海上の絶対君主
第二章 既往の罪と罰
27
※ここでの『』の言葉は日本語です
それから直ぐにイザークも駆けつけてきた。
その場にいる瑛生の姿に目を瞠り、続いてラディスラスがミシュアの病状を説明すると、今にも何かを叫びそうになるほど顔を紅潮
させたが、ギュウッと強く自分の拳を握り締めることでその感情の爆発を辛うじて抑えたようだった。
「じゃあ、行くのはこの6人でいいな?」
珠生と瑛生と、ラシェルとイザーク。そして第三者的な立場の自分と、医者のアズハル。
病人に会うのに少し人数が多いかも知れないと思ったが、それでもこれが一番いい人選だろう。
「あ、そういえば薬湯を買いに来た・・・・・ん、でしたっけ」
どうも普段言い慣れない敬語は使いにくいが、珠生の父親に対して普段使うような口調で話すのはまずいだろう。
そんなラディスラスの表情に苦笑しながら、瑛生は静かに頷いた。
「ええ、薬湯と、何か栄養があるものをと思ってきたんだが・・・・・」
「あ!じゃあ、オミマイでラディが買ってあげたらいーよ、ね?」
お金を出させると堂々と言ったわりには、珠生の表情はいいのかなと少し心配そうだ。
ラディスラスはそんな珠生を安心させるよう髪をクシャッと撫でた。
「もちろん、いいぞ」
「じゃあ、直ぐいこう!早くがいーよ!」
一番に食堂を出ようとした珠生は、すぐにあっと気付いたように厨房に向かった。ジェイの作ってくれる身体にいい物を取りに行った
のだろう。
その後ろ姿を笑いながら見ていたラディスラスは、横顔に視線を感じて振り向いた。
「・・・・・」
(まずい・・・・・か)
今のやり取りだけで、自分と珠生の関係(珠生は頑強に認めていないが)に気付いたのかどうか・・・・・ラディスラスはカマを掛け
るように瑛生に聞いた。
「タマと俺の関係、知りたいですか?」
少し直球かもしれないその言葉に、瑛生は困ったように笑って言った。
「少し、怖い気もするね」
自分自身がミシュアと男同士とはいえ恋愛感情を挟んだ関係にあるのだ、息子は駄目だとは大きな声では言えないのだろう。
ここで追い詰めてはまずいかと、ラディスラスは今はこれ以上は言わないでおこうと思った。
馬を借りて港町を出たのは昼過ぎになってしまい、それからどれくらい走ったか・・・・・やがて父が乗る馬の足が止まった。
「ここだよ」
「・・・・・」
この中で唯一自分で馬に乗れない珠生は(瑛生はこちらの国に来てから乗れるようになったらしい)、ラディスラスの操る馬にしが
み付いていた身体を何とか起こした。
「つ、着いた?」
珠生としては父と一緒に馬に乗りたかったのだが、慣れない人間の2人乗りは危ないと頑強にラディスラスが言い、父もそうだねと
納得しての組み合わせだった。
「・・・・・」
目の前にあるのは、絵本の中に出てくるような小さく質素な2階建ての家。
ここに皆が捜していた相手が、父を好きだという相手がいると思うと、珠生はらしくなく緊張してしまった。
「タマキ」
「う、うん」
ラディスラスの手を借りて馬から下りると、珠生は意を決して歩こうとして・・・・・自分の足が震えていることに気付いた。
(な、なんだよ、俺!)
皆に諦めるなと言ったのは自分だった。
ミシュアに会いたいと言ったのも、自分だった。
しかし、いざその人物が目の前のドアを開けたその場所にいると思うと、緊張と恐怖と、そしてまだ完全には消しきれない恨みが
心の中にあることに気付いた。
自分から父を奪った相手の顔を見た時、いったい自分は何を口にするか・・・・・重い病の相手に罵倒するようなことを言わないか
と、それがとても怖かった。
「タマキ」
そんな珠生を振り返り、父が優しくその名を呼ぶ。
「タ〜マ」
珠生の肩を抱いて、ラディスラスがポンとその背中を前に押す。
「・・・・・」
珠生は唇を噛み締めて、ゆっくりと家の中に入っていった。
中は本当に農家の家というように質素な造りだった。
置いてあるものもテーブルにイスと、2つの戸棚だけ。
「奥に階段がある」
どうやらまだ作業から戻っていないらしく、老夫婦の姿は中に無かった。
珠生は知らない相手に会わなくてもいいのだと少しだけホッとし、先を行く父の背中をゆっくりと追いかけた。
「気をつけなさい」
2階に上がる細い木の階段は、ラディスラス達が乗れば折れてしまいそうなほどに細く頼りないもので、こういう場所しか借りれな
かったという父の今の生活を思うと珠生は泣きそうになってしまった。
(俺・・・・・恵まれてるんだ・・・・・)
この世界に頼るものがないはずなのに、自分は初めから寝る所も、着る物も、食べる物も、ちゃんとあった。
ラディスラスはスケベで傲慢な男だったが優しいところもあったし、アズハルもラシェルも、ジェイも、そして船に乗っている乗組員達
皆、珠生に対して親切で優しかった。
父とは違い、本当に不可抗力でこの世界に来たんだとしても、自分は本当に恵まれた立場だったのだ。
ギシギシという音をたてながら階段を上ると、目の前にあるのは小さなテーブルとイス。
その奥に、木のベットが見えた。
(あそこに・・・・・)
「ミュウ、お客さんだ」
自分の名前を呼ぶ時とは微妙に違うニュアンスで、父はベットの上の人影に声を掛けた。
「・・・・・お客様?」
「・・・・・っ」
(うわ・・・・・綺麗な声)
男にしては高めの(珠生も人の事は言えないが)声。しかし、どこか弱々しく力が無い。
「君の、ずっと会いたかった人だよ」
「僕、の?」
「タマキ、こっちにおいで」
「・・・・・タマ?」
驚いたような声と共に、人影が起き上がろうとする。
無理をさせてはいけないと、珠生は慌てて父の隣に立った。
「タ、タマキです」
「・・・・・君が、タマ?」
・・・・・真っ白い顔だった。掛け布から出ている小さく細い手も真っ白だ。
珠生もかなり色白の方だが、それでも生き生きとした表情があるのに対し、ミシュアの色は本当の白なのだ。
綺麗な金髪もほとんど銀のように見えるほど色素が無かったが、、ラシェル達と同じ碧の瞳は、目の前の珠生を見つめて嬉しそう
に輝いた。
「ああ・・・・・可愛いですね」
「な・・・・・っ」
「エーキが話してくれた通り・・・・・会いたかった、タマ」
「お、おーじ」
何を言っていいのか・・・・・珠生は声が喉に張り付いたような気がして、なかなか言葉が出なかった。
本当に人形のように綺麗なミシュア。
しかし、明らかに生気が感じられないほどに弱々しいオーラが全身を覆い、長くは無いと言った医者の言葉が頷けるように、ミシュ
アはただそこに横たわっている。
「・・・・・ごめんなさい、タマ。君のお父さんを引き止めて・・・・・」
「・・・・・っ」
不意に、珠生は涙が零れた。
憎いとか、可哀想とかいう感情の前に、ただ・・・・・生きて会えたことが奇跡だと思った。
「・・・・・捜してた」
「タマ?」
「おーじのこと、みんな、捜してたんだよ?」
「みん・・・・・な?」
「生きてて・・・・・良かった」
ラシェルやイザークの気持ちを思うと、自分が泣いてなどいられない。とにかく、目の前のこの儚い存在を、どうしても助けなければ
ならないと思う。
「ラシェルと、イザークもいるよ」
「・・・・・ラ、シェル・・・・・イザー・・・・・ク・・・・・?」
珠生の声に導かれるように、固い表情のラシェルとイザークが前に出る。
「王子・・・・・」
「ミシュア様・・・・・」
「・・・・・親衛隊長、副隊長・・・・・久し振りだね」
碧い瞳は懐かしそうに細められた後・・・・・ゆっくりと濡れて、閉じられた。
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