異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 綾辻が乗り込んだ車が走り出して10分・・・・・いや、15分ほど経っただろうか。
深々と乗り心地のいいシートに身を預けていた綾辻は、不意に身を起こすと久保が座る助手席のシートの背に顎を乗
せて言った。
 「ねえ、何時から?」
 「・・・・・飛行機の中にはいませんでしたから、空港からでしょう」
 「ふ~ん・・・・・鬱陶しい」
  綾辻はサイドミラーにチラッと視線を向けた。
空港ロビーには、確かに誰もいなかったはずだった。多分、外に出た瞬間からついてきたのだろう。
時間も時間なので空港から出る車の数は極端に少なく(都心ならばそうでもないだろうが)、綾辻達は比較的早くつけら
れている事を知った。
いや、
(案外、わざとだったりして)
つけている事がこちらに知られても構わない、むしろ見せ付けるかのような尾行に、綾辻の整った口元がひっそりと笑みの
形になった。
 「く~ちゃん、遊んであげた方がいいと思う?」
 「無駄なことはされない方がいいでしょう」
 「えー、だって、夜中に部屋の中に蚊が1匹いたら気になって仕方が無いじゃない」
 「私は気にしませんから」
 「これくらい気付かないなんて馬鹿だって思われるの、嫌なんだけど」



 香港で溜まったフラストレーションを発散したくてうずうずしている綾辻の暴走を抑える久保も、もう慣れたもので、綾辻
にとって一番効く呪文をさらりと言った。
 「倉橋幹部に早く会われたいんじゃないんですか」
 「あ」
その言葉で意識が切り替わったらしい綾辻は、楽しげに携帯を取り出した。実際に会う前に、早速この場で声を聞こうと
思ったらしい。
 「・・・・・あ、克己?私、今同じ空の下よ~」
 本人は気付いていないのだろうが、綾辻の倉橋と対する時の声は酷く甘い。お気に入りの真琴と話す時も楽しそうに
弾んでいるが、倉橋相手では何と言うか・・・・・艶があるのだ。
本人が倉橋への好意を全く隠さないので組員達も慣れたものだが、実際の2人の関係を知っているのはごく限られた人
間だけ・・・・・久保もその1人だった。
 「・・・・・ん」
 「?」
 また、聞いている方が馬鹿らしくなってしまうような会話が始まると思いきや、急に綾辻の纏っている空気が重くなる。
前振りのない変化に、久保は思わずバックミラー越しにその顔を見ると、綾辻は先程までのにこやかな表情とは正反対の
厳しい顔になっていた。
 「・・・・・ええ、分かったわ」
携帯を閉じた綾辻に、久保が少し緊張した表情で声を掛ける。
 「綾辻幹部」
 「行き先変更だ」
返ってきた言葉は、ごく簡潔なものだが、それだけに久保は綾辻の緊張感を肌で感じた。



 慌しい足音が聞こえた。
らしくも無いその急いた様子に、海藤の眼差しが少しだけ和らぐ。
 「失礼します」
案内も連れないまま座敷の襖を開けて姿を現したのは綾辻だった。もう少し遅くなると思ったのだが、時間を見ればかな
り車を飛ばしてきたのだろうということが分かった。
 「人の物で悪いが、手付かずで帰ったからな。今運ばせる」
 ジュウが立ち去るのと入れ違いのように倉橋の携帯に掛かってきた綾辻からの電話。海藤はそのタイミングの良さに綾
辻をこの場に呼ぶことにした。
香港から帰国して早々だが、一刻も早くメールで送って来られなかった様々な情報を直に聞きたかったのだ。
 時刻は既に午前一時をはるかに回っていたが、海藤は綾辻の為にと改めて新しい料理を準備させながらその到着を
待っていた。
 「帰国早々悪いな」
夜の冷たい空気を纏ったまま、綾辻は海藤の前に座った。
 「いえ、ただ今戻りました」
 普段の明るく軽い口調ではなく、いくらか畏まった綾辻の挨拶。
その目は一度海藤の目をしっかりと見返して頭を下げたが、直ぐに側にいる倉橋へと移される。ざっと視線が上下に動い
たのは、多分倉橋の無事を自分の目で確かめたかったのだろう。
 「お前の情報はかなり役に立った」
 「どんな奴でした?」
 「・・・・・」
 海藤は思わず倉橋と視線を交わした。どんなと聞かれて、直ぐにこうだとはっきり答えることが出来ないほど、ジュウの印
象というのは曖昧だった。
存在感が無いと言うのではない。唇がほころんだだけでも、眼差しを向けられただけでも、肌がざわりと粟立つほどの殺気
を含んでいた。それほどの気配を持つ人間が全体的な雰囲気を悟らせないというのは一種の才能でもあるのだろう。
 「・・・・・厄介な相手だ」
 「・・・・・」
 「あんなのに真琴が好かれるとはな」
 本人は全く無意識なので何も言うことは出来ないし、注意を促せばそれだけ相手に意識が行ってしまうという事でそれ
も避けたい。
海藤は綾辻を見た。
 「話してくれ」
 「はい」
 頷いた綾辻は、そこでようやく自分がコートやスカーフをしたままだということに気付いたのか立ち上がろうとする。
そんな綾辻の後ろに回った倉橋が、ごく自然に手を添えてそれらを脱ぐ手伝いをしてやっていた。
 「ありがと、克己」
やっと、海藤は何時もの綾辻の笑顔を見た。



 「ジュウのことを知っている人間は確かに少なかったですね。敵対する組織はもちろん、家族といわれる内部組織の人
間でも、彼に直接会ったのは本当に上の立場の者だけ。青い目という噂が流れた時も、それを口にした幹部は家族親
戚皆粛清されたそうです。まあ、噂は消えませんでしたがね」
 この場合の粛清とは、ほとんどの場合が死を意味する。
子供だと思って生かせば、成長したあかつきに一族の復讐を考える可能性があるし、女を生かせば、欲と金が絡んだ醜
い争いを引き起こす可能性があるからだろう。
その徹底ぶりは、もしかしたら世界で一番なのかもしれない。
 「婚約者はアメリカ系中国人の財界の大物の孫娘15歳」
 「15?」
 その歳に倉橋が眉を潜めている。
冷たい外見に似合わず優しい彼は、マフィアと結婚するという少女に対して同情したのだろう。しかし、これも双方・・・・・
ジュウと少女の親の利害が一致した為であろうし、外野がどうこう言っても少女の運命は変わらない。
 「明らかに形だけっていうのが見え見え。既に顔見せは終わっているようです」
 「その場合のジュウの立場は何だ?まさか中国マフィアの人間とは言えないだろう」
 「ええ。多分、香港伍合会に資金援助しているといわれている政治家の親族を名乗るんじゃないですかね」
 「顔が知られてしまうな」
 「多分、このタイミングが効果的だと思ったんでしょう」
 「・・・・・」
 「招待予定の面子もかなり大物揃いですよ。そうそう、うちのオヤジも呼ばれていました」
 香港伍合会と協定を結んでいる大東組の最高権力者、7代目現組長の永友治(ながとも おさむ)の名前があがっ
ているのは予想が出来たことだ。
ただ、その招待客のリストの中に、あまり見たくない身内・・・・・表面上は一切繋がりが無いようにされているあの男の名
前まであがっていたのは少し驚いたが。
 「式は来春。招待客へのコンタクトは年明けってとこですか」
 「・・・・・綾辻」
 「はい?」
 「よく調べたな」
 普段は無口なボスの褒め言葉に、綾辻は目を細めて笑った。
 「蛇の道は蛇ってね。若い頃からヤンチャしていて良かったと思いますよ」
 誰からのニュースソースとは言わなくてもいい。
万が一のことがあったとしても、消されるのは自分だけで、海藤と倉橋に害を及ぼすことは絶対に無いようにと細心の注
意を払ったつもりだった。






                                      






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