海上の絶対君主




第二章 既往の罪と罰


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 イザークは黒い瞳を丸くして自分を見上げてくる相手をじっと見下ろした。
 「1人か?」
 「ひ、1人」
言葉が分からないだろう相手の反応を期待したわけではない問いに、ぎこちなくだが答えが返ってきたのにイザークは僅かに目を
見張った。
 「言葉が分かるのか」
 「わ、分かります」
 「そうか」
以前とは違い、怖がり怯えるだけではない様子を見て取り、イザークはなぜかホッとしていた。
一度会っただけなのに、忘れることが出来なかった黒い瞳。まさかこんな場所で再会するとは思わなかった。


       


 エイバル号と離れた後、イザークの船は一組の海賊を捕獲した。
中には生け捕りにされた女が数人と、金品もあったので言い逃れも許さなかった。
その海賊船の頭領がカノイ帝国の出であることから、カノイ帝国の役人に引き渡す為にこの一番大きな港町ルーカまでやって来
たのだ。
 その後罪人の引渡しをし、大きな港なので船の整備もすることになったので、イザークは思い掛けなく長い時間身体が空いてし
まった。
そこで、ふと思いついたのがかつての主、ミシュア王子の事だ。
ミシュアが静養という名目でこのカノイに追放されたことは知っていたが、その後の足取りはなかなか分からなかった。

 ミシュアの親衛隊はとうに解散され、隊長だったラシェル以下数人はそのまま除隊していったが、大多数の者は所属を振り分け
られてそのままジアーラ国の軍隊に残った。
だが、次第に荒れていく故郷に絶望して、活力が無くなっていくのをイザークも確かに感じていた。
 イザークほどの若さで海兵大将になれたのも、人材不足だからというのも否定出来ない。
もちろん、イザークはその名前に恥じないように精進しているつもりだが、それでも昔が・・・・・ミシュアの親衛隊をしていた頃が一
番充実していたと思う。

 カノイにやってきて、イザークは急にミシュアに会いたいと思った。
ミシュアのことは国でも国家機密とされ、ほとんど情報は得ることは出来なかったが、今だカノイ帝国から出たという話も聞いたこと
がない。
イザークはどうにかしてミシュアの居所を突き止めようと、ここ数日顔見知りの役人達を訪ねて歩いていた。


       


 「話が出来るならば、まず名前を教えてもらえないか?」
 どうしてこんな所に1人でいるのかも訊ねたかったが、先ずは名前を知りたいと思った。
今回は止める者は周りにおらず、助けてもらったという意識もあるのか、相手は素直に教えてくれた。
 「珠生です。水上珠生・・・・・え〜と、タマキ・ミナカミ」
 「ラマヒ?」
 「違う!タ・マ・キ!」
 「タ・・・・・マヒ?」
 「・・・・・タマでいいです」
どうしてかとても面白くなさそうに口を尖らせる珠生は、明らかに気分を害しているようだ。
きっとイザークが名前を言えなかったからだろうが、珠生の名前はなかなか発音が難しいのだ。
(確かあいつらもそう呼んでいたな・・・・・)
 イザークの目の前で珠生に口付けした海賊船エイバルの船長ラディスラスも、綺麗な顔をして頑固だったあの医者も、確かこの
少年を《タマ》と呼んでいた。
本気で自分の名前を教えてくれる気なのだと、イザークは僅かに口元を綻ばせてその名を呼んだ。
 「タマ・・・・・で、いいのか?」
 「いーです、みんなそう呼んでるし」
 「みんな・・・・・他の連中はどうした?お前はなぜこんな所に1人でいる?」
 「1人じゃない、みんな一緒。ラシェルのおーじさま捜してて・・・・・」
 「ラシェルの?それは、ミシュア王子のことか?」
 「ミシュアおーじ?うん、そう」
 「・・・・・」
(ラシェルも王子を捜している?)
イザークは珠生の肩を掴んだ。
 「ラシェルは王子を見つけたのか?王子はどこにおられる?」



 「・・・・・」
(この人も王子を知ってる?)
 イザークと初対面の時、ほとんど言葉が分からなかった珠生はイザークの身分を知らないままだ。
ただ、あの時のラディスラス達の雰囲気からしてあまり仲のいい間柄ではないことは感じていたが、まさかイザークがラディスラス達を
討伐する側の軍隊の長だとは思いもよらなかった。
確かに整った顔は無表情で冷たい感じがしたが、たった今自分を変な男から助けてくれたのだ、悪い人間ではないだろうと思う。
 「おーじ、知ってる?ラシェルの友達?」
 「友達・・・・・そうだな、昔は確かに仲間だったが」
 懐かしそうに呟く言葉は少し寂しそうで、珠生は自分が何か悪いことでも言ったのかと心配になった。
 「あの・・・・・」
何て言ったらいいのだろうか・・・・・言葉を考えていた珠生だったが、

 キュウゥゥゥゥゥ・・・・・

 「!」
(な、何、これっ、俺人前でっ)
先程ろくに食事も取らないまま食堂を出てきたせいか、それとも周りの屋台から漂う美味しそうな匂いに刺激されたのか、珠生の
腹の虫は一回では鳴り止まなかった。
 「・・・・・腹が空いているのか?」
 「・・・・・っ」
 耳まで真っ赤にして俯いた珠生は、違うのだと慌てて首を横に振った。
しかし、その腹の音は遠慮もなく鳴ってしまい・・・・・やがて頭の上でクッと笑みを噛み殺す気配がした。
 「好き嫌いはあるのか?」
 「え、えと、俺、お金持ってないし」
 「子供に金を払わせるはずがないだろう。何が食いたい?」
 「・・・・・」
(子供って言った・・・・・)
どうやらイザークも以前のラディスラス達のように珠生のことを十代前半の子供に思っているらしい。
それはそれで言いたい事はあるものの、今はそれを利用してもいいんじゃないかと悪魔の声が頭の中で響いた。
 「・・・・・あれ」
 「あれ?・・・・・あれは飯というよりも菓子じゃないのか?」
 珠生が指差したのは、先程から甘い匂いを辺りに漂わせている揚げ物の屋台だった。
パン生地のようなものを30センチほどの長さの棒状にしてそのまま油で揚げ、揚げ色がつくとそれを上げて壺の中に差し入れる。
引き出されたそれはチョコレート色の液をまとい、そこに色とりどりの粉が振りかけられて・・・・・珠生の目にはどう見てもチョコドーナ
ツのようにしか見えなかった。
 「あれ・・・・・食べたいです・・・・・けど」
 「あれでいいのか?」
 珠生がコクンと頷くと、イザークはそのまま店主に言ってそれを1本買い、そのまま食べられるように持つ所だけに包み紙を巻いて
もらうと珠生に差し出して言った。
 「食べなさい」
 「・・・・・本当にいいですか?」
 「私は甘い物は食べない。せっかく買ったんだ、無駄にならないように食べてくれ」
 「・・・・・ありがとう」
珠生はまだ揚げたてのようなそれを怖々口に含んだ。
外はカリッと、中はフワッと。そして周りのコーティングはやはりチョコレートの味で、少し甘過ぎる感じはしたが十分に珠生の口には
合った。
ニコニコと笑いながらモグモグと口を動かす珠生の頭の中には、父の事と王子の事はひと時消えてしまっていて・・・・・。
 「・・・・・」
そんな珠生の様子を見ているイザークも、今この瞬間王子のことを思うことはなかった。