海上の絶対君主
第二章 既往の罪と罰
3
※ここでの『』の言葉は日本語です
「どうした?ラシェル。相手に会えなかったのか?」
その夜遅く船に戻ってきたラシェルに、ラディスラスはらしくなく気遣わしそうな視線を向けた。
ラシェルが親衛隊長時代の仲間の所へ行くことは知っていたので、もしかしたらその仲間に海賊であることを理由に会えなかった
のだろうかと思ったのだ。
いや。
「王子に会ってもらえなかったのか?」
「・・・・いえ」
固い表情をしたラシェルは、ラディスラスにハーライドから聞いた話をした。
「神隠し?」
冗談だろうと言おうとしたラディスラスは、ラシェルがそんなことを言うような男ではないと思い直した。
(そんなことが有り得るのか?)
人一人が消えるのは容易いことではない。それも、ミシュアは幽閉されていたとはいえ、国が預かった一国の王子なのだ。
「1年も前・・・・・そんな噂は聞かないな」
「俺も聞いていません。カノイが意図的に隠しているとしか・・・・・」
「ジアーラにすれば好都合なことだな」
「・・・・・」
ラシェルは眉を顰める。
自分がいなくなった後のジアーラ国の混乱は各国に醜聞として広まっていて、それは船の上に乗っているラシェルの耳にも届いて
いた。
4年前、当時の皇太子だったミシュアをその地位から引きずり落としたのは、ミシュアの腹違いの弟だった。
ミシュアより1歳だけ年下のその義弟は、正妃の子ではないからと離宮で育てられ、父親である王とも数えるほどしか会えず、義
兄であるミシュアに妬みの思いを募らせていたのだ。
ミシュアの失脚に気を落とした当時の王、自分の父親を無理矢理その座から下ろしてその義弟が自らが王となったのは、ミシュ
アがいなくなってから半年も経たない時だった。
国を治め、もっと発展させたいというよりも、それまで日陰の身だった自身が脚光を浴び、崇められることを望んだ義弟の国政は
帝王学も学んでいないせいか失政も多く、ジアーラ国は見る間にその力を失っていった。
辛うじて今も4大大国の一国と言われてはいるが、数年前までは花の国とも言われていた緑豊かなジアーラ国は、今では荒れ
果てた貧国に成り果てていた。
「まさか、そのことを嘆かれて姿を消されたわけではないと思うが・・・・・」
「それならばもっと早くに何らかの動きがあっただろう?」
確かに、ジアーラ国の失墜は1年前に始まったことではない。
それよりももっと前から悪い噂はたっていたはずで、ミシュアがそれに心を痛めたとしたらもっと早くに行動を取っていたはずだ。
1年前・・・・・いったい何があったのだろうか。
「それで?どうするんだ」
「・・・・・」
「ラシェル」
「お捜ししたい」
「・・・・・そうか」
「どれくらい掛かるか分からない。ハーライドは・・・・・仲間はこの1年間ずっと捜し続けたと言っていた。その言葉は嘘ではないと
思う。1年間も捜し続けたのに今だ見つからないんだ、俺が易々と捜し出せるとは思えない」
「・・・・・」
「それに、このカノイにいるとも分からない。ジアーラではさすがに王子のお顔を知っている人間は多いし、現王の手前戻られてい
るとは思わないが、世界は広い」
「そうだな」
真面目なラシェルらしいと思った。
今は主君でない王子を、どんなことをしても見つけようとするその思いは、今だ消えていない騎士道精神かも知れない。
ラディスラスは反対する気も無い。むしろ・・・・・。
「似顔絵を描け」
「え?」
いきなりのラディスラスの言葉に、ラシェルは眉を顰めた。
「探し物は1人よりも2人。2人よりも40人いた方がいいと思わないか?」
「ラディ・・・・・」
「ああ、俺はお前に恩を売るつもりは無いぞ?船の上ばかりじゃタマも退屈だろうし、少し色んなものも見せたやりたいんだ。俺だ
け楽しむのも悪いし、その間暇な奴らが遊ぶ合間に多少擦れ違う人間の顔を見たって、たいした手間じゃないだろう」
「・・・・・」
「大丈夫だ、ラシェル。お前の彼の君はきっと生きてる。根拠は俺の勘しかないがな」
そう言ってにやっと笑んだラディスラスに、ラシェルはただ頭を下げることしか出来なかった。
「え?」
「描けますか?」
翌朝、アズハルよりもかなり遅く起きた珠生は、食堂でそう聞かれて首を傾げた。
「・・・・・かけるけど・・・・・」
「では、お願いします。ラシェル」
アズハルの隣にいたラシェルが、真剣な表情で珠生に言った。
「よろしく頼む」
「う、うん」
(何だろ・・・・・?)
渡された紙と、鳥の羽のようなペン(小さな瓶の中の液をつけて書くようだ)を持たされ、珠生は無意識の内に緊張してしまった。
軽い気持ちで描けるとは言ったものの、珠生の美術の点は2(5段階評価)だ。中学校の時に一度絵画コンクールで佳作に入
賞したことがあったが、それは父の補修がかなり入ったもので・・・・・。
「ラシェルの言う通りに人の顔を描いてください」
「かお・・・・・」
今更出来ませんとはとても言えなかった。
じいっと自分の描いた絵を見ていた珠生の後ろからその紙を覗き込んだラディスラスは、はあっと呆れたように言った。
「なんだ、これは。生き物か?それとも想像上の怪物か?」
「!」
バッと振り向いた珠生の顔は真っ赤だ。
「タマ、それ、何だ」
「・・・・・っ」
確かに、まだ言葉が不自由なところもあるので、細かな描写は難しかったかもしれない。
それにしても珠生の絵はとても人間には見えず、どういいように言っても子供が書いた動物の(ような)絵だった。
自分でもその自覚があるのか、珠生はからかうようなラディスラスの言葉に珍しく抗議してこない。
「タマ、苦手なことを頼んですまない」
ラシェルは直ぐに落ち込んでいる珠生を慰めようとしたが、ラディスラスはその珠生の表情を可愛く思ってしまった。
ラシェルには悪いが久し振りに珠生をからかうことが出来ると、ラディスラスは珠生の背中に圧し掛かるようにして、目の前の絵を
事細かに口にしてみた。
「大体、人の顔っていうのは、丸描いて目と鼻と口を描けばそれなりに分かるってもんなんだがな。お前のは目と鼻の大きさは同
じくらいだし、耳は頭の上の方にいき過ぎている。口は小さ過ぎるし、見てみろ、顔と身体の大きさが変だと思わないか?身体が
頭4個分なんて、子供じゃないんだから・・・・・っ!」
そこまで言ったラディスラスは、いきなりその紙を顔に押し付けられた。
「ラディのばか!ラディがかけばいい!!」
「タ、タマッ?」
バタバタと食堂を出て行く珠生を唖然として見送っていると、横からアズハルが呆れたように言った。
「本当に馬鹿ですね」
「・・・・・」
「顔に液が付いてますよ。早く洗って来たらどうです」
「・・・・・」
(やり過ぎたか)
珠生の反応が面白くて、加減を過ぎて怒らせてしまったようだ。
ラディスラスは自分の行動に溜め息を付くと、顔に付いたらしい液を苦々しく手で擦った。
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