子犬と闘犬2
3
(あ〜、本当にドキドキする・・・・・っ)
助手席に座り、真っ直ぐに前を見るふりをしながら、時々運転する楢崎の横顔を見る。
普段から寡黙な楢崎は積極的に話すことは無く、何時もは暁生が何とか会話を繋いでいるのだが、今回は暁生も緊張している
のでなかなか話は繋がらなかった。
(宿のことも、俺全然分からないし・・・・・)
今回の宿は自分が選んだわけではなく、その知識は全くない。楽しみだと言えばそれで終わりそうで、会話が途切れれしまうの
が怖い。
それならば始めから話さない方がいいだろうかと思っていた暁生だったが、
「暁生」
「は、はいっ」
いきなり楢崎に名前を呼ばれ、少し裏返った返事をしてしまった。
「今回は俺の方が悪かったが」
「え?」
「今度から、親に嘘はつかないようにしないとな」
「え・・・・・」
楢崎が何を言おうとしているのか、少し間が空いて気がついた暁生は、フワフワしていた気持ちが急激に沈んだ。
(俺が母さんに嘘ついたこと、まだ怒ってるんだ)
今回、母から結婚式の話を聞いた時、暁生の頭の中に一番に浮かんだのは自由になれる時間が出来るということだった。
母子家庭で弟がいる暁生にとって、泊りがけで遊びに行くことはほとんど無い。楢崎のマンションにも何度か遊びに行ったが、何
時も緊張ばかりしていたし、自分のアパートに彼を呼ぶことなんかとても出来ない。
楢崎ともっと深く結び付きたい・・・・・ずっとそんなことを考えていた自分に神様がくれた、これはチャンスだと思った。
もちろん、母親に楢崎と2人きりで過ごしたいからとは言えず、そもそも断られる可能性もあるのでつい嘘をついてしまったが、楢
崎のOKの返事を貰っても、黙っていれば分からないと思っていた。
しかし、旅行に連れて行くからには挨拶をしなければならないと言いだした楢崎に、まさか母親にはバイトを理由に結婚式の出
席を断ったと言えず、連絡などしなくていいと言い張ったのだが・・・・・結局、嘘をつきとおすことは出来なかった。
「ごめんなさい!」
「・・・・・」
「で、でもっ、旅行、連れて行ってください!」
頭を下げ、そう言い募った暁生をしばらく見つめていた楢崎は、深い溜め息をついたのち、
「仕方ない。言い訳を考えるか」
「な、楢崎さん!」
「いい嘘なんて思い付かないがな」
先日の電話で、楢崎は母親に、暁生のバイト先のシフトが急に変わり、時間が空いたということ。
自分が知り合いから譲り受けた旅行のチケットの日付が迫っていたということ。
たまたま、暁生の時間が空いていることを知った自分が、強引に旅行に誘ったのだと、暁生ではなくあくまでも楢崎側の都合なの
だということを強調して説明してくれた。
本来は身内の結婚式に行くのが筋だろうが、既に欠席の返事を出しているらしいので、このまま旅行に連れて行ってもいいだろ
うかと楢崎が訊ねた時、母親も恐縮しながらもその誘いを認めてくれた。元々、ほとんど会ったことのない従弟の結婚式に、もう
子供ではない暁生を無理に連れて行くのもと考えていたらしい。
「でも、本当にびっくり。楢崎さんほどの人なら、あんた以外に誘う相手は沢山いそうだけど・・・・・ああ、誰かを特別扱いすること
は出来ないのかもしれないわね」
そう言って笑った母は、暁生が今回の田舎行きを断ったことをそれほど深くは考えていなかったらしい。だからこそ暁生も、今改
めて楢崎にそう言われるまで、罪悪感というものはあまり感じていなかった。
唇を噛みしめて俯く暁生を可哀想に思うものの、楢崎はきちんと言った方がいいと思った。
もちろん、暁生が母親に付いてしまった嘘の原因が自分にあることは分かっているからこそだ。
「嘘は、出来る限りつかない方がいい」
「・・・・・」
「これからずっと一緒にいるつもりだったらなおさらだ」
男同士で付き合っていること自体、暁生のようなまだ若い青年には母親に言い難いことだろう。
しかし、この先も共にいるつもりならば、抱えている嘘はごく最小限にとどめたい。嘘が増えることに負担は大きくなり、やがて暁生
の素直な心さえ押し潰しかねないからだ。
「俺達の関係がもう少し強固になったら、改めてお前の母親には挨拶に行く」
「え・・・・・」
「当たり前だろう。大事な息子を貰うんだ。・・・・・簡単に許してはもらえないだろうが」
「・・・・・楢崎さ・・・・・」
「分かってくれたか?」
「・・・・・うん」
頷いた暁生は、その後小さな声でごめんなさいと言った。自分に対して謝ることなど無いのだが、それで暁生の気が済むのなら
ば何度でもいいぞと言える。
「土産、買って帰ろうな」
大事な長男である暁生を、この旅行で自分の女にしてしまうという後ろめたさを打ち消すように、楢崎はそう言うと片手を伸ばし
て暁生の髪をかき撫でた。
数時間のドライブ。
途中サービスエリアにも寄って、その土地の名物を買って貰った。
「美味いか?」
「うんっ、楢崎さんも食べてみてよっ」
自分の嘘のことで楢崎に諭されて落ち込み、しかし、それ以上に嬉しい言葉も言って貰って、暁生の感情は大きく波打ってい
る状態だった。
こうしてはしゃいでいるのも、もしかしたら芝居なのかもしれないが、一方では本当にこれほど楽しいのだとも思えて、未だ緊張感
が解けていない自分に、暁生は引き攣りそうになる頬を撫でてしまう。
(なんか、まだ落ち着かない・・・・・)
「・・・・・」
「・・・・・」
少し離れた場所でタバコを銜えている楢崎の姿は、歳に見合ってとても落ち着いていて・・・・・カッコいい。周りにもオヤジと言え
る歳の男がたくさんいるが、その誰と比べても楢崎は飛び抜けている。
仕事柄、普段は近づきがたい雰囲気を纏っているが、今日の楢崎は本当に柔らかな表情をしていて、チラチラと彼を見る女達
も多いような気がした。
「・・・・・」
じっと見つめていると、楢崎がその視線に気付いてくれた。
そして、煙草を挟んだ指を軽く上げて笑みを向けて来る。
(そんなに笑わなくったっていいのに)
いっそのこと、彼がヤクザの組の幹部だと大きな声で言ってしまいたい。そうすれば誰もが怖がって、彼を見る人間はいなくなる
ような気がした。
「暁生」
「・・・・・」
「どうした?」
そんな自分の嫉妬深い考えになど気付かず、楢崎は疲れたかと気遣ってくれる。
それにううんと首を横に振った暁生は、不特定多数の相手に見せ付けるように彼の腕にしがみついた。
サービスエリアに行くと、暁生は子供のように声を上げて喜んでくれた。
平日なのでそれほど人影は多くなかったが、暁生くらいの年齢の青年達が仲間連れで楽しそうに話している。
(本当は、暁生もあっち側なんだろうが)
自分のような中年男と一緒にいる方がおかしいだろうなと思うが、暁生はそんなことは気にしていないらしい。
あれが美味しい、これを土産にしようと、無邪気に伝えようとしてくれるのが嬉しかった。
「あまり食べるなよ?宿の料理が食えなくなる」
「あ、そっか」
「味も期待していいレベルらしいし、少しは腹を空かせていた方がいいんじゃないか?」
「う・・・・・ん、そうだね」
同意しながら、名残惜しそうに屋台に視線を向ける暁生に笑い、楢崎は行くかと肩を抱き寄せる。
周りからは多分親子だと思われているだろうが、楢崎の中ではこれは立派なデートだった。
それから間もなく、車は今日泊る宿へと着いた・・・・・らしい。
「・・・・・ここ?」
「そのようだな、名前は合っている」
目の前に広がっている光景は重厚で美しく、何の知識もない暁生にもとても上等な宿だと分かった。いったい一泊幾らになるのか
と気になって仕方がない。
「全て離れになっているらしい」
「は、離れ?」
「部屋は10室、その全てが露天風呂付きで、食事も運んでもらえるから他の客とは顔を合わせなくて済むそ」
「へ、へえ」
(楢崎さん、普通に言ってるけど・・・・・凄いよな)
全てが離れとか、露天風呂が付いているとか。テレビで見た高級旅館のようだ。
いや・・・・・。
「ようこそいらっしゃいました、楢崎様。小田切様からお話は伺っております」
「二日間、頼む」
今、自分達に挨拶をしてくれているのは、他の女性従業員とは違う艶やかな着物と、上品な化粧をした中年女性だ。
これはいわゆる女将という存在ではないだろうか?
(わざわざ、名指しで挨拶してくるなんて・・・・・)
「今回は俺が全て払う」
そうは言われたものの、こんなにも立派な宿に自分なんかが泊っていいのかと心配になってしまい、暁生は無意識のうちに楢崎の
腕を掴んでしまった。
「暁生?」
「お連れ様も、お疲れさまでした。お部屋にご案内致しますので」
「ああ」
「・・・・・」
明らかに、見ただけではどういった関係か分からない自分達を見ても、少しも訝る様子も見せずに対応してくれる様が何だか恥
ずかしい。
(お、俺達が恋人同士って分かるのかな)
客商売の目は鋭いしなと、暁生は緊張しながら足を踏み出した。
どうやら小田切は多少の知識を教えているらしい。
普通ならば、
「親子連れですか」
と、聞かれてもおかしくないはずなのに、それも言わず、当然のごとくにこやかに相手をしてくれる接客のプロに楢崎は内心安堵し
た。
いくら他の客と会わないとはいえ、宿の人間とは最小限の接触がある。その者達に、男連れの、どう見ても親子ほどの年齢差
があるのに名前が違う自分達を、好奇の目で見られるのは暁生にとっては辛いだろう。
(こういう所は、気配りが出来る人なんだがな)
複雑過ぎる小田切の性格を思いながらも、楢崎は安堵の息をついた。
「お食事は何時頃になさいますか?」
「暁生、どうする?」
隣を歩く暁生を見ると、少し考えていた暁生はおずおずと切り出す。
「え・・・・・っと、一度お風呂入りたい」
「じゃあ、7時頃で良いな?」
「うん」
「じゃあ、7時で」
「承知致しました。お飲物の好みがおありでしたらお聞き致しますが」
普通は立ち話をするようなことではないはずだが、離れに入る玄関先までで引き返す彼女達はこの機会に最小限のことを聞い
てくる。
(部屋に入れば、2人きりか)
こちらから用を頼まなければ、従業員は顔を出さないと聞いた。その長い時間を暁生とどう過ごせばいいのか、宿に着いてから
急にその心配が大きくなってきた気がする。
「こちらです」
離れの玄関先で立ち止まった女将は、楢崎に鍵を手渡した。
「それでは、ごゆっくりお寛ぎください」
「ありがとう」
楢崎は暁生の肩を抱き、玄関までのアプローチを歩き始めた。自然を利用した造りのそこは周りからの視線を自然にカットしてく
れていて、静かなのに静寂が怖いという雰囲気もない。
「・・・・・」
隣を歩く歩調は少しちぐはぐで、自分と同じように暁生も緊張していることが良く分かった。
もちろん、今から直ぐにセックスするつもりはないが、暁生からすれば今か今かと構えてしまう時間がしばらく続いてしまうのだろう。
いっそのこと、直ぐにでも押し倒してやればいいのかもしれないが、ここはきちんと段取りを踏みたい。この先もずっと抱き合って
もいいと思えるような経験をさせてやりたい。
(俺も、少し考えないといけないしな)
男を抱く・・・・・それも、歳の離れた、愛しい相手だ。
傷付けないように抱く自分自身の覚悟を決めるためにも、もう少し時間が欲しい。
「暁生」
「え、あ、あのっ、俺っ」
「・・・・・そんなに緊張しなくてもいいぞ。直ぐには抱かない」
「!」
「・・・・・」
(・・・・・まずかったか)
言ってはいけない単語を言ってしまったかもしれないと、楢崎は硬直してしまった暁生の足を見て苦笑を零してしまった。
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