異国の癒す存在




11




                                                          
『』は中国語です。





(ウォンはなかなかいい組織を選んだな)
 実際に香港伍合会との直接の窓口になっているのは、大東組本部の理事である江坂という男だ。
まだ30代という若さで日本で有数の組織の理事にまで昇った男らしく、ウォンから報告を受けるやり取りや交わす書類
の内容を見ても、男がかなりの手腕の持ち主だということは分かっていた。
そういった本部の人間だけではなく、下部の組織にも優秀な人間が揃っているこの日本の組織を選んだウォンの目の確
かさにジュウは満足した。
(それにしても、私の婚約のことまで把握しているとは・・・・・香港に入ったという男はいい手駒のようだ)
 開成会へ付けた監視から、数人が香港へと旅立ったことは報告を受けている。空港を出てしばらくして巻かれたといっ
ていたが、今回のこの情報はその男がもたらしたものだろう。
結果的にこのような重要な内部情報を悟られるような失態を犯した部下には、厳しい粛清をしなければならない。
 「ロンタウ」
 「ジュウで構わない、カイドー」
 名前を呼ぶことを許すと、海藤は一呼吸置いてからゆっくりと続けた。
 「・・・・・ジュウ、あれは、私にとっては組織以上に大切な存在です。ただの暇潰しの為に接触しておられるのならば直ぐ
に止めて頂きたい」
 「暇潰しでなかったら?」
 「どんなことがあっても阻止します」
 「・・・・・なるほど」
ジュウは生真面目にきっぱりと言い切った海藤の答えに思わず笑ってしまい、そのままウォンが杯に注いだ酒をゆっくりと口
に運んだ。



 纏っている気配は柔らかいまま、今のところ自分に対する敵意は微塵も感じられない。
海藤はジュウが何の為に自分に会おうとしたのか、その真意が全く測りきれなかった。
(真琴のことを気に入っているのは事実だろうが、俺を殺してでも手にいれたいというような感じではないな・・・・・)
掴み所の無い相手は好戦的な相手よりも扱いが難しく、海藤はジュウが次に何を言うのかじっと待った。
 「私について知っていることはどの位ある?」
 しばらくして口を開いたジュウの言葉は、真琴とは全く別のことだった。それでも海藤は用心深く、ジュウの本音を探るよ
うに言う。
 「あなたが知っている私のことの10分の1も無いと思います」
 実際、香港伍合会の龍頭の件に関しては、関係者のガードが固いというよりも本当に中枢を知っている人間がいな
いとさすがの綾辻も言っていた。
何時代替わりしたのか、素性は、容姿は?
返って教えて欲しいと言っていた相手も冗談ではなくいたらしく、こうして《ジュウ》と言う名を呼ぶことさえも・・・・・それが本
名かどうかも分からないが・・・・・もしかしたら奇跡に近いことなのかもしれない。
 「そうとも言えないぞ、カイドー。中国でも私の婚約を知っている者はほとんどいないだろう。まあ、婚約といっても形だけ
だがな」
 「・・・・・」
 「カイドー、私は、私以外の誰の心も信用していない。対立している組織はもちろん自分の家族・・・・・このウォンのこと
も」
 「・・・・・」
 「猜疑心が強いというのとも少し違うか・・・・・どちらかといえば、私は人間というものを全て切り離して見てしまう野生の
獣だと言った方がいいだろう」
 自分を人間以下だと貶めながら、言外に人間をも超越する存在だと言うジュウの自信は相当強いのだろう。
柔らかな雰囲気や話し方で気を許してはならないと、海藤は膝の上で握り締めた拳に力を入れた。
 「獣は自然の理に忠実だ。裏切り者には命をもって贖わせるし、欲しいものはどんな手段を使ってでも手に入れる。柔
らかな兎の肉を欲しいというのは、私にとってはごく自然なことでしかない」
 「・・・・・その兎が、あれだとでも?」
 「少し話し過ぎたな。ウォン」
 『はい』
 ジュウが立ち上がると同時に、ウォンが襖を僅かに開いた。
そこには、数人のスーツ姿の男達が正座をして控えている。日本人に良く似た、それでもどこか異国の血を感じさせるよう
な容貌の男達はジェイが連れてきた者達だろう。
 「・・・・・」
 海藤も直ぐに立ち上がって、座敷を出て行こうとするジュウを見つめた。
すると、そのまま出て行くかと思ったジュウは不意に立ち止まり、振り返って海藤に笑い掛けた。
 「楽しい時間だった」
 「いえ・・・・・」
 「だが、私が日本に滞在する時間も限られている。カイドー、人間は所詮、獣に食われるものだ」
そう言い残したジュウは、何人もの部下や護衛に囲まれて海藤の視界から消えていった。



 「・・・・・」
 何だか、強い毒を頭から浴びせかけられたような気がして、海藤は思わず溜め息をついた。
 「社長・・・・・」
気遣うような倉橋の言葉にも直ぐには答える気分にならなかった海藤は、そのままもう一度席に腰を下ろすと、手付かず
だった銚子の酒を傾けて手酌で杯に注ぎ、そのまま一気に飲み干した。
ジュウの好みに合わせた甘い日本酒が喉に張り付く。
 「・・・・・全く、読めない男だったな」
 ネクタイの結び目に指を入れて少し緩めながら、海藤は今帰ったばかりのジュウの印象を呟いた。
事前に綾辻から幾つかの情報を教えられていたとはいえ、全く正体が分からない相手との対面は酷く神経を使い、更に
その相手が掴みどころが無いとなれば・・・・・。
(本来なら、敵に回したくないがな・・・・・)
 真琴が関係しなければ、とても正面から対峙したい相手ではない。
 「婚約の話は本当のようでしたね」
 「ああ。あれで向こうもこちらを軽視出来なくなったようだ。綾辻のお手柄だな。・・・・・倉橋、お前はどう見えた?」
海藤が訊ねると、倉橋は一瞬躊躇してから答えた。
 「ご自分では獣だとおっしゃっておられましたが、私には機械のように見えました。言われている言葉も、あの笑みも、全
て計算されているような・・・・・そういえば、あの青年は人形のようだと言っていたそうですが、確かに生気を感じさせない気
はしました」
 「・・・・・」
 真琴のバイト先の人間である古河の素直な感想は、今日初めてジュウと会って全て納得出来るものだった。

 「楽しそうでした。ちゃんと目も笑ってたし・・・・・でも、俺ちらっと見ちゃったんですよ、車に戻っていく時のそいつの 表情。
まるで人形のように・・・・・いや、違うな、人形だったらまだ人の形をしてるけど、なんかその時は、機械みたいだなっ て思っ
たんです」
 「怖いって感じじゃありませんでしたが、どこか不気味に感じました。何考えてるんだろうって」

海藤は改めて自分の敵になろうとしている相手の不気味さを思い知ると、この先自分が何をすべきかを目まぐるしく考え
始めた。



 「あーーー!!着いたぁ!」
 丁度その頃、綾辻は成田空港のロビーにいた。
既に香港からの最終便の時間は過ぎてはいたが、丁度都合良く日本へと向かう知り合いの自家用ジェットに便乗させて
もらい(もちろん部下達も同様にだ)、少しだけ偉い人の名前を出して税関の手続きは簡単に済ませた。
 「綾辻幹部、急がないと」
 「分かってるわよ〜、でも、今回美味しい焼肉も食べられなかったし、克己にお土産も買えなかったし・・・・・ねえ、怒る
かしら、克己」
 「・・・・・倉橋幹部はそんなことを気にするとは思えませんが」
 「もうっ、いくら克己が可愛いからって惚れちゃダメよ?あれは私のなんだから」
 「はいはい」
 限られた時間でということと、向こうの組織への警戒で張り詰めた時間を送ったせいか、綾辻は日本に帰るなりハイテン
ションになっていた。
もちろん、一緒に連れて行った部下はそんな綾辻には慣れているので溜め息だけしか漏らさないが。
 「車は待機しているのでこのまま事務所に行きますよ」
 「は〜い、よろしくね、く〜ちゃん」
 「・・・・・」
強面の久保がそう呼ばれることを嫌うのを知っていてそう言うと、綾辻は軽い足取りで車を待たせているという入口へと向
かう。
帰国時間をギリギリまで遅らせた甲斐があって多少は土産といえる情報も手に入れられた。
(克己、褒めてくれるかしらね〜)
 自分の正体を知られないように、パスポート以外は携帯も持って行かなかった綾辻は、当の倉橋がジュウの毒気に当
てられて滅入っていることなどまだ知らなかった。