海上の絶対君主
第二章 既往の罪と罰
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※ここでの『』の言葉は日本語です
部屋に戻ってきたアズハルに、ラディスラスは直ぐに訊ねた。
「タマは?」
「大分落ち着きました。まだ少し怯えてる感じはしますが、テッドは聡い子なので大丈夫でしょう」
寡黙だが優しい人だと認識していたラシェルから受けた突然の暴力は、珠生に大きな衝撃を与えたらしかった。
アズハルは珠生よりも大柄な人間が傍にいればまだ怖がるかもしれないと判断し、テッドを傍に置いてきたらしい。
「すまんな」
その報告を聞いたラディスラスは、部屋の隅にあの時、引き剥がした格好のまま今だ立ち尽くしているラシェルに言った。
「おい、何があったんだ」
「・・・・・」
「ラシェル」
「・・・・・ラディ、俺を殴ってくれ」
「何?」
ラシェルはゆっくりとラディスラスの方を振り返った。
「俺は・・・・・力の無いタマに酷いことをしてしまった・・・・・。幾ら正常な判断が出来ないほどに追い詰められていたとしても、関
係無いタマに手を出すことはしてはならなかったはずだった・・・・・っ」
生真面目なラシェルらしい言葉に、ラディスラスは苦笑を零した。
普段誰よりも冷静沈着なはずのこの男があれほど取り乱したということは、ラシェルにとってかなり衝撃的な事実が分かったのだろ
う。
それが何かを言う前に、先ず自分の愚行を謝罪するラシェルを、ラディスラスは潔い男だと改めて思った。
しかし。
(それとこれとは話は別だからな)
自分にとって大切な珠生を怖がらせたことは、きちんとラシェルにもその痛みを感じさせた方がいいと思う。
「じゃあ、遠慮なく」
そう言ったと同時に、ラディスラスの拳はラシェルの頬に綺麗に入った。
アズハルに冷たく濡らした布を受け取って頬に当てたラシェルは、歯で切ってしまった口中が痛むのか、時折顔を顰めながらも自
分が聞いた事を2人に話した。
「タマの父親?」
「・・・・・多分。はっきりは言えないが、エーキも黒い瞳をしていたし、話していた言葉もどことなく珠生の話していた言葉に似てい
た気がする。ただ、あの時俺はミシュア様のことばかり気懸かりで・・・・・正直何時の間にかいなくなっていたエーキを不審には思っ
ていたが王子を問い詰めることは出来なかった・・・・・」
今となっては、はっきりとあの男の顔を思い浮かべることは正直出来なかった。
ただ、黒い瞳と異国人という印象だけは脳裏に刻み付けられていたので、最初ラディスラスが珠生を助けた時、珠生の黒い瞳を
見て男を思い出し、ラシェルは最初は珠生に対して冷たい態度を取ってしまっていた。
「顔は・・・・・似ているかは分からない。大体歳が違い過ぎるし、まさかエーキの子供が・・・・・」
「・・・・・何の因縁かな」
「ラディ・・・・・」
「・・・・・」
ラシェルの話は確かにラディスラスにとっても衝撃だった。
ラシェルが海賊になる原因だったミシュアの話は聞いていたし、その経緯に憤慨もしていた。
ただ、そこに珠生の父親が絡んでいるとは・・・・・。
(タマが知ったら・・・・・どうするか・・・・・)
最近やっと日常会話が出来るようになったが、珠生の家族や住んでいたところの話は今だしたことはなかった。
それは聞く暇が無かったという事もあるが、ラディスラスは珠生が常に自分の国に帰りたいと思っていることが分かっていたので、少
しでも里心がつくような言動は極力避けていたのだ。
そのツケが、今回のラシェルの暴走に繋がってしまったのかもしれない。
「すまなかったな、ラシェル。もっと早く俺がタマの家族のことを聞いていたら・・・・・」
「いえ、多分、タマから聞いたとしても、それを直ぐにミシュア様と結び付けることは出来なかったと思う。今、ミシュア様を捜してい
て、その上で名前を思い出したくらいで・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「ラディ、どうするんですか?」
黙って2人の話を聞いていたアズハルが静かに言う。
ラディスラスは一瞬目を閉じ、次の瞬間口を開いた。
「行ってみよう、その離島に」
「ラディ」
「いいんですか?もしかしたらタマは父親に会うかもしれないという事ですよ?ようやく慣れてきたというのに、また帰りたいと言い
出すかもしれない」
「ここで逃げたって同じだろう。もしも、あのオヤジが言っていた2人連れが王子とタマの父親だとしても、挨拶に珠生の国に行く
手間が省かれただけだ」
「挨拶?」
「息子を貰いたいってな」
ニヤッと笑って言うその言葉は、とてもお願いするという態度には見えない。
それでも、ようやくラディスラスらしさが戻ってきたと、アズハルは内心ホッとして言った。
「私が親だったらとても許しませんけどね」
「その時は奪えばいい。俺たちは海賊だぞ」
その言葉に、強張っていたラシェルも少しだけ笑みを浮かべていた。
アズハルの部屋に行くと、珠生は寝台に腰を掛けて大好きな菓子を無言で食べていた。
前の港町でその味を気に入った珠生の為に、大きな箱一杯に買ったロクトだ。
甘いその菓子をラディスラスは苦手だったが、珠生は1日に2回、まるで楽しみなおやつの様に口にすることを日課にしていた。
「あ」
「ご苦労だったな、もう休んでいいぞ」
「え・・・・・あ、でも・・・・・」
何時もより格段に元気の無い珠生を心配してか、テッドはどうしようかと珠生を振り返る。
さすがに自分よりも子供の(見た目はむしろ珠生の方が幼いが)テッドに心配は掛けたくないと思ったのか、珠生は顔を上げて小
さく笑い掛けた。
「テッド、ありがと、おやすみ」
「・・・・・おやすみなさい」
テッドが部屋から出て行くと、ラディスラスは珠生の隣に腰を下ろす。
その重みで寝台が揺れたのに、珠生はチラッと目線だけラディスラスを見て・・・・・また黙ったままロクトを口に頬張った。
口の周りが汚れているのにラディスラスは笑った。
「お前は本当に18歳か?」
「・・・・・」
「タマ」
「・・・・・」
「ラシェルを許してやってくれ。あいつもお前が憎くてあんな真似をしたわけじゃない」
「・・・・・わかるよ。ラシェル、優しい人、だし」
小さな珠生の返事に、ラディスラスは頷いた。
珠生がラシェルのことを嫌ったわけではないと分かって内心安堵する。
この先一緒に航海をしていく上で、ラシェルは大切で重要な仲間の1人だ。自分にとって大事な珠生と仲違いすることは出来る
だけ避けたかった。
ラディスラスは軽く珠生の頭を撫で、入れとドアの方に向かって叫ぶ。
すると、少し時間をおいて・・・・・中にラシェルが入ってきた。
「タマ・・・・・」
「・・・・・」
「すまなかった」
ただ頭を下げるだけではなく、その場に片足を着いて謝罪するラシェルを驚いたように見つめた珠生は、直ぐにラディスラスに視線を
向けてきた。
どうにかしろとその視線が言っているようで、ラディスラスは笑ってラシェルに言った。
「ラシェル、タマは怒ってないそうだぞ」
「タマ・・・・・」
「それでも気がすまないんなら、しばらくお前の食いもんの半分はタマにやれっ」
「分かった。タマ、お前が食べたいものは何でもやろう」
「た、食べれない!バカ、ラディ!」
叫ぶ珠生に、ラシェルはそっとその手に触れる。
一瞬、ビクッと逃げ掛けた小さな手は、震えながらもキュッとラシェルの手を握り返した。
「・・・・・ラ、ラシェル」
「ありがとう、タマ・・・・・」
そんな2人を見て、ラディスラスはあまり面白くないなと思いながらも、その顔に浮かんだ笑みが消えることは無かった。
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