海上の絶対君主




第二章 既往の罪と罰


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※ここでの『』の言葉は日本語です






       

 「運命の人は1人だけじゃないのかも知れないぞ」
 「え?」
 「例えば・・・・・確かに母さんは父さんの運命の人だったけど、その母さんが亡くなってしまって・・・・・父さんの運命の人はもう二
度と現われないって思うか?」
 「え〜っ、父さん再婚したいの?」
 大好きな父の無責任な言葉に、珠生は口をへの字にした。
確かに母が死んでかなりの年月が経つ。珠生は、知り合いの伯母さんが何度も父に見合いの話を持ってきたことも知っている。
それでも、父は死んだ母のことがずっと好きで、母以外の人間には・・・・・いや、母がいない今、自分という存在以外に大事なも
のはいないと思っていたのだ。
 「さあ、再婚とかは考えたことはないなあ」
 「・・・・・ホント?」
 「ああ。父さんには珠生がいるし、珠生が一番大切なのは変わりはない」
 「・・・・・そっか」
途端にニコニコ笑って機嫌が直った珠生を苦笑しながら見つめた父は、それでもなあと小さな声で言った。
 「もう一度誰かを好きになりたいとも思うんだ」



       

(生きてた・・・・・)
 海の事故。
警察や周りの人間はそう言ったが、珠生は遺体が上がらないままの父が死んだとは全く信じられなかった。
それでも、一番大切だと言ってくれていた自分の前から姿を消してしまった父が、生きていることはないとどこかで納得をしていた
のかもしれない。
生きているかも・・・・・そう、ラディスラスが言った時、珠生の胸に広がったのは嬉しさだった。
唯一の家族が生きていた。珠生はそれが嬉しくて泣いた。
 「・・・・・タマ」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 ラディスラスは何か言い掛けて止めた。今珠生に何を言ってもきちんと受け止めることが出来ないだろうと思ったのかもしれない。
しかし。
 「ラディ!捜すよ!」
 「タマ?」
手の甲でゴシゴシと目元を擦った珠生は、泣いてしまった事が丸分かりの顔をしたまま、それでもしっかりとした眼差しでラディスラ
スを見つめて言った。
 「とーさん見付ける!」
 「・・・・・お前、いいのか?お前の父親はミシュア王子と・・・・・」
 「そんなのっ、その時考えるよ!大事なの、とーさん見付けること!ラディ、手伝うよねっ?」
拒否は許さないというように、珠生はラディスラスの前に仁王立ちになった。



(・・・・・参った)
 珠生の睨むような視線に晒されているというのに、ラディスラスの顔に浮かんだのは笑みだった。
自分達の不安が杞憂だったことに安堵する以上に、珠生の意外なほどのタフな精神力が誇らしく思ったからだ。
一見、子供のようにしか見えない珠生だが、その内面はラディスラス達以上に強い。
 「大丈夫だな?」
 「何言ってる?俺、大丈夫じゃないって言った?」
 「・・・・・言ってないか」
(こっちが先回りしてグルグル考えていただけか)
あの小さな身体を抱いて、アズハルに向かっても珠生は子供じゃないと言っていた自分自身が、一番珠生を子供だと思っていた
のかもしれない。
 「ラディはよし!アズハルは?」
 「もちろん、手伝います」
 医師であるアズハルも、珠生の精神状態はよく見えているのだろう、穏やかに笑いながら頷いている。
 「アズハルもいいね。・・・・・ラシェル」
 「タマ、俺は」
 「おーじと一緒にいるの、多分とーさん。俺がとーさん捜すのと、ラシェルがおーじ捜すのは同じ目的だよね?」
 「・・・・・俺は、お前の父親を見たら殴るかもしれない」
 「その時は俺が止める」
きっぱりと言い切った珠生は、くるっとイザークを振り返った。
 「イザークも、手伝って」
 「俺が一緒に捜してもいいのか?」
 「人手はたくさんあった方がいいもん」
現金だが分かりやすい答えに、さすがのイザークも苦笑を漏らした。



 全てを知って返ってホッとしたのか、珠生はそこにいる者達の協力を確信すると、まるで電池が切れたかのようにその場に崩れ落
ちた。
何事かと一同は青褪めたが、慌てて駈け寄ったアズハルが眠ったようだと言うと、さすが珠生らしいと皆思ったようだ。
そのままアズハルが珠生を抱いて(意外に力持ちなのだ)寝かせに行くのを見送ると、残った男達の前にジェイが酒の入ったコップ
を並べた。
 「ジェイ」
 「一時休戦だろ」
 ラディスラス達とイザークの立場を揶揄したような言葉だが、確かにここはしばらくお互いが協力しなければならない。
分かっているのかとチラッとイザークに視線を向けると、イザークはコップを持ち上げながら静かに言った。
 「陸の上には海賊などいないはずだ。取り締まる必要はないだろう」
 「・・・・・」
(捻くれた奴)
もっと素直に力を貸すと言えば、こちらも頼むと言えるのにと思う。
このイザークだけではなくラシェルを見ても、軍人というのは堅苦しい人種だと思うしかなかった。
 いや、ただの頭の固い人間だったら、今のラディスラスの話は信じることが出来なかったかもしれないが。
(違う世界から来たとか、俺だって直ぐには信じられなかったしな)
初めて聞いた話で頷くことが出来たのは、イザークも見た目を裏切ってかなり柔軟な思考の持ち主なのか・・・・・それとも、珠生の
存在が信じざるをえなくしたのか。
(そうだった)
 それよりもと、ラディスラスは先程の町でのことを思い出した。
少し目を離した隙に見事に珠生に取り入ったようなイザークを、今回の協力とは別に珠生には必要以上に近づけないようにしな
ければならない。
珠生の気持ちは多分いい人止まりだろうが、この頭の固いイザークはどんな感情を珠生に抱いているのか・・・・・想像出来てしま
うのだ。
 「おい」
 「なんだ」
 「必要以上の餌付けはするなよ」
 「・・・・・」
 何のことを言っているのかイザークは直ぐに分かったのだろう。一瞬目を眇めたが、直ぐに口元に皮肉気な笑みを浮かべた。
 「お前はタマの保護者か?」
 「・・・・・保護者じゃないな」
 「保護者でないのなら、そこまで口に出さなくてもいいだろう」
 「保護者より立場が上だったらいいのか?」
 「ラディ」
ジェイが苦笑しながら止めようとしたが、ラディスラスの口は止まらなかった。
 「あれは俺のだ」
 「・・・・・前にもそんなことを言っていたな」
 「あの時と今じゃ事情が違う。ちゃんと全部俺のものにした」
 「・・・・・っ」
イザークの表情が僅かに強張った感じがする。
(やっぱりこいつ・・・・・)
その表情で、イザークが珠生に対してどんな思いを抱いているのかはっきり分かった気がする。
もしかしたら、イザークはまだ自分では自覚していないのかもしれないが、それならばなおさら、今の内にしっかりと宣言しておいた
方がいいと思った。
 「お前が男でもいいという人間かどうかは分からないが、そうだとしても俺はタマを他の誰にも渡す気はないからな」