海上の絶対君主




第二章 既往の罪と罰


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 自分よりも大きな身体の父親を身体全体で庇う珠生に、怒りを湛えたラシェルの目が行き場を失ったように揺れていた。
瑛生に対して思うところがあるラシェルも、まさか珠生の身体を引き剥がしてまで殴りかかることは出来ないようだ。
(理性は残っているようだな)
 ミシュア王子と離れて4年、そして、行方不明と聞いてからの日にち。ラシェルにも色々考える猶予が与えられたのかもしれない
と、ラディスラスは浮きかけた腰を再びイスに戻した。
多分、ラシェルは瑛生の話をちゃんと聞けるはずだ。
 「タマキ、離れなさい」
 「やだ!」
 「父さんは彼に・・・・・隊長に罵られても仕方がないんだよ」
 優しく珠生の背を叩きながら、瑛生の目はラシェルを見ていた。
彼の中ではまだラシェルはミシュアの親衛隊長という立場なのだろうが、その職を辞してかなり時間が経っているラシェルにとっては
途惑いの方が大きいかもしれない。
 「とーさん」
 「タマキ、全て話すから、ほら、子供みたいにくっ付いていないで離れなさい」
 「・・・・・」
 渋々といったように瑛生から離れた珠生は、それでもピッタリとその隣に寄り添うように座って腕にしがみ付く。
それを笑って見た瑛生は、改めてラシェルを仰ぎ見ると頭を下げた。
 「すまなかった、ラシェル隊長。あなたにも、そしてあの時ミュウの傍にいた人達にも、あれほどに親切にしてもらったのに・・・・・私
はミュウを置いていってしまった」
 「・・・・・なぜ、姿を消した」
固い口調でラシェルが問うと、
 「・・・・・今から言う事を信じてくれとは言わないが・・・・・」
そう、前置きして、瑛生は静かに話し始めた。


       



 日本からこの不思議な世界に来た理由は、瑛生自身も分からなかった。
ただ、満月の夜、夜釣りに出かけた海で、ふと伝説の洞窟が目に入った。
昔から不思議な言い伝えのあるそこに、何気なく足を踏み込んだ瑛生は何かに足を取られ、気がつけば見知らぬ浜辺で誰かに
顔を覗き込まれていた。
 「大丈夫ですか?」
 明らかに、日本語ではない言葉。
相手も、綺麗な金髪に碧の瞳という、少女とも少年とも取れるような麗人だった。
 『君は?ここは・・・・・どこだろうか?』
 「?どこの国の言葉?」
 『私は・・・・・どうしてここに・・・・・』
 「黒い瞳なんて・・・・・見たことがない」
 「王子!何奴ですかっ?」
 「あ、ラシェル、この人ここに倒れてて・・・・・言葉が全然分からないんだよ」
 瑛生は、新たに馬に乗ってやってきた男の姿に目を見張った。
白い軍服のような格好にマントを羽織り、腰に剣を携えている格好・・・・・まるで映画で見る騎士のようだと思った。
(いったい・・・・・)
自分を検分するような男の瞳も、初めに見た麗人と同じ碧の瞳。
瑛生はふと、洞窟の言い伝えを思い出した。

 「満月の夜、別の世界の扉が開く」

昔から、誰からか教えてもらったわけでもなく知っていたその言葉。瑛生はもしかして自分がとんでもない世界に迷い込んでしまっ
たのではないかと思った。



 言葉が全く通じない瑛生の世話を、麗人・・・・・ミシュアと名乗った青年が献身的にしてくれた。
少女のようにも見えたミシュアがもう19歳で、息子の珠生よりも年上だという事に驚いたし、彼がこの国の皇太子であることにも
驚いた。
知ったのは、言葉を大体聞き取れるようになってからだが。
 それでもミシュアは身分を振りかざすようなことなど無く、大人しく穏やかな性格の青年で、どう見ても怪しい瑛生を心から心配
して世話をしてくれた。



 怪我をしているわけでも無く、ただ衰弱していただけの瑛生はたちまち回復し、直ぐに元の世界へ、愛する家族のいる世界へと
戻ることを考えていた。
 「エーキ、タマに会いたいですか?」
 「ミュウ」
 既にこの世界に来て一ヶ月は経とうとしていた。
毎日日課のように自分が倒れていた浜辺に向かい、丹念に海岸沿いを歩いて帰る手段を探す瑛生に、ミシュアは小さな声で聞
いてきた。
さすがに毎日顔を合わせていれば、何となくだがお互いの言葉の意味を聞き取れることが出来るようになって、瑛生は難しい日
本語の発音で話すよりも、片言だがこちらの国の言葉で話すようにしていた。
ミュウとはミシュアの愛称で、家族だけしか呼ばないものらしいのだが、初めミシュアと言い難そうにしていた瑛生に、こう呼んでくれ
とミシュア自らが言ってくれていた。
 「大事なんですね、タマのこと」
 「かぞく、だから」
 幼い頃に学生結婚した母親を亡くした珠生を淋しがらせないようにと、瑛生は商社の勤めを辞めて地元に帰ってきた。
収入は激減したが、親子2人が食べていくには十分だったし、ここには自分が好きな海がある。怖がりでカナヅチな珠生の泳ぎの
特訓も出来た(いまだに泳げないが)。
 中学生になったのに、まだ子供のように甘えん坊で、友達と遊ぶよりも父親の自分と一緒にいることを好む珠生。それでは将来
大丈夫かと思うが、可愛い珠生と一緒にいられるのもそう長いことではないだろうしと、瑛生も出来るだけ珠生と一緒にいるように
していた。
そんな自分がいなくなれば、1人残された珠生はいったいどうなってしまうのか。
家族の縁に薄い瑛生は両親とも既に亡くしていて、妻の両親は結婚に反対していたせいか、いまだにほとんど交流は無い。
親類もいるが少なく、いきなり珠生の面倒など見てくれるだろうか・・・・・。
(いったい、どうやったらここから帰れるんだ・・・・・)
 昼間はもちろん、夜もこの浜辺にやってきた。
丁度満月の夜だったこともある。
顎の下までつかるほどの深さまで海にも入っていったが、あの時のように・・・・・この世界に来た時のように足元が崩れるような感覚
はなかった。
 「エーキ」
 「しんぱいない、ミュウ」
 ちょうど海に入っていった時、瑛生を迎えに来たミシュアは大声で瑛生の名前を呼んで止めた。
自分まで腰近くまで海に入っていったのを、親衛隊長のラシェルが力ずくで止めていた。
その後、

 「王子を悲しませるようなことはしないで欲しい」

そう言って頭を下げたラシェルを前に、瑛生はもう無茶な方法は取れなくなってしまった。
 「エーキは、タマが一番なんだね」
 今日も浜辺にやってきた瑛生の後を追ってきたミシュアは、少し離れた所に自分も腰を下ろして目を伏せた。
最近、2人でいるとよくこんな表情になる。
(何かしただろうか・・・・・)
初めて会った時から兄のように慕ってくれていたミシュアを、瑛生も歳の離れた弟のような・・・・・あるいは息子のように思って接して
いた。
元の世界に居る息子の珠生のことも話していた。何よりも大事な存在だという事を。
その頃から、少しミシュアの様子が変わっていった気がするが・・・・・。
 「・・・・・エーキ」
 やがて、ミシュアは顔を上げて瑛生を見つめてきた。思い詰めたようなその表情に、瑛生はとっさに聞いてはいけないことだと思っ
た。
 「ミュウ、はなし、また・・・・・」
 「エーキ、僕を・・・・・あなたの二番目にしてくれないでしょうか?」
 「ミュウ・・・・・?」
 「あなたが、好きなんです」
真っ直ぐな告白を受け、瑛生は笑い飛ばすことも宥めることも出来ない自分に気が付いた。
ミシュアと同じ思いかどうかは分からないが、自分もミシュアという存在を好ましいものだと思っていたからだ。
 「僕の言葉、分かりますよね?あなたが好きなんです。タマの次で構いません、僕を受け入れてくれませんか」
痛いほどに真摯な言葉。
瑛生は直ぐに言葉を返すことなど出来なくて、ただ隣に座って自分を見つめてくるミシュアの碧の目を見返すだけだった。