海上の絶対君主
第二章 既往の罪と罰
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※ここでの『』の言葉は日本語です
珠生の手料理を食べさせてもらえることになったラディスラスは始終上機嫌だった。
例え作るものが食べれない物だったとしても、珠生が作ったというだけで意味があるのだ。
そんな上機嫌は翌日もずっと続き、翌日の夕方、本土の港に着いた瞬間、ラディスラスは乗組員達全員に小遣いを渡して言っ
た。
「明日からはまた動いてもらうことになる、今日は十分楽しんで来い!!」
やはり離島よりは酒や女がいる港町の方が楽しいのは明白で、中には船に残る者もいたが、乗組員達のほとんどは嬉しそうに
町に向かって船を漕ぎ出して行った。
「タマ、どうする?」
「ん〜・・・・・どうしよう」
珠生はアズハルを振り返った。
「アズハル、どうする?」
「私ですか?船でゆっくりしてもいいんですが・・・・・」
そう言いながらアズハルが見たのはラシェルだ。
新しい情報を持ってここに来たのだが、ラシェルの胸中は益々複雑になっているようだった。
(タマの父親のことはともかく、王子なのは間違いがないようだしな)
ミシュアが、自分が追放される原因になった男と共にいる・・・・・そう考えただけでも胸がざわめくのだろう。
憎い男のはずなのに、祖国を奪った酷い男のはずなのに、それでもミシュアにとっては恋しい男。その相反する思いは、頭の固い
ラシェルにはなかなか理解出来ないのかもしれない。
(色事に疎い奴だしな)
略奪した女の方から迫られても味見をしようとはせず、寄港する港町でも女を買うこともなかった。
いっそ、どうしてこれだけ禁欲的になれるのかとも思ったが、もしかしたらこのミシュアの事件が大きく関係しているのかもしれない。
「ラシェル!」
「・・・・・」
ラディスラスは笑いながら片目を瞑った。
「飲みに行こう」
「俺は・・・・・」
「たまにはいいだろ。タマとアズハルも行くな?」
「・・・・・」
「行きましょう、タマ。甘いお菓子を買ってあげますよ」
ラディスラスの思いを正確に感じ取ったアズハルが、まるで子供を誘い出すようなことを言う。
そんなことでタマが頷くのかとも思ったが、
「うん、いーよ」
「・・・・・」
(少しは言葉の裏を考えることを教えないとな)
嬉しそうに頷く珠生を見ながら、ラディスラスは溜め息を付いた。
夜の港町はかなり賑やかだ。
夜はあまり船から出ることはなく、昨日までいた離島もかなり静かな場所だったので、急激に耳に入ってくる人々の笑い声や怒鳴
り声、強い酒の匂いや女の化粧の匂いなど、いっせいに五感を襲ってくる刺激に珠生は途惑ってしまった。
(こんなの、日本にいたら普通なんだけど・・・・・)
いや、向こうは車の音や電車の音、様々な店から流れる音楽に、工事の音。今思えばもっともっと煩かったはずだ。
(まさか俺、こっちの世界に馴染んじゃってきたりして・・・・・)
「タマ?」
「・・・・・」
名前を呼ぶのはラディスラスだ。
もうすっかりとこの呼び方で呼ばれるのも慣れてしまっている自分がいて、珠生はしっかりしろと自分自身に言い聞かせながら顔を
顰めた。
「どうした、可愛い顔して」
「・・・・・可愛くない」
「腹減ったか?」
機嫌が悪いのは空腹のせいだと思っているらしいラディスラスは、珠生が好きそうな食べ物を並べている店を探してくれる。
それはそれで嬉しいが、少し失礼な気もして、珠生の眉間の皺はますます深くなった。
「ねえ、おにーさん、遊ばない?」
「こっちの人も素敵ね」
「タダでも抱かれたいくらい」
「やだあ」
「・・・・・」
(何で俺だけには寄ってこないんだよ)
背が高く、体格もスレンダーながら逞しく、その上顔が良い男が3人も連なって歩いているとなれば、寄ってくる女の数も1人や2
人ではない。
これまでも何度か見たことがある光景だが、珠生はどうして自分だけには女が寄ってこないのかと不満に思っていた。
確かに3人と比べれば身長も体格も劣るし、顔だって女顔で逞しいとはいえないのは分かっている。それでも着ている服で男だと
分かるだろうに、珠生には一つの誘いの言葉もないのだ。
掛けられても困るが、無かったら無かったで男として情けない気もする。
(ラディ達に引っ付かれるのも面白くないけど・・・・・)
積極的に身体を寄せてくる女達に対抗するようにラディスラス達の手を引っ張りながら、珠生は店の前に色鮮やかな果物らしき
実が並んでいる店を見つけて入ってしまった。
「ここで食うのか?」
「食う」
中には親子連れの客や年配者の姿が多く、賑やかな酒場とは少し感じが違う。
ここに決めたと言った珠生だが、ラディスラス達には物足りないかと振り向いて訊ねた。
「どうする?お酒多いとこがいい?」
「別にいいだろ。おいっ、店主、酒はあるかっ?」
「あるよ!」
奥から返った返事に、ラディスラスは笑った。
「酒があるならここで十分だ」
港町にしては珍しく酔っ払いも商売女もいない静かな店だ。
何度かこの港町には来たことがあるが、何時も酒を最優先していたので、こんな店があるとは気付かなかった。
(まあ、珠生もゆっくり飯が食えるだろうし、アズハルには丁度いいくらいの雰囲気だろうしな)
賑やかな場所をあまり好まないアズハルも、居心地が良さそうにゆったりと酒を口にしている。
ラディスラスは山盛りの果物を盛った皿を持ってきた店主に聞いた。
「この店の売りは果物なのか?」
「いや、他にもあるが、しいて言えばばーさんの薬湯(やくとう)だな」
「薬湯?」
「昔医者の手伝いをしてたんで、知識だけはあるんだよ。ちゃんとした薬は高いしな、薬湯ぐらいなら結構気軽に手を出せるんだ
よ。飯も、薬を使ったものも人気あるぞ」
「・・・・・なるほど」
(だから客層が周りと違うのか)
ラディスラスが納得すると、隣からラシェルが店主に言った。
「ここではどんな相手にも薬湯を売るのか?」
「もちろん、商売だからな」
「・・・・・聞きたいことがあるのだが、黒い目をした異国の男が薬湯を買いに来たことは無いか?」
「ラシェル」
「黒い、目?」
ラシェルの言葉を遮るようにラディスラスが声をはさんだが、珠生の耳にはしっかりと会話が聞こえたらしい。
《黒い目》という言葉に反応して、果物を頬張っていた顔を上げる。
「それ、王子の?」
「・・・・・まあ」
(タマは知らなかったか・・・・・)
この国、いや、この世界で、黒い目の人種はかなり珍しいという事を珠生はまだ知らないようで、ラディスラスはほっと安堵の溜め
息をついた。
ラシェルが焦るのは分かるが、こんな風に何の前準備も無く珠生にミシュアの同行者のことを、父親かも知れない男の情報を聞
かせるのはあまりいいことではない。
ラシェルも言ってからそのことに思い当たったらしく、少し気まずそうに目を逸らしたが、そんな一行の複雑な思いを一切知らない店
主は少し考えて・・・・・ああと頷いた。
「何日か前に来たな。黒か濃い茶色の目かは分からんが、異国の男に薬湯を売った」
「・・・・・っ!」
その瞬間、ラシェルは立ち上がった。
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