異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 遅い夕食を終えると、海藤は綾辻と倉橋にここで帰るようにと伝えた。
綾辻は先程香港から帰ってきたばかりだし、倉橋も数日気を張り詰めていた状態で、少しでも休養させてやりたかった。
初めは頑としてマンションまで送ると言い張った倉橋だが、綾辻が強引にその腕を掴んで、にっこりと海藤に笑顔を向けて
言う。
 「気を遣って頂きまして。じゃあ、遠慮なく」
 「綾辻!」
 こんな時にそんなことを言うのかと、倉橋は綾辻の腕を振り払おうとするが、綾辻の手はその腕から離れることは無かっ
た。
 「せっかくの社長の好意を蹴るなんて出来ないでしょう?うちの人間は頼りにならない者ばかりじゃないわよ?」
 「・・・・・」
 「ほら、克己」
 「・・・・・分かり、ました」
 倉橋よりも組員のことをよく見ている綾辻の言葉はそれなりに重みがあったようで、倉橋は口を噤んでしまった。整った
その頬が僅かに引き攣っているのが見て取れるが、それを慰めるのは自分の役目ではないだろう。
海藤は脱いでいたコートを手に取った。
 「明日からまた動いてもらわなくてはならないからな。休みという休みじゃないが、今日はここで解散だ」
 「はい」
 「・・・・・はい」
 「ご苦労だった、綾辻、倉橋」
短い言葉に感謝を込めて、海藤は有能な2人の部下に笑みを向けた。



 マンションに帰ったのは、午前二時をとうに過ぎていた。
きっと真琴は夢の中だろうと出来るだけ物音を立てないように鍵を開けた海藤は、リビングから僅かにテレビの声が聞こえ
てくるのに気付いた。
(起きているのか?)

《起きていられたら、待ってます》

 海藤に気を遣わせないような言葉回しでメールを送ってきた真琴。もしかしてその言葉通り待っているのかと、海藤の
足は自然と早まった。
 「真琴」
 リビングには明々と明かりは点けられたままで、テレビも、DVDだろうか、ホラー映画の場面が映っている。
しかし、とうの真琴はというと・・・・・大きなソファの上で身体を丸め、ブランケットをすっぽりと被った姿のまま眠っていた。
 「・・・・・」
メールで送って来た様に、テレビを見ながら海藤を待っていたのだろうが、待ちくたびれて眠ってしまったのだろう。
海藤は小さく笑ってブランケットごと真琴を抱き上げると、そのまま寝室へと向かう。少しひんやりとした空気に眉を潜めな
がらベッドに真琴を寝かせると、海藤はそのままエアコンを入れた。
いくら快適な室温を保っているといっても、夜人気の無い部屋はひんやりとしているのでエアコンをつける様に言っているの
だが、倹約家の真琴は1人の時にはリビング以外は絶対といっていいほどつけない。
真琴曰く、2人でいたら寒くないということらしい。もちろん、海藤もその言葉には賛成だが。
 「・・・・・」
 真琴の寝顔を見ながら、海藤は今夜初めて会った男のことを思い浮かべた。
表面的には全く敵意を見せず、むしろ海藤の態度を楽しんでいるような感じだったが、あの男が油断がならない存在だと
いうことはヒシヒシと感じた。
きっと、あの男が本気で真琴を欲しいと言ったのなら、海藤はそれこそ問答無用に殺されて、そのまま真琴はあの男のも
のになるだろう。
そう出来るのにしないということが、返って男の余裕を感じさせた。
(渡せるわけ無いだろう・・・・・)
 男がどういった思いで真琴を欲しいと思っているのかは分からないが、海藤はようやく見付けた共に生きる相手を誰かに
渡すことなど考えられなかった。
それが本部を裏切ることになっても、部下を危険に晒すことになっても、海藤にとって大切なのはたった1人なのだ。
 「・・・・・」
 髪をかき上げてやると、白い額が露になる。海藤は身を屈めてそこにキスを落とすと、そのまましばらく真琴の寝顔を見
つめていた。



 「あんな所で寝ていたら風邪をひくぞ」

(あ〜っ、失敗だったよな〜)
 起きて海藤の帰りを待っているはずが何時の間にか眠ってしまい、結局真琴が目を覚ましたのは、朝海藤が起こしに
来てくれた時だった。
海藤の方が当然睡眠時間も少ないのに、朝食まで用意させてから起こされた真琴はかなり落ち込んでしまったが、海藤
自身はこうして世話をすることが楽しいと言った。
(それでも何とかしないと・・・・・もう、早く寝て早く起きるしかないかな)
 そう思いながら、真琴はバイト先の裏口から事務所に入った。
 「おはよーございます!」
 「ああ、マコおはよう」
着替えをする控え室には森脇(もりわき)しかいなかった。
 「あれ?古河さんは?」
 「あいつはもう出てるよ。何?マコは俺がここにいたら不満?」
 「そ、そんなことないですよ!ただ、森脇さんは何時も古河さんと一緒にいるイメージだったから・・・・・」
 「なんだあ〜、俺って結構影薄い?」
 「・・・・・」
(薄いなんて事は無いけど・・・・・)
 古河の親友という立場の森脇は何時も一歩引いた感じで周りを見ていて、生真面目な古河のフォロー役といった感
じだ。
本来、もう彼も就職先が内定していてそろそろバイトも辞めなくてはならない時期なのだろうが、

 「古河といたら面白いし」

そう何の照れも無く言って、古河が辞めるまでは自分もバイトを続けると宣言している。
 真琴としては、信頼出来る兄のような古河とは少し違い、何時でも何かハプニングを楽しんでいる森脇は少しだけ苦
手だが、それでも頼りになる先輩には違いが無かった。
 「なあ、マコ」
 「ハイ?」
 早速制服に着替えようとした真琴は、コートを脱ぎながら振り返った。
 「お前、変なファンがついたって?」
 「変なファン?」
 「この間もピザを大量に注文してきた客。ほら、青い目の男だよ。あれってカラコン?」
 「さあ・・・・・よく見てないから分かんないですけど、あの人がファンなんて違いますよ、単に律儀なだけですよ」
森脇の言い回しに笑った真琴は着替えを再開させた。



(・・・・・ふ〜ん、マコとしてはそんな認識なのか)
 古河から大まかな説明は受け(無理矢理白状させたという感じでもあるが)、森脇は自分なりに真琴の認識度を確か
めたが、どうやら周りで心配するほどには真琴は例の男を気にしていないようだ。
いや、もしかしたら気にしないようにとわざと思っているのかもしれないが、今のままだったら真琴の方は心配ないだろう。

 「俺がいない時は気をつけてやってくれ」

 まるで嫁入り前の妹の身辺を心配するような古河の言葉には笑えたが、森脇もチラッと見掛けた男の視線には何かを
感じた。
(他の奴らとは少し違う感じはするけどね)
今もいる真琴ファンの、欲しいという直情的な思いとは少し違うものを感じるが、さすがにどういった思いなのかはなかなか
言葉に言い表すことは出来ない。
 「モテるって辛いな、マコ」
 「え〜、森脇さんこそモテるじゃないですか。常連さんの中で森脇さんを指名する人多いし」
 「まあ、それは仕方ない。俺ってモテる要素バリバリあるし」
 「はは。俺も狙われないように気をつけないと」
 こんな言葉遊びは日常茶飯事で、真琴は今も楽しそうに笑っている。
鈍いのか敏いのか分からないが、変に身構えさせるよりはこのままの方が安全な気がした。
(あいつは余計な神経使い過ぎなんだよ)
ここにはいない古河に内心突っ込みを入れると、森脇は紙コップに入れていたコーヒーをくっと飲み干した。