海上の絶対君主
第二章 既往の罪と罰
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「まあ、あなたがエーキの息子さん?可愛らしいこと!」
それからしばらくして、この家の持ち主である農民の老夫婦が戻ってきた。
家の中にいた見知らぬ大勢の男達にさすがに驚いたようだったが、直ぐに瑛生が身内が迎えに来てくれたと説明し、それは良かっ
たと自分の事のように喜んでくれた。
特に、見た目も幼い珠生が瑛生の息子だと分かると、まあまあと顔を綻ばせて抱きしめてくれる。
幼い頃から両親の両親・・・・・祖父母とは行き来が無かった珠生は、これがおばあちゃん、おじいちゃんなんだなとくすぐったく思っ
た。
「とーさん、お世話なりました」
「いいえ〜、エーキは色々手伝ってくれたし、いなくなるのは淋しいわねえ」
「さみしー・・・・・」
「ミュウも、孫みたいに思ってたしなあ」
裕福ではないものの、多分父とミシュアはここで居心地よく暮らしていたのだろう。名残を惜しむその言葉を聞いて、珠生は老
夫婦の人の良さをしみじみと感じた。
(父さんと王子がいなくなったら、また2人になるんだもんな)
一時、ミシュアの持っている印をラディスラスが預かるという形にして(ラディスラスは旅に出たら直ぐに返すつもりのようだが)、よう
やくミシュアはベニート共和国に行くことを同意した。
身体が弱っているミシュアを陸路で運ぶか、それとも海路で運ぶかも話し合ったが、小国を含めて少なくとも3つの国境を越えな
ければならない陸路は、その度に検問を通過しなければならない。
途中砂漠もあり、気温差も激しい旅路。身体を気遣いながら進めば1ヵ月以上は掛かる旅になる。
そうでなくてもミシュアの身柄はカノイ帝国も、ジアーラ国も共に捜している。国境の警備が厳しいのは覚悟しておかなければなら
ないだろう。
海路は、一度大海に出てしまえばなかなか陸に戻ることが出来ないという事と、変わりやすい天候に難はあったが、国ごとの検
問はないし、時間も陸路の半分近くは縮まる。
アズハルという医者も同行しているという事で、海路の方が陸路よりはいいだろうという事になった。
エイバルは後2人くらい余裕で乗せることは可能だし、ベニート共和国までの経路や、その途中の注意すべき海域はイザークが
教えてくれることになった。
真面目な彼が機密を提供するほどに、イザークにとってもミシュアは特別な存在だった。
「とーさん、はみでる」
「2人で寝られるかな」
その夜、イザークは今後のことで色々調べたいからと自分の宿に戻って行き、残った珠生、ラディスラス、ラシェル、アズハルはこ
の家に泊めてもらうことになった。
泊まると言っても家はかなり狭く、余分なベットなどはない。
珠生は父と一緒に寝ると宣言したが、くっ付いて寝られるかどうかの狭さだ。
ラディスラス達は家の隣にある、家畜の餌や寝床用にためてある干草の上でごろ寝をすることにしたらしい。
「・・・・・だいじょぶ?」
雨に濡れないように木の板で簡単に作られた屋根と、壁の無い柱だけの場所。
自分の寝る所が決まって、ラディスラス達の方を覗きに来た珠生は、さすがに心配になって言った。
「タマ、知らないのか?干草は一番いい寝床なんだぞ?」
「・・・・・嘘だ」
「お前も寝てみれば分かるぞ。まあ、他の事で寝れないかも知れないがな」
「ほかの事?」
「隣にお前が寝ていて、俺が簡単に寝かすと思うか?」
「バ、バカ!」
多分、冗談だろうという事は分かっている。
それでも、父が側にいる時にこういう言い方をしないで欲しい。
「・・・・・」
チラッと視線を向けても、父は穏やかに笑っていた。
どうやらラディスラスの言葉は聞こえなかったか、それとも意味が分からなかったかどちらかのようだ。
(ラディはどうしてこんな言い方しかしないのかな〜)
時々・・・・・ラディスラスはとても頼りになるし、弱くなりかけている珠生の心を叱咤してもくれる。
見た目だって悪くは無く、むしろいい男のはずなのに、計画的か無意識が、少しエッチで・・・・・頭にくることを言うラディスラスが憎
らしい。
そんな彼と自分が、多分弾みなのだろうが・・・・・身体を重ねたことを、父には知られたくなかった。
(父さんびっくりして、絶対怒るって)
男同士でという事よりも、好きでないのに身体を重ねたことに、父はきっと怒るというよりも悲しむだろう。
(・・・・・好きじゃないっていうのとは、ちょっと違うけど・・・・・)
好きとか、嫌いとか、はっきりといえる関係ではない。
それでも珠生にとってラディスラスは、他の人間とは違う特別な相手であることには間違いなかった。
港からかなり離れているので潮風は感じない。
ただ、昔よく遊んだ干草の匂いを存分に感じて、ラディスラスはくっと笑みを漏らした。
「どうしました?」
そんなラディスラスの気配を感じ取ったアズハルが問い掛けると、ラディスラスは口元に笑みを浮かべたまま言った。
「なんだか、思い掛けないことばかり体験すると思ってな」
「・・・・・」
「海賊なんかやってるのに、王子様を助ける騎士のような役目も貰ったし、こうして干草の上で寝転がってるしな。タマと出会っ
てから、人生面白いことばかりだ」
「・・・・・確かに、ただの海賊であったら経験しないことでしたね」
アズハルの口調も楽しそうな響きがある。
医者としてはミシュアの体調が気になるところだろうが、それでも希望があることが気持ちを楽にしている。
(タマが言ったように、初めから諦めていたらそこで終わりだ)
海賊船に乗っていながらどこか常識に縛られていたアズハルも、珠生を知ってから自分の新たな面がどんどん出てきた感じがす
る。
それが嫌ではなく、むしろ楽しいと思えることこそが、自分が前向きに変わったという事なのだろう。
「ラシェルも、すまなかったな」
「・・・・・何がです」
「タマの父親を殴らないでくれて。お前が気持ちを抑えてくれて、本当に助かった」
「・・・・・別に、タマの為だけではありませんよ」
大切な王子を堕落させた(ラシェルはそう思っていた)瑛生を目の前にした時、感情が爆発しそうになったのは確かだった。
しかし、瑛生の目の前に立ちふさがった珠生の必死な表情は、その自分の怒りを押さえ込む程に真剣で、ラシェルは感情が爆
発しそうになった自分を唇を噛み締めて押し殺した。
その後、怒涛のように瑛生のいなくなったわけや、ミシュアとの関係、そして・・・・・今のミシュアの病状と、ラシェルは怒りだけでは
解決出来ない状況に追い込まれた。
それを、打破したのも、珠生だ。
暴論とも言っていい論理だが、諦めないという精神はラシェルにも強く影響した。
(全く・・・・・不思議で面白い奴だ)
「明日から忙しくなるな。王子を船に乗せる準備もしないといけないし」
「薬も余分に揃えておかないといけません」
「航路の確認と、ベニートの情報も掴んでおかないと」
「やる事山盛りだな」
そうは言うものの、ラディスラスの口調は楽しそうだった。
生きていく為の海賊という行為はあまりいいことではないが、それでも大海原の中で自由に生きていくのは心地良かった。
ただ、それとは別に何か目的があれば、楽しさもまたさらに違う。
「あ〜、楽しいな〜」
(これも、タマと出会えたからだな)
「ね〜!さむくない〜っ?あったかいミルクもって来たよ〜!!」
その時、大きな声が聞こえてきた。
どうやら外で野宿(同然)の3人を心配したのか、それとも瑛生に言われたのか、珠生が差し入れを持ってきてくれたらしい。
「・・・・・酒じゃないとこがタマらしいな」
「ふふ、本当に」
「あいつに男を理解しろってことが無理なんですよ」
そう言うラシェルの声も笑っている。
「三つもコップ持てないから手伝ってよ〜!」
「・・・・・ったく」
ラディスラスは上半身を起こしながら大声で返答した。
「今行くから大人しくそこで待ってろ!お前が動いたら零すだけだからな!」
多分、また後で文句を言われるかもしれないが、それもまたラディスラスの楽しみになっていた。
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