、彼らにすれば、これは少し急な丘という感覚なのかも知れないが。
(あ〜・・・・・きつ・・・・・)
 本当は、今すぐにでもその場にしゃがみ込んでしまいたかった。
しかし、一度でも足を止めてしまえば絶対にもうその足は動かないだろうと分かっていたし、地面にはどんな虫がいるかも分からな
いのだ。
それに、自分以外の4人は全く表情も変えることなく歩いている。
この歩みも、多分珠生の歩く速度に合わせてくれているのだろうという事も分かっている。
だから・・・・・珠生は足を止めることは出来なかった。
 「タマ、大丈夫か?」
 もう、何度目かも分からないラディスラスの言葉に、珠生は声を出すのも疲れるのでただ頷くだけだ。
 「もう少し頑張れ。ほら、もうあれが頂上のようだ」
 「・・・・・」
(ほん・・・・・と?)
俯いていた顔を何とか上げると、今までうっそうと茂っていたはずの木々がかなり少なくなっていて、木々の狭間から見える陽の光
も多くなっているようだった。
 「いちばん、上?」
 「ああ。どうやら俺達が通ってきた道には人の気配は無かったな」
 「へ?」
 「人の手で切られた様な木は無かったし、開けた場所も無かった。多分、この辺りに潜んでいるという事は無いな」
 「・・・・・そっか」
(王子を捜してたんだっけ)
山に登ることに一生懸命で、何時の間にか本来の目的を忘れ、頂上に登ることが目的だと思っていた珠生は、勘違いしていた
自分に溜め息を付くと、今度こそ身体から力が抜けるような気がした。



 何とか太陽が真上を少し過ぎた頃に頂上に辿り着いたラディスラスは、直ぐに乗組員達に周りの探索を命じた。
まだ体力に余力がある男達は直ぐに動き始めたが、珠生だけは転がっていた大きな石に腰を下ろすと荒い息をついている。
 「タマ」
 「・・・・・」
本当に体力が無いらしいと苦笑が零れるが、足手まといだとは思わなかった。
 「タマ、よく頑張ったな」
 「・・・・・」
目の前にしゃがみ込み、クシャッと髪を撫でてやると、珠生は乱れた髪の間から大きな目を向けてくる。
少し疲れた様子は見て取れるが、投げやりな雰囲気は無かった。
 「疲れたか?」
 「疲れた、ないよ」
 「少し休め」
 「みんな、まだ動いてるよ。俺も手伝う」
 自分だけが特別扱いされるのは嫌なのか、珠生はゆっくりと腰を上げると、そのままの格好・・・・・腰を少し曲げた格好で開け
た頂上をゆっくりと歩き始めた。
その格好は、以前初めて珠生を抱いた翌朝の彼の格好に似ていて、ラディスラスは思わずにやっと口元を緩めてしまった。
 「・・・・・なに?」
その気配を敏感に感じ取ったらしい珠生が、顔だけを振り向かせて聞いてきた。
 「今・・・・・なに笑った?」
 「・・・・・」
(お、敏感だな)
張り詰めた時の中でも、こうして力が抜ける瞬間を与えてくれる珠生の存在は貴重だ。
その証拠に、一通り周りを見て戻ってきていた乗組員達の顔にも楽しそうな笑みが浮かんでいた。
ただ1人、珠生はムッと口元を引き締めたまま、ラディスラスの答えを待っている。
これ以上不機嫌にはさせたくないものの、どうしてもからかってしまいたくなる気持ちは止められなくて・・・・・。
 「お前の格好が可愛くてな」
 「かっこう?」
 「腰を曲げてチョコチョコ歩いて、まるで初めて俺を受け入れた朝のような・・・・・」
 「バカ!昼間からへんな事言うな!」
予想通りの罵声が飛んできたが、ラディスラスの頬の笑みは消えなかった。



 結局、王子は見付からなかった。
珠生も初日から見付かるとは思っていなかったが、それでもこのきつい道のりが無駄足だったかと思うと下る足の運びも重い。
登りよりも楽なはずなのに、下るごとに足の痛みは酷くなって、道のりの半分を過ぎた頃にとうとうラディスラスに背負ってもらう羽
目になってしまった。
本当なら恥ずかしくて情けなくてたまらないのに、すっかり疲れてしまった珠生はそのままラディスラスの背中にしがみ付いたままで、
それでも、時々ラディスラスに申し訳なさそうに声を掛けた。
 「ラディ、俺、重い?」
 「お前が昨日捕ったタコよりは軽いな」
 「タコ・・・・・おいしかった」
 「美味かったな。お前が大盤振る舞いしてくれたおかげで、みんな腹一杯になった」
 「みんなで食べたほーがおいし。ジェイの料理も、おいしかった」
 「ああ、材料も味付けもピカ一だった」
 昨日、珠生の捕ったタコはジェイ達料理人の手によって美味しく料理された。
珠生のリクエストである生も(本当は刺身醤油で食べたかったが、当然醤油は無くカルパッチョ風になっていた)、唐揚げも、煮
込み料理も、全部美味しかった。
それ程量は食べれない珠生も、少量ずつ全種類食べたほどだ。
 「ジェイは料理じょうず」
 「俺も上手いぞ」
 「ラディ、作れる?」
 「今度お前だけに作ってやる。楽しみにしてろ」
 「だいじょーぶかなあ」
そうは言ったものの、何事にも器用なラディスラスならばそれも当然かもと思ってしまう。
(変なリクエストしてやろ)
思いっきり困った顔をさせて笑ってやろうと、珠生はしばらく疲れと痛みを忘れてクスクスと笑い続けた。



 「皮が剥けてますね。少し我慢して」
 ようやく船の見える浜辺に着いたのは、そろそろ陽が暮れようとしていた頃だった。
早速アズハルに珠生の足を見せると、アズハルは秀麗な眉を顰めながらテキパキと治療を始めた。
 「報告を聞く」
 珠生のことはアズハルに任せておけば安心なので、ラディスラスはその間続々と戻ってくる乗組員達の報告を聞いた。
森を抜けた向こう側にある集落に向かわせた数人は今夜は戻ってくることが出来ないだろうが、その他は皆戻ってきた順番にラ
ディスラスに結果を知らせる。
それは、全て空振りという結果だったが、ラディスラスは乗組員達の協力に感謝した。
 今回の事はラシェルの個人的な事情なので、本来は乗組員達が動く理由は無かった。
それでもラディスラスが事情を話した時、一同は我先にと協力を申し出てくれたのだ。
世間では海賊というと野蛮な集団だと思われがちだが、ラディスラスはエイバル号の乗組員達は熱い信頼で結ばれている仲間
だと誇らしく思っている。
それは皆、同じだろう。
 「泉が?」
 それは、ルドーの報告だった。
 「小さいですが。水も飲める様だし、タマもそろそろ身体を洗いたい頃じゃないかと」
 「・・・・・」
ルドーの言葉に、ラディスラスはアズハルの治療を受け終わって休んでいる珠生を振り返った。
たった1日山歩きをしただけでボロボロになっている様子の珠生に、少し気分転換をさせてやってもいいかもしれない。
 「遠いか?」
 「いえ、割合近いです」
 「・・・・・飯の後に行ってみるか」