海上の絶対君主
第二章 既往の罪と罰
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※ここでの『』の言葉は日本語です
大好きな父親は少しも変わっていなかった。
髭が生えてしまったとか、少し痩せてしまったとか、日に焼けてしまったとか。
外見的な変化はもちろんあったが、何時も自分を見つめてくれていた優しい瞳は少しも変わっておらず、珠生は全く躊躇いも感
じないままにその身体にしがみ付いていた。
『珠生』
日本語で、その名前を呼ばれるのをどれ程望んでいたか。
『珠生、父さんに顔を見せてくれ。お前・・・・・少しも変わらないな』
涙で潤んだ声で優しく話しかけてくれる声を忘れられなかったか・・・・・珠生はますます父親にくっ付いて離れなかった。
「タマ、おい、場所を変えよう」
やがて、直ぐ傍で別の声が珠生を呼んだ。
父親と同じように珠生の名前を愛おしそうに呼んでくれる声。
猫を呼ぶようなその呼び方を今では受け入れてしまっていた珠生は、何度も父親に背中を擦られてようやく顔を上げた。
『お前がこの世界に来ているなんて、思ってもみなかったよ』
『お、俺だ、だって、と、さん、生きてる・・・・・なんて・・・・・』
『・・・・・そうか、やっぱり私は死んだことになってるのか』
『そ、だよ!俺、1人ぼっちになったとおも、思って・・・・・』
『すまなかった、珠生・・・・・』
そう呟いた父親・・・・・瑛生は、珠生を抱きしめたまま顔を上げて、ラディスラスに視線を向けた。
「アーディンさん、でしたか。あなたがタマキを今まで保護してくださったんですね?ありがとうございます」
「・・・・・いえ」
丁寧に頭を下げられたラディスラスは途惑ったように首を横に振った。
改めて思えば、想像していた通りの珠生の父親像だった。
線の細さも、柔らかな面影も、ラディスラスがずっと見つめ続けていた珠生によく似ている。ただ、やはり人生経験を積んでいるだけ
に、その瞳は深い色合いを湛えていた。
「色々話はあるでしょうが、ここでは少し目立ちます。良ければ私の船へ」
「あなたの?船を持ってらっしゃるんですか?」
ラディスラスの若さで船を持っているというのに驚いたのだろう、少し目を見張った瑛生に、ラディスラスは苦笑を零した。
自分が海賊だと言えば、更に瑛生は驚くだろう。
(大事な息子を渡せないと言われるかもな)
その時はその時で、堂々と渡り合って珠生を奪ってしまおうとも思っている。
「・・・・・私の素性は後で。ああ、それと、船にはきっとあなたに反感を持ってる奴がいると思いますが覚悟して下さい」
「あなたの船に?」
「・・・・・ミシュア王子の関係者です」
瑛生を見付けた事は、直ぐにラシェルとイザークにも知らせるつもりだった。
この2人が王子と共にいる瑛生を・・・・・そもそもミシュアが国を追放される原因を作った瑛生をどうするか、それはラディスラスにも
想像がつかなかった。
暴力に訴えようとするのならば止めようとは思うものの、その思いを止めることはさすがに出来ない。
「・・・・・ミュウの知り合いが?」
「元親衛隊の人間です」
「・・・・・そうですか、分かりました」
瑛生は口元を引き締めると、しっかりと頷いてそう答えた。
エイバル号を見た瑛生は、やはり驚いたように目を見張った。
そして、小船で船に乗りつけて乗船すると、そこにはアズハルが固い表情で一行を迎えた。
「ラシェルとイザークは?」
「まだです。・・・・・こちらが、タマの?」
「ああ、タマの親父さんだ」
瑛生はアズハルを見て頭を下げた。
「ミナカミ・エーキ、エーキといいます。息子がお世話になって、感謝しています」
「・・・・・いえ。私はアズハル・キア。エイバル号で船医をしています」
そう答えたアズハルは、途惑ったようにラディスラスに視線を向けてきた。
アズハルが途惑うのも無理が無い。息子を置いて好きな相手と暮らしている無責任な父親・・・・・そう想像していた人物像と目
の前の瑛生はあまりにも違う。
常に傍らにいる珠生に向ける目はとても優しく、息子に愛情が無くなったとはとても思えなかった。その上、その目の光は十分知
性的で、ただ欲に我を忘れた男とはとても思えない。
「食堂に行くから、ラシェル達が来たらそう伝えてくれ」
「はい」
乗組員達にそう言ったラディスラスが一行を背に歩き始める。
すると、そこかしこの乗組員が珠生と瑛生の姿を見て口々に喜んでくれた。
「親父さん見付かったのか!」
「う、うん」
「タマ、良かったな!」
「うん、ありがと」
乗組員達にも大体の経緯は伝えられている。ミシュアと瑛生の関係とか、込み入った話はしていないものの、珠生とよく似た黒い
瞳の中年男を捜せといった段階で、珠生の父親だろうということは想像がついただろう。
今目の前に並んで立つ珠生と瑛生は本当によく似ている。親子だと分からぬものはいないはずだ。
『・・・・・大事にされてるな』
『え?』
『みなさんがお前を愛してくれているのが分かる』
『・・・・・うん、よくしてくれる』
後ろから聞こえる親子の会話は、聞こうと思わなくても聞こえてきてしまう。意味は分からなくても、穏やかな雰囲気は十分感じ
取れた。
(この親父さんがタマを見捨てるとは思えないがな・・・・・)
息子だけではなく、その周りにもちゃんと目がいって理解出来ているようなこの男が、どうして珠生の元に帰らなかったのか・・・・・ラ
ディスラスはそこに何か理由があるのではと思った。
食堂に入って席に着くと、直ぐにジェイがコップを出してくれた。
丁寧に礼を述べた瑛生は、広い食堂を見回して感心したように呟いた。
「立派な船だ」
「俺達、海賊なんです」
「え?」
さらっと、ラディスラスは告げた。
「この船は海賊船、俺はその頭領です」
「海賊・・・・・?」
「でも、誓ってタマにはそんな行為はさせていません。タマの手は汚れていませんから」
「ラディ・・・・・」
(そんなの、言わなかったら分からないのに・・・・・)
珠生は正直に自分を海賊だと言ったラディスラスの気持ちが分からなかった。
しかし、海賊と聞いて僅かにだが眉を顰めた瑛生に、珠生は慌てて説明を加えた。
『海賊っていっても、ラディ達は人を殺したりはしないんだよ!お金持ちとか、悪い役人だけ狙ってるんだって!』
『珠生』
『それだって、良くないってことは分かるけど、生きていく為には仕方ないでしょ?この船のみんな、すっごくいい人ばっかりだから、
父さんだって一緒にいれば分かるよっ』
庇っているつもりではないが、自然と瑛生に言い訳のようなことを言ってしまう。
そんな珠生の髪を優しく撫で、瑛生は苦笑して言った。
「タマキ、こっちの世界の言葉は分かるんだろう?皆さんにも分かるように、ニホンゴでなく、こちらの世界の言葉で話そうか」
「う、うん」
その言葉にあっと思った珠生は直ぐに頷いた。事情を知りたいのは自分だけではないと気付かされた気分だ。
珠生の興奮が鎮まったのを見取って、瑛生はラディスラスを振り返った。
「私も、この世界に住むようになってから、少しですが世の仕組みというものを知っています。海賊船エイバル・・・・・以前、聞い
たことがありますよ、義賊だって」
「・・・・・そんなにいいものではないですけどね」
「タマキ、いい人達と出会えたんだね・・・・・良かった」
「とーさん・・・・・」
昔と全く変わらない瑛生の物言いに、珠生が再び涙ぐみそうになった時、
「ラディ!エーキが見付かったってっ?」
いきなり食堂に飛び込んできたラシェルは、珠生の隣に腰掛けている瑛生の姿を見付けた途端、溢れる怒りと共に大声で叫
んだ。
「エーキ!王子をどこにかどわかした!!」
「!」
珠生はラシェルから庇うように、反射的に瑛生の頭をギュッと抱きしめた。
「とーさんいじめるな!ラシェル!」
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