海上の絶対君主
第二章 既往の罪と罰
18
※ここでの『』の言葉は日本語です
(くそっ、どこに行ったんだっ、タマ!)
ラディスラスは必死で人の波をかき分けていた。
珠生が父親らしい男のことを聞いて、かなりのショックを受けたのは間違いがない。
ただ、不用意な発言をしたラシェルだけを責めることは出来なかった。ここまで珠生に何も言わないと決めたのはラディスラス自身
だからだ。
今になれば例えショックを受けるかもしれなくても、可能性としての話は伝えておけば良かったと思う。
(もう遅いがな・・・・・っ)
これだけの人間の中で、珠生を見付けるのは容易ではない。
珠生が目立って大柄であればまだ分かりやすいが、女とほとんど同じような体格だし、その姿が埋没してしまっても仕方がない。
あの特徴的な黒い瞳がすぐ分かるようであればいいのだが・・・・・。
「ね〜、遊ばない?」
纏わりついてくる女に、ラディスラスは眉を顰めた。
誰かを探しているという様子が分かるだろうに、それでもなお腕を掴んでくる商売女の商魂は逞しいようだ。
「どう?」
「・・・・・」
もうかなりこちら側には来たはずで、この辺りにいないのならば別の方に行ったのかもしれない。
「悪い、離してくれ」
早口でそう言って女の腕を振りほどくと、案外と素直に女は引き下がった。
「いい男ってのはなかなか捕まらないわね〜。さっきの男も子供に取られちゃったし」
(子供?)
なぜか、女の言い方が引っ掛かった。
ラディスラスは歩き掛けた足を止め、背中を向けた女の腕を強く掴んだ。
「どんな子供だ?」
「え?」
いきなりの問い掛けに怪訝そうに聞き返した女のドレスの胸元に、ラディスラスは金を差し入れてやった。
「どんな子供だった?」
女はチラッと胸元の金を見て、ラディスラスに向かってにっこりと笑いかけた。
「小柄な子よ。色が白くって黒髪で・・・・・ああ、見たこともない黒い目をしてた」
「・・・・・!」
(タマだっ)
「どこに行ったっ?」
「どこって・・・・・ついさっき軍隊の人間らしい男とあっちに歩いていっ・・・・・ちょ、ちょっと!」
女の言葉を最後まで聞かず、ラディスラスは指が指した方に向かって走り出した。
「美味いか?」
「おいしー」
イザークは賑やかな通りから少し入った場所に珠生を連れてきた。
丁度商売人が置いているのだろう樽や木箱が道の端に重ねてあって、イザークは珠生をそこに座らせた。
「・・・・・」
かなり腹が減っているのか珠生は美味しそうにさっき買った甘い菓子を食べ続けていて、イザークもその姿を穏やかな表情で見つ
めながら思った。
(この子はどこの国の者なんだ?)
初めて見た時も衝撃的だったが、この闇を凝縮したような黒い瞳はどう考えても見た事はおろか、噂も聞いたことはなかった。
どうしてあの海賊船にこんな子供がいたのか。略奪をしたというには、この子供はかなりあの男達に懐いていた様な気がする。
もっと小さい頃に攫って・・・・・とも考えたが、それにしてはこの白い肌はどう説明するのか。
(訊ねても答えるだろうか・・・・・)
「・・・・・タマ」
「んぐ?」
名前を呼ばれて珠生は顔を上げた。
小さな口元に少し菓子がついていたのが微笑ましく、イザークは指で拭ってやろうと手を伸ばしかけたが、
「!」
急に空気が揺れる気配を感じ、イザークは珠生の前に立ちはだかって腰の剣を抜く。
「誰だっ」
「タマ!!」
「!」
「ラディッ?」
そんなイザークの前に飛び出してきたのは、海賊船エイバルの船長、ラディスラス・アーディンだった。
「ラディッ?」
(何でここに・・・・・あ)
食べることしか考えていなかった珠生は、ようやく自分がどうしてここにいるのかを遅まきながら思い出した。
最初は、ラディスラス達と食事をしに町に来たことから始まった。
偶然入ったその店で、ラシェルが捜していた王子の手掛かりに気付いて店主を問い詰めた時、そのラシェルの言葉で珠生はもう
亡くなってしまったはずの自分の父親が生きているかもしれないという可能性に思い当たってしまった。
黒い目を持つ人間は、もしかしたら自分のようにこの世界に間違って来てしまった父親以外の人間の可能性もなくはない。
しかし、以前ラシェルは珠生の父親の名を聞き、その途端感情を爆発させたことがあった。それは、その名前を聞いたことがあると
いう確かな証拠ではないだろうか。
「ラディ」
「タマ・・・・・」
剣を片手に持ったまま、ラディスラスは明らかにホッと安堵した表情になった。
しかし、反対に珠生は口元を引き締め、ラディスラスを真っ直ぐに見つめて言った。
「ラディ、説明」
「タマ」
「俺の、とーさん、もしかして生きてる?ラシェルの捜してるおーじ様と一緒?俺知らないことばっかり!」
「タマ、ちゃんと説明するから、ほら、こっちに来い」
ラディスラスは珠生を宥めるように言いながら手を伸ばしてきた。それでも剣を下ろさないのは、珠生の直ぐ側にいるイザークを警
戒してのことだろう。
しかし、今の珠生にとってイザークは怖い敵ではない。変な男から助けてくれ、こうして美味しい物も奢ってくれた。
悪い人間とはとても思えなかった。
「やだ」
「タマッ」
「ラディ、嘘付くかもしれないし、イザークがいてくれた方がいい」
「・・・・・お前、何時からそいつと仲良しになった?」
「今さっき。イザークは俺助けてくれたし、これ買ってくれた!すっごくいい人だよ!」
「・・・・・」
珠生は一歩もそこから動かず、イザークの後ろからラディスラスの反応を待った。
(餌付けされやがって・・・・・っ)
珠生が手に持っている物を見て、ラディスラスは大体のことは想像がついた。
きっと本能のままに駆け出した後、誰かにぶつかるか因縁をつけられるかしたのだろう。
そこを(多分)偶然通り掛ったイザークが、(多分)何の見返りなど考えもせずに助けてやった。
そして(確実に)珠生が欲しがったあの菓子を買ってやった・・・・・。
(そんなとこか)
そう間違いはないだろう自分の想像に眉を顰め、ラディスラスはイザークに視線を向けた。
珠生を守るように立ちふさがって剣を構えている姿を見ると、まるで自分の方が敵に見えてしまう。
「・・・・・分かった」
とりあえず、今はこれ以上珠生を怒らせない方がいいだろうし、イザークに懐かせたくもない。ラディスラスは折れたというように剣
を鞘に納めて両手を上げると、苦笑を零しながら珠生に話し掛けた。
「悪かったって、タマ。お前が望むように全て話してやる」
「・・・・・本当?」
「ああ」
「イザークも一緒だよ?」
「・・・・・海兵大将、我が船におこしくださる勇気はおありか?王子のことはあまり人に知られない方がよろしいかと思いますが」
わざと慇懃無礼に言ってやった。
これでイザークが怒って剣を振るってくれば相手をするつもりだった。
しかし、ラディラスが思った以上にイザークにとってもミシュアの名前は重いものらしい。
「・・・・・分かった」
いや、もしかしたら珠生と離れがたく思っているのだろうか・・・・・、そう言って剣を下ろしたイザークの目が珠生に向けられるのを見
て、ラディスラスは口の中で舌打ちをうった。
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