子犬と闘犬2
2
「本当によろしいんですか?楢崎さんには何時もお世話になって・・・・・はい、はい」
台所で携帯に向かって話している母親を、暁生はドキドキとしながら見つめていた。
母が今手にしているのは暁生の携帯で、その相手は楢崎だ。
「お前の親にはちゃんと挨拶をしておかなければな。一応、礼儀だ」
たった、1、2日外泊することを、わざわざ母親には言わなくてもいいと言ったのだが、その母と同世代の楢崎は親には極力心配
掛けない方がいいと、翌朝、母親が起きている時間にわざわざ電話を掛けてきてくれた。
(駄目だって言われても、絶対に行くからなっ!)
ようやく、楢崎がその気になってくれ、わざわざ箱根に宿をとってくれたのだ。
変な話、セックスなどどこでだって、それこそ楢崎の部屋やラブホテルでだって構わないのに、初めての暁生のことを考えてくれた。
そんな楢崎の誘いを断るなんてしたくない。
「・・・・・はい、よろしくお願いします」
「あっ」
(じゃあっ、いいってことっ?)
暁生がパッと母親の顔を見ると、電話を切った母親は溜め息をつきながら言う。
「まったく、あんたのどこを気に入ってくれたんだか」
「旅行、行ってもいいんだよなっ?」
「迷惑掛けないのよ?」
「うん!」
母親から携帯を返してもらうと、暁生は急いで玄関を出た。狭いアパートでは、隣の部屋に行っても何を話しているのかは丸聞こ
えになってしまうので、とにかく母親に聞こえない場所へと急いだ。
「もっ、もしもしっ」
階段を駆け下り、アパートから50メートルほど離れた場所で楢崎に電話を掛けると、苦笑交じりの声が聞こえてくる。
『どうした、息が荒いぞ』
「ちょ、ちょっとっ、部屋から出たからっ」
『電話、聞いていたか?』
「う、うんっ。迷惑掛けないようにって言われてっ」
そうかと答える楢崎の声は相変わらず落ち着いていて、暁生は何だか自分だけがはしゃいでいるような気さえしてしまう。
しかし、それでも構わなかった。嬉しいものは嬉しいのだ。
『明後日の昼過ぎに電話して迎えに行く。それまで仕事が詰まっているから会えないぞ』
「わ、分かった。明後日っ、よ、よろしくお願いします!」
『・・・・・俺の方こそ、頼むな』
何をしに行くかという目的を考えれば何だかおかしな挨拶だが、暁生はもちろん、楢崎も、何だか緊張してそんな挨拶しか出来
なかった。
暁生からの電話を切った楢崎は、即座に仕事に取り掛かった。
金曜から土日を挟んでの休みとはいえ、ヤクザ稼業には本来休みなど無いといっていい。幹部である楢崎には目を通さなければ
ならない仕事も多かったし、何より一番大切な会長である上杉の護衛の体制を万全に整えておかなければならないしと、たった
二泊三日の休みを取るとはいえ、多分ほぼ徹夜の日々を送らなければならないだろう。
何人かに指示を出し、決済の書類に目を通した楢崎は時計を見上げた。そろそろ午後三時・・・・・。
(今ならいいか)
自分の部屋を出て、幾つか部屋を挟んだドアをノックする。
「よろしいですか」
「どうぞ」
ソファに座り、コーヒ−カップを口にしていた小田切が、楢崎の方へ視線を向けていてにっこりと笑みを浮かべた。
自分よりも遥かに忙しいはずの小田切は、休憩や休みはきっちりと取る男だ。それだけのことをしているので周りも何も言わない
し、ある意味上杉よりも怖い彼に意見を言う者はいなかった。
「昨日はありがとうございました」
「ああ」
頭をきっちり下げながら礼を言うと、小田切は楽しそうに笑った。
「気に入ってくれた?」
「ええ」
「まあ、あの年頃の子に温泉はどうかと思ったけれど、紹介した所は各部屋に露天風呂がついているし、口は硬いしね。静かな
場所だから男同士でも気にすることは無いだろう」
結果報告はしてくれよと言う言葉をどこまで本気にとっていいのか分からないが、助かったことは事実なので黙っている。
(・・・・・この先からかわれても仕方が無いか)
小田切に相談した時点である程度の事情は知られてしまうかもしれないと思ったものの、自分のセンスではとても暁生を喜ば
せる場所は考えつかず、小田切ならば間違いなく良い所を知っているだろうと思って知恵を貸してもらった。
結果、小田切の顔見知りの宿を紹介してもらったが、自分なりに調べてもその宿は隠密に宿泊するには良い所で、男同士の
自分達には最適な宿だ。
自分はともかく、まだ若い暁生に出来るだけ気を遣わせたくなかったので、楢崎は多少自分が小田切に遊ばれるのもいいと覚
悟していた。
「金曜から日曜日まで留守にしますが」
「携帯は切っていていいよ、連絡するようなことは無いと思うから」
「・・・・・ありがとうございます」
「お土産は温泉まんじゅうをよろしく」
「美味しいものを選んできますよ」
自分が都内にいない時、小田切には一番負担を掛けてしまう。その間よろしく頼むという意味を込めて頭を下げれば、小田切
ははいはいと軽く頷いた。
小田切の部屋を出ると深い息をついた。
別に何を言われたというわけでもないし、今回はとても助かったのだが、やはり性格的に押されてしまう気がする。
それでも、一番頼りになるのは彼なので、快く了承してくれた彼に感謝した。
『後10分でつく』
金曜日。
楢崎から電話があったのは金曜日の午後三時だった。
既に母親と弟は家を出ていて、暁生は慌てて家の戸締りと火の元を確認すると、小さなカバン一つを手にして家から出た。
「・・・・・」
(やっぱり・・・・・これ、子供っぽいかな?)
鍵を閉めた時、見下ろした目線の先にあるスニーカー。
三月初旬だというのに寒いという天気予報を聞いて、暁生の服装はセーターにダウンジャケット、そしてジーンズだ。
「・・・・・」
(今からならまだ着替える時間あるけど・・・・・)
初めて楢崎と2人きりの旅行に行くので、これでも服は何を着て行くのかずっと悩んでいた。
そうでなくても大人の楢崎の隣にいて少しでもおかしくないように、彼が恥ずかしく思わないものをと考えればどうしても地味になっ
てしまい、そうなると、自分らしくないような気がして、何度も何度も服を着替えた。
「男同士で、そんなに気にすること無いんじゃないの?変な格好じゃなけりゃいいわよ」
母親はそんな自分を見て笑っていたが、暁生は真剣だった。自分達はただの歳の離れた友人ではなく、恋人同士なのだ。周り
にはそう伝えることは出来なくても、大好きな相手には少しでもよく思われたい。
「う〜」
気がつかない間にしばらく悩んでいたようで、暁生はクラクションの音にハッと顔を上げた。
「き、来ちゃったっ?」
楢崎を待たせるわけにはいかないと、暁生は一瞬自分の身体を見下ろしたが、着替えるのは諦めて急いでアパートの階段を駆
け下りた。
「まっ、待たせちゃって!」
「そんなに慌てることは無いんだぞ」
アパートの向かいの車道に車を停めていた楢崎は苦笑しながらそう言うと、しばらく暁生の姿をじっと見つめてきた。
何時もならそんな視線を向けられたら、恥ずかしくて顔を逸らしてしまうのだが、今は暁生自身楢崎の見慣れない姿に内心驚い
ていたので、自分が見られていることに気がつかなかった。
(・・・・・カッコいい・・・・・)
普段の楢崎は、何時もスーツ姿だった。体格がいいので全てオーダーメイドらしく、楢崎の身体にピッタリと合うそれはまさに大人
の男の制服といった感じだった。
色は暗めの物ばかりだし、鋭い目つきや顔の傷から、その筋だと周りには思われがちだったが、今目の前にいる楢崎は全く違っ
た雰囲気だ。
シャツは襟元を緩め、カジュアルなジャケットに綿のパンツ。色は派手ではないが明るいものだ。
何時も綺麗に整えられている髪は無造作に後ろに流したままで、眼鏡を掛けているので目元の傷があまり目立たない。
一見して少し怖そうな雰囲気は残っているものの、それでもこれが羽生会の武闘派の幹部だと分かる相手はいないだろうと思
えた。
「・・・・・おかしいか?」
「・・・・・え?」
「お前に合わせようと色々と考えたんだが・・・・・」
楢崎は自分の服を見下ろし、再び顔を上げて暁生を見ると、自嘲するように口元を歪める。
「若づくりし過ぎたな」
「そ、そんなことない!」
「暁生?」
「楢崎さんのそんな姿初めて見た!すっごくカッコいい!」
「いや、あのな」
「カッコいいよ!」
若づくりなどとんでもない。
スーツ姿ではなく、柔らかな雰囲気になった楢崎は年よりも随分若く見えて、何だか改めて好きだという気持ちが高まってくる。
(俺、本当に楢崎さんと2人で出掛けるんだ・・・・・っ)
いまだ現実味が無い気持ちだったが、目の前の楢崎の姿に、何時もとは違うのだという現実を改めて感じさせられ、暁生は緊
張感が再び高まった。
アパートの階段を駆け下りてくる暁生の姿を見た時、楢崎が最初に思ったことは、
(・・・・・若いな)
と、いうことだった。
表情だけでなく服装もまた、今時の若者が着ているようなもので、暁生の年にはもちろん相応しい服装だと思えた。
それと引きかえて自分はどうだろうかと、楢崎は自分の服装を見直す。車で行動するのでそれほど人の目を気にすることは無いと
思ったが、それでも暁生と並んであまりおかしくないような服を選んだつもりだった。
若い時はともかく、年を重ねた今は滅多に着ないような色の服。ネクタイをしないのも久々だ。
しかし、どう見ても暁生と20以上年の違う自分は、せいぜい彼の親にしか見えないだろう。
「お前に合わせようと色々と考えたんだが・・・・・若づくりし過ぎたな」
「そ、そんなことない!」
「暁生?」
「楢崎さんのそんな姿初めて見た!すっごくカッコいい!」
「いや、あのな」
「カッコいいよ!」
暁生は大きな声でそう言ってくれた。それがたとえ欲目だとしても、暁生にそう思われるのは嬉しかった。
「お、俺なんか、楢崎さんと並んでもガキっぽいし・・・・・恋人って思われない、よね」
「・・・・・」
(同じようなことを考えているのか)
楢崎は暁生の若さに。暁生は、楢崎の落ち着きに。互いが相手のことを考え、かえって自分を卑下してしまったようだ。
「・・・・・行くか」
楢崎は暁生の髪をくしゃっと撫でる。自分達の見掛けがたとえチグハグだとしても、今からこの旅行を取り止めることは考えてい
ない。暁生の全てを手に入れるということは、彼の望みであるという以上に、楢崎にとっても明確な望みだからだ。
「・・・・・」
「どうした?」
暁生を助手席に乗せて運転席に座った楢崎は、不思議そうに自分を見る視線に訊ねる。
「・・・・・なんか、不思議」
「・・・・・」
何がと言うように少しだけ首を傾げると、暁生は動揺したように視線を泳がせ始めた。
「な、楢崎さんの運転姿」
「そうか?今までも見ただろう?」
「で、でも、その時はスーツ姿だし、楢崎さんは仕事の延長って感じで・・・・・」
どう説明したらいいのかと、暁生の鼻の頭には皺が寄ってしまったが、楢崎は何となくその言葉の意味が分かってきた。
幹部である楢崎は自ら車を運転することは少ない。上杉の護衛をすることも多いので、直ぐに動けるようにハンドルは握らないの
だ。
たまに、暁生を乗せて走ることはあったが、それも2人でドライブという感じではなくて・・・・・しかも、乗っている車はごく一般的な
ファミリーカーだとは。
(本当に、休日仕様だ)
「家族サービスをする父親って感じか?」
「・・・・・違う」
「・・・・・」
「ドライブを楽しむ・・・・・恋人って、感じ」
少し早口に言う暁生の顔は耳たぶまで真っ赤で、楢崎はぷっとふきだした。
「確かに、そうだな」
「・・・・・笑った」
「すまん。あんまりお前が可愛いことを言うから」
(何だか、俺まで気持ちが若くなるようだ)
今まで、何人かの相手と恋愛のような関係になったし、それこそ身体だけというのならば顔も覚えていない女達も多い。
そんな薄汚れた自分などに勿体ない綺麗な暁生。本当に全てを奪ってもいいのかと思うものの、それでも・・・・・やはり、この存
在を自分以外の人間が抱くことは考えられない。
(覚悟しろよ、暁生)
こんな中年男を夢中にさせ、自惚れさせたのだ。子供じみた経験では済ませられないぞと、心の中で呟いた・・・・・が。
「・・・・・ようやく、楢崎さんに・・・・・ちゃんと抱いてもらえるんだあ」
「・・・・・っ」
不意に、小さな暁生の無意識の呟きが耳に入り、楢崎は自分の顔も赤くなってしまった気がした。
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