海上の絶対君主




第二章 既往の罪と罰


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「何という名前だ?どこから来たと言っていた?」
 「・・・・・」
(ラ、ラシェル、怖い・・・・・)
 焦る思いを押し殺したような、それでいて今にも店主の首を締めんばかりに詰め寄るラシェルの冷静な焦りに、珠生は大きく目
を見開いてイスに座ったまま後ずさった。
(ま・・・・・えも、あった・・・・・)
この国に来た当初、単独で王子の行方を捜しに行っていたラシェルが戻ってきた時に見せた剣幕と同じ気がした。
あの時、ラシェルは何と言ったか・・・・・。

 「お前の父親の名前はなんて言うんだ?」

(そう、だ、父さんの名前を聞かれたんだ)
なぜいきなり父の名前を聞かれたのか不思議だったが、それでも珠生は隠すことでもないかと素直に答えた。
そして、珠生がその名前を言った途端、ラシェルは今目の前の店主にするように、珠生の胸ぐらを掴みあげて唸ったのだ。

 「・・・・・っまえが!お前の父親が!!」

あの言葉にはどれ程の意味が込められていたのか・・・・・ズンと珠生の背中が寒くなった。
 「・・・・・」
 珠生はチラッと隣に座るアズハルを見た。
 「ア・・・・・ズハル」
 「タマ」
何と言っていいのか迷うように視線を伏せたアズハルの態度に、珠生は胸の中のモヤモヤが更に酷くなるような気がしてきた。
ラシェルはなぜ珠生の父の名前を聞いたのか。
王子と一緒にいる、黒い目の男とは誰なのか。
(なんだろ・・・・・やだな・・・・・)
 父が行方不明になったのは2年ほど前だ。
しかし、自分でも不思議な世界に行ったことがあると言っていたように、それ以前にも珠生が知らない間に父がいない時間があっ
たような気がする。それはいったい何時だったか・・・・・。
(お、俺、何考えてるんだろ・・・・・父さんはもう、死んだのに・・・・・死んだはず、なのに・・・・・)
 「・・・・・!」
 突然珠生は立ち上がった。
 「タマッ?」
 「タマ!」
誰が呼び止めているのかも考えたくない。
珠生はこれ以上怖い想像をしたくないと、反射的に店の外に飛び出してしまった。



 「タマ!」
 一瞬遅れてラディスラスは珠生の後を追った。
(くそ・・・・・っ!)
もっと早くアズハルを止めればよかったと今更ながら後悔するが、自分もあまりに突然に耳に入ってきた情報に気を取られてしまっ
たのだ。
しかし、ラシェルの言葉で珠生は何かを感じ取ってしまった。自分の父親が関係あるのかどうかとはっきりしなくても、何か自分に
関係があることが起きていると知ってしまった。
 「タマ!」
 直ぐに後を追い掛けたはずなのに、丁度夕食時と大きな船が着いたことも重なって、街中の賑わいは相当のものだった。
小柄な珠生の姿はその人々の姿に紛れたのか全く分からない。
 「タマ!!」
 「ラディッ!」
続いて飛び出してきたラシェルとアズハルも、ラディスラスの表情を見て直ぐに現状を悟ったらしかった。
 「ラディ、俺は・・・・・」
ラシェルは一瞬謝罪を口にしかけたが、ラディスラスはその言葉を止めた。
今は後悔をするよりも早く、珠生を見付けなければならない。
 「三方に分かれる!月が真上にきたらとにかくいったん船に戻る、いいなっ?」
 「分かったっ」
 「分かりましたっ」
 ラシェルが悪いわけではない。彼は前回の事も踏まえて、出来うる限り珠生の前では暴力的な面を見せないようにと気を遣っ
ていた。
しかし、例え手が出なくても、その口調が、目が、ラシェルの隠しきれない焦りをあからさまにしてしまった。
(タマは気付いたのか?自分の父親がここにいるかもしれないという事を・・・・・っ?)
子供である珠生を置いて王子と共にいるかもしれないという父のことを、いったいどういう風に思ってしまったのだろうか?



 『・・・・・人ばっかり・・・・・』
 店から飛び出した珠生はしばらく無我夢中で走って・・・・・やがて人にぶつかって怒鳴られて止まってしまった。
ふと我に返って周りを見ると、全く見慣れない店が並んでいて、擦れ違うにも人とぶつかるほどの雑踏に紛れ込んでいることによう
やく気付いた。
 数日間、王子捜しの為に珠生もこの港町を歩いたが、その時は常にラディスラスと一緒で周りのことなどあまり覚えてはいなかっ
た。記憶にあるのは、珍しく美味しそうな食べ物ばかりだ。
 『どうしよ・・・・・船に戻ったらいいのかな』
しかし、一本道の市場ならまだいいが、ここは大きな港町のようで縦横無尽に店が並んでいる。
擦れ違う人間は例え女でも珠生と体格は変わらず、男達は遥かに立派な体格なので先を見通すのも困難で、珠生は自分が
どちらに歩いていったらいいのか全く見当がつかなかった。
(それに、なんか見られてる感じがするし・・・・・)
 ラディスラス達と一緒にいる時は当然のように人々の目はそちらにいっていたし、珠生も面白くはないが彼らがかっこいいのは認
めざるをえなかった。
ただ、今はラディスラス達も側にいないのに、なぜだが擦れ違う人間はじっと珠生を見ているのだ。
(変な格好してる・・・・・?)
女の格好ではなく、普通のシャツとズボンだ。おかしいはずはないだろう。
 「おいっ!」
 その時、珠生はいきなり腕を掴まれた。
見知らぬ中年の男は、身体を折り曲げて珠生の顔をじっと見てくる。
 「な、なに、ですか?」
眉を顰めて身を引いた珠生に、男は感心したように言った。
 「お前、どこの国の者だ?黒い目なんか見たことねえ」
 「!」
(目だ!)
珠生はどうして人々が振り返るのかがやっと分かった。
皆が言っていたではないか、この国・・・・・世界では黒い目の民族などいないという事を。
(まずいっ!)
 珠生はようやく自分の危機を感じ取る。
どんな世界でも、珍しいものを欲しがる人間はいる。その中にはいい人間もいるかもしれないが、大多数はあまり性質が良くない
人間のはずだ。
 「はっ、離して!」
 とにかくこの場から立ち去りたくて男の腕を振り払おうとするが、何を思っているのか男の力はますます強くなっていく。
 「ちょっと俺のとこに来いっ」
 「は、離せって!」
(なんだよ、この馬鹿力〜〜!!)
半泣きになりそうになりながらグイグイと腕を引き抜こうと暴れていた時、
 「!!」
 不意に頭の上に何かが被さって、珠生の視界は真っ黒になってしまった。
 「うぎゃあ!!」
 「・・・・・っ」
そして、そのまま肩を引き寄せられながら、先程の男の奇妙な悲鳴を聞く。
何があったのかと慌てて被されたものを取った珠生は、自分の隣に立って肩を抱く男を見上げて目を見張った。
 「あ、あんた、イ、イラークッ?」
 「・・・・・イザーク・ライドだ」
 「・・・・・イ、ザーク?」
立っていたのは黒髪に碧の瞳という怜悧で秀麗な顔立ちの男、かつてのラシェルの部下で、今はラディスラス達にとっては敵となる
ジアーラ国海兵大将のイザーク・ライドだった。