異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 こちらが場所を指定してもいいという事で、海藤は都心の料亭の名を上げた。
以前花見にも使ったその場所はかなりの高級な料亭で、それこそ完全予約の店でもあったが、何とか女将に交渉して
少し遅い時間にはなったが離れを押さえてもらった。
 「社長」
 海藤がそこに着いたのは、後20分で午前0時になるという時間だった。
 「・・・・・」
助手席に乗っていた倉橋が先ず先に下り、後部座席のドアを開けた。
連れてきたのは倉橋と数人の護衛だけ・・・・・それは向こうの意向というよりは、海藤の方が事を荒立てたくないと思って
最少の人数でやってきたのだ。
 「・・・・・」
 防弾チョッキは着ていなかった。
倉橋には強く勧められたものの、そんなものを着けていると知られればかえって向こうが優位になってしまうだろうし、何より
彼らを前にすれば着けていたとしても殺す方法は他にも幾つもあるだろう。
無駄なことはしないと海藤は考えていた。



 料亭の中はかなり静かになっていた。
海藤達以外には後2組ほど残っているらしいが、30分もしない内に帰るだろうとの報告は受けた。
約束の時間は午前0時、海藤は用意された膳の前に正座をして、相手が来るのをずっと待っていた。

 「海藤様」
 そして、午前0時ほぼ丁度に、襖の向こうから声が掛けられた。
 「お連れ様がお越しでございます」
 「通してくれ」
ゆっくりと開いた襖の向こうで女将が丁寧に頭を下げて挨拶をし、そっと身体をどかす。
続いて感じた人の気配に、海藤は立ち上がった。
 「・・・・・」
先に現れたのはウォンだ。彼がロンタウと言われる男の側近であることは知っていたし、以前面識もあったので海藤も驚く
ことは無くそのまま頭を下げる。
ウォンは何も答えず、端正な顔に僅かの表情の変化も見せないまま、そのまま頭を下げて自分の後ろの人間に礼を尽く
した。
 「・・・・・」
(この男が・・・・・ジュウ)
 香港伍合会(ほんこんごごうかい)のロンタウ(龍頭)で、ブルーイーグルと言われる男。
青い目ということ以外、年齢も容姿も不詳で、狙った獲物は殺してでも奪うというほどの残虐で冷酷な暗黒街の支配
者。
海藤は、多分大東組の組長さえ会ったことがないであろう男を初めて目の当たりにした。
 「お前が、カイドーか」
 日本語の発音は、名前を言う時のイントネーション以外は真琴が言っていたようにほぼ完璧だ。
 「はい。あなたが、香港伍合会の龍頭ですね?」
 「ああ」
 容姿からいえば、ウォンの方が精巧に整っているだろう。
ジュウは、突然変異のような青い目以外は、黒髪で容貌も東洋人に見える。体格は海藤よりも少し細身だが、それな
りの身長はあって、その頬には穏やかな笑みが浮かんでいた。
しかし、その瞳が全く笑っておらず、まるで射るように自分を観察していることに海藤は気付いていた。



(開成会、海藤貴士)
 ジュウは目の前に立つ男をじっと見た。
資料の上では写真も添えられていたが、写真よりもずっと整った容貌の男だ。
この歳で一つの会派を纏め上げ、その稼ぎも正攻法でかなりの額らしいということ。この男がかなり優秀なのだろうというこ
とはその気配からだけでも分かった。
 「わざわざお越し頂きまして」
 「こちらから申し出たことだ」
 突然の会見の申し込みを延期するわけでもなく、断るわけでもなく、その日のうちに承諾してこうして席も設けている。
どうやら部下も最少人数しかいないようで、この男の度胸と決断力は目を掛けてもいいレベルかもしれない。
 「こちらに」
 「・・・・・」
促されて着いた席は、多分海藤が座っている席よりもいい位置になるのだろう。この男はそういう配慮を欠かさないような
気がして、ジュウはそのまま腰を下ろした。
自分の斜め後ろにはウォンが座り、海藤の後ろにも男が1人座っている。女のように綺麗な容貌だが神経質そうな眼差
しに、ジュウは僅かに目を細めた。
 「よく、Noと言わなかった」
 「私も、ぜひお会いしたいと思っていました」
 「ビジネスで?」
 「香港伍合会とのビジネスは私の範疇外です」
 「それでは?」
 「何の目的であれに会われているのか、その理由をはっきりとお聞きしたい」
 「・・・・・」
(マコの名前を出さない・・・・・か)
 それは何時でも話を逸らせる為の作戦なのか、それとも自分達のような裏の世界の人間と真琴の存在に一線を介す
為なのか。
どちらにせよ、真琴という存在はこの男にとってかなり重要な位置にあるのはその言葉の選び方だけでもよく分かった。
 「出会いは偶然だ」
 「その後、何度も偶然が重なっているようですが」
報告は上がっているのだという様な物言いに、ジュウは目の前の膳に視線を落とした。
日本らしい綺麗で繊細な料理が並んでおり、酒も既に用意してあるようだ。
(美味そうだ)
 「ウォン」
 「・・・・・」
 ジュウがその名を呼ぶと、ウォンはジュウの膳に用意されていた杯と酒の入った入れ物の口を、自分の内ポケットから出
したハンカチ(消毒液が染み込ませてある)で丁寧に拭い、それから手酌でその酒を杯に注ぐと一気に飲み干した。
 『・・・・・問題は無いようです』
 『辛いか?』
 『いいえ、甘いです』
 『それはいい』
(私の好みをよく知っているな)
香港伍合会の中でもウォンの容姿他、様々な情報を知っている者はほんの僅かしかいないというのに、この海藤という
男はどこからか自分の情報を仕入れたらしい。
かなり優秀な手足がいるのだなと、ジュウは楽しくなってくっと笑みを漏らした。
 「カイドー、お前は私の行動が不可解か?」
 「・・・・・ええ。あれは、あなたにとって有益な存在ですか?」
 「そうだな・・・・・どちらかといえば心惑わず、害の無い兎だが」
 「・・・・・兎?」
その例えが分からなかったのか、海藤の眉間に皺が寄る。
 「血も涙も無いと言われている私だが、愛らしく、綺麗なものを愛でたいという気持ちはある」
 「・・・・・」
 「あれが、欲しいな」
 その瞬間、海藤の纏っている雰囲気がそれと分かるほどに剣呑なものに変わった。
ジュウの後ろに控えていたウォンもとっさに片膝を立てる。
緊迫した雰囲気の中、ジュウだけは穏やかな口調で言葉を続けた。
 「あの兎を、大切に、私の腕の中で愛でたいんだ」
 「・・・・・」
何と答えるだろうか・・・・・海藤の反応を楽しみに待つジュウに、海藤は一呼吸置いてゆっくりと言った。
 「・・・・・失礼ですが、あなたには婚約者がいらっしゃったのではないですか?」
 「・・・・・誰に聞いた」
 「・・・・・」
 「お前のカラスは優秀だな」
 「カラス、ですか」
 「盗み見、盗み聞きが上手い情報屋のことだ」
 「・・・・・」
カマを掛けるように言ったが、海藤に反応は無い。
(これは・・・・・なかなか侮れないな)
想像以上にこの男は出来る。機密事項である自分の婚約のことも既に情報として手に入れている優秀な情報網とい
い、ジュウは目の前の男を下に見ることは止めた方がいいと判断した。