海上の絶対君主




第二章 既往の罪と罰


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 まだ言葉が拙い珠生に代わり、父が今の状況をミシュアに話した。
ミシュアの健康状態はあまりいい状態ではないという事。
ベニート共和国に高名な医師がいるという事。
掛かる費用はラディスラスが肩代わりしてくれるという事。
 「それは・・・・・出来ません」
 身を起こして話を聞いていたミシュアは静かに首を横に振った。珠生はなぜという疑問しか浮かばなかった。
これが生きる為の方法というのに、これを拒絶したら死ぬのを待つだけかもしれないのに、なぜミシュアはこの話を断ろうとするのだ
ろうか。
 珠生の疑問を感じたのだろう、ミシュアはじっと視線を向けてきて言った。
 「生きたいとは、思います。タマに会えて、ラシェルやイザークと再会して、この先の未来を考えたい・・・・・そう思いました」
 「だったらっ!」
 「・・・・・でも、その費用を他の方に出していただくのは・・・・・少し、違うのではないかと思います。こんな身体になってしまったの
は、浅はかな想いを抱いてしまった私への罰。罰は受けなければなりません」
 「うう〜・・・・・」
ミシュアが言いたい事は、何となくだが分かるような気はする。
珠生にしても、ラディスラスにお金を出してもらって当然と思っているわけではない。ただ、頼る相手は彼しかおらず、その後は自分
の出来る範囲で何らかを返したいと思っていないわけでも・・・・・ない。
とにかく、今は一刻を争う時で、綺麗事など言っていられるはずがないのだ。
 「おーじ!」
 「タマキ」
珠生がそれを言おうと口を開きかけたのを、父が止めた。
そして、自らベットの傍に跪くと、視線を俯かせているミシュアに向かって言った。
 「君が罰を受けることはないんだよ、ミュウ。罰があったとしても、それは昨日までの君が十分真摯に受けてきた」
 「・・・・・」
 「王子である君が、人の施しを簡単に受け入れられないのも分かるが・・・・・でも、ミュウ、君はこのまま死んでも後悔はしない
のかい?」
 「・・・・・後悔?」
 「このままで、君はいいのかい?」
 「・・・・・」



 穏やかに諭すように話す瑛生の言葉は、心の中にゆっくりと浸透するように響く。
ラディスラスは腕を組んだまま、ミシュアの説得は瑛生に任せておいた方がいいと思った。
自分は・・・・・このヘソを曲げてしまった可愛い子供を何とか宥める役に徹した方がいいだろう。
 「お前の父親、見掛けによらずしっかりしているな」
 「・・・・・」
 「もっと優柔不断で、流されるような性格と思ってたが」
 「とーさん、そんなんじゃない」
 口を尖らせた珠生は、自分の後ろに立つラディスラスをチロッと見上げた。
 「とーさん、ラディより頭いいし、カッコイイし、やさしーし、悪いとこなんてないよ」
 「ふ〜ん」
(俺の前でそこまで言うなんてな・・・・・かなりの父親っ子だとは思ってたが、予想以上だったってことか)
他の男を褒められるよりはましだとはいえ、珠生の父親に対する愛情は半端なものではないらしい。
ラディスラスはこの先珠生を自分のものにするのに、父親が一番の問題だと思っていたが、これは案外に珠生自身が一番の難関
のようだ。
 「アーディンさん」
 その時、瑛生がラディスラスの名を呼んだ。
 「なに、とーさん」
呼ばれたラディスラスが返答するより先に珠生が前に出る。
それに苦笑するラディスラスに、瑛生も目線で謝罪しながら、ミシュアが呼んでいると言った。
 「王子、決心はついたか?」
 「アーディン様」
 「ラディスラスでいい」
 「・・・・・ラディスラス、今の私には、強がりを言ってはいられないことはよく分かっています。それでも、今日会ったばかりのあなたに
全てを負担させるのは、やはり頷きがたいのです」
 「・・・・・」
(なかなか頑固だな)
それでもミシュアの気持ちが分からないでもないので、ラディスラスはその言葉の続きを待った。
 「それで、価値があるのかどうか分かりませんが、これを・・・・・エーキ、お願いします」
 頷いた瑛生が、寝台の下から籠の箱を取り出した。中には何枚かの服が入っていたが、その一番下から小さな皮袋を取り出
すと、そのままミシュアの手の上に置いた。
細い指がその袋の紐をゆっくりと解く。
 「!」
 中から現われたのは、輝く金で作られた印だった。
 「これは、私の印です。祖国ジアーラには、既に私の財産は没収されてありませんが、父が昔から身体が弱い私の将来に役に
立つようにと、数カ国に私名義の土地を買ってくださっていたのです。今も全てが有効かどうかは分かりませんが、その中の1つくら
いはまだ私のものかもしれません。どうか、それを治療費や旅費代として受け取って頂けないでしょうか」
 「・・・・・」
さすが王族は違う・・・・・それがラディスラスの感想だった。
世界各国に財産を分けて保管しておくという事は聞いたことがあるが、それが土地というのはなかなかに大きな話だ。
幾ら音沙汰が無いとはいえ、2年やそこらでその土地が勝手に売買されることはないだろうし、そうだとしたならばそれはかなりの金
額になるだろう。
 「そんな大事な印、俺なんかに渡していいのか?」
 「だって、あなたはラシェルの今の上司なのでしょう?ラシェルが選んだ人は信じられる人で当然です」
 「・・・・・」
 「ラディスラス、私は罪を背負った罪人です。大切な国民を放り出し、自分の心のまま行動してここまできてしまいました。それ
でも・・・・・生きたいと思ってもいいのでしょうか」
 「当たり前だ、王子。俺は海賊だがな、どんなに罪を犯していても、生きる権利はあると思ってる。こんな俺が生きてるんだ、あん
たは生きてて当然なんだよ」
きっぱりと言い切ると、ミシュアの目はたちまち涙で濡れて・・・・・そのまま顔を覆ってしまった。



 「ラディ、頼みがあります」
 少しミシュアを落ち着かせた方がいいと一同は瑛生だけを残して下に下りた。
珠生もそこに残りたそうだったが、ラディスラスが強引に腕を取って連れて来た。
 「なんだ、ラシェル」
 「・・・・・金は、俺が出します。だから、どうか王子の印を受け取らないで欲しい」
 「ラシェル・・・・・」
 「今はその地位を剥奪されているが、本来王子はジアーラの正当な王位継承者。あの印はその証でもあるんだ。それを手離し
てしまったら・・・・・」
 「ラディスラス・アーディン、私も金を出す」
イザークも一歩足を踏み出した。
 「私にとっても、大切な王子だ。今までどんな苦境でもあの印を使わなかったのは、王子としてもあれは最後の心の拠り所だっ
たのだと思う。あの印は・・・・・そのまま王子のお手元にあった方がいい」
 「ラディ」
真剣な顔をして自分に詰め寄る2人に、ラディスラスは思わずプッとふき出した。
 「何がおかしい」
イザークの表情が剣呑なものになる前に、ラディスラスは呆れたように言い放った。
 「俺を誰だと思ってるんだ?海賊船エイバルの船長、ラディスラス・アーディンだぞ。その俺が、わざわざ向こうから差し出されたお
宝に簡単に手を伸ばすと思うか?」
ラディスラスにも矜持がある。確かに略奪という行為に正当性があるわけではないが、それでも生きていく為の生業として選んだも
のだ。
向こうから差し出されたものを素直に受け取れる性格ならば、海賊などしていないといってもいいだろう。
それに。
 「エーキはタマの父親。タマは俺の可愛い恋人だ。恋人の父親を助けるのは男として当たり前だと思わないか?なあ、タマ」
 「・・・・・」
 「タマ」
 「・・・・・あ、なに?」
 どうやら珠生は2階を気にしていたらしく、今のラディスラスの言葉は耳を素通りしてしまったようだ。
何の用と眉間に皺を寄せる珠生に改めて同じ言葉を言うのも変な感じがして、ラディスラスは溜め息をつくしかない。
そんな情けないラディスラスの姿を見て、アズハルだけではなく、ラシェルもイザークも思わずといったような笑みを口元に浮かべた。
 「さすがのあなたもタマには勝てないようですね」
 「タマだけだ」
 「それが一番大きいみたいですけど」
からかうようなアズハルの言葉に何とか言い返しながらも、2階を見上げる珠生の視線を再び自分の方に向けるのは簡単なもの
ではないようだった。