異国の癒す存在
16
『』は中国語です。
テーブルの上に次々と並べられていく点心は、見るからに美味しそうで綺麗だった。
しかし、さすがに真琴は海藤とジュウの関係が気になって、それを口にしようという気が起こらない。
真琴は箸も持たないまま、先ずはとジュウに途中になった話の続きを促した。
「あの、さっき海藤さんと付き合うことのメリットとかなんとか言ってましたよね?それって、海藤さんとジュウさんの仕事に
何か関係があるとか・・・・・」
「ん?」
ジュウはテーブルの上に肘を着き、両手を組みながら真琴に微笑み掛けた。
「不思議に思っただけだ。日本でも、マフィアというものは敬遠されているはずだろう?お前のような善人がそんな忌み嫌
われている相手の側にいる理由が何なのか、単にそれが知りたいと思っただけだ」
「・・・・・」
言葉だけを聞けば、ジュウは海藤達のようなヤクザという存在をとても卑下しているように聞こえた。
もちろん真琴も一般の人々がそういう職業の人間を嫌っているということは分かっているが、ジュウの表情にはそんな嫌悪
は見えず、どちらかといえば本当に分からないことを聞いているといった様子だった。
「・・・・・」
街で会った時、真琴はジュウを穏やかな人だなと思っていた。その印象が覆ったということは無いが、一方でどういう人な
んだろうという気持ちも生まれる。
「・・・・・ジュウさん、俺、メリットとか考えて海藤さんの側にいませんよ?」
「・・・・・」
「むしろ、海藤さんの方が俺に気を遣ってくれていて、凄く申し訳ないなって思ってるくらいです。ジュウさんだって、大切
な人のことをそんな風に思わないでしょう?」
「さあ、分からないな」
「え?」
「大切な人間など、私の側にはいないからね」
「・・・・・っ」
強烈な言葉をあっさりとした口調で話すジュウに、真琴は次の言葉が出てこなかった。
(大切な人が1人もいないなんて・・・・・)
そんなことがあるのだろうかと思ってしまうが、ジュウはそんな自分の言葉に何の違和感も抱いていないようだ。真琴は何だ
かそれがとても淋しいと思った。
店の中はとても中華料理屋といった内装ではなかった。
(単に偶然利用したのか、元々彼の持ち物なのか・・・・・)
今の時間帯、客が1人もいないということは貸切にしたのか、もしかすればこれも何らかの罠か・・・・・海藤はウォンの先
導で店の中を歩きながら素早く考えた。
真琴がここにいるかもしれないという思いで来たが、万が一自分の読み違いだったらどうするか。ウォンがここにいるという
ことは間違いないとは思うが・・・・・。
「客は来ているだろうか」
『・・・・・』
『マコちゃんがここにいるかどうかを聞いてるんだけど』
海藤の質問に答えないウォンに、綾辻が流暢な中国語で再度訊ねる。
それに向かってちらっと視線を向けたウォンだったが、やはり黙ったまま歩き続けた。
(警戒するのは仕方ないかもしれないな)
以前、ウォンが真琴の友人でもある日向組の次男、楓に手を伸ばそうとした時、彼を香港に送還する役目を担ったの
は海藤だった。もちろんそれは上からの命であったが、ウォンからすれば自分の失態を目の当たりにした海藤には含むとこ
ろがあるのかも知れない。
「社長、どうします」
「行くしかないだろう」
ここに本当にジュウが、いや、真琴がいるのかどうかは分からないが、手掛かりはここしかないのだ、確信が持てなくてもつ
いて行くしかないと思った。
「そうですね・・・・・っ」
「!」
不意に、空気が揺れた。
その瞬間、自分の直ぐ後ろを歩いていた綾辻が止まったかと思うといきなり足を後ろに蹴り上げ、同時に、海藤も歩いて
いた廊下の影から動く気配に向かって肘鉄を当てる。
『ぐ・・・・・っ』
『かはっ』
倒れ込んだチャイナ服姿の男達を見下ろした海藤は、少し離れた場所で立ち止まっていたウォンに向かい、きつい眼差
しを向けて言った。
「少々、やり方が乱暴に思えるが」
空気が動いたと感じた瞬間、足を振り上げていた。
綾辻は自分の足蹴りを見事に食らってその場に倒れた男を見下ろした。
(失神か・・・・・ま、私の長い足じゃあ、あれ位の距離なら届いて当然だものねえ)
命中したことを自慢するでもなく、綾辻はウォンと対峙する海藤の足元にも目をやって溜め息をついた。
(こんな狭い場所で自殺行為よ)
開成会は金儲け集団。
口さがない同業者の、半ばやっかみだといえるその言葉は当然のごとく当たっていない。
見掛けは頭だけで勝負していそうな海藤と倉橋、それにモデル並みの容姿(綾辻談)で、体力勝負など全く関与しなさ
そうな自分が開成会の三本柱だが、実際は武術を心得ている自分は当然、海藤もかなりの腕の持ち主だ。
倉橋はともかく、海藤と綾辻は若い頃はかなり無茶もやってきて修羅場というものも経験しているので、本来ならば自
分の組のトップである海藤を守らなければならないというのが綾辻の立場だが、綾辻は海藤の強さを知っているので不安
は全く無かった。
(美しい私の筋肉を見せてやりたいくらい)
見た目だけで倒せるとでも思われたのかと面白くない思いだが、綾辻はそのまま海藤へと視線を向ける。
この場に、海藤が倉橋を連れて来ないでくれて本当にありがたいと思った。
(克己がいたら暴れられないもの)
倉橋に怪我をさせないようにと気になる・・・・・と、いうわけではなく、一番見た目カッコよく相手を倒す方法を考えてしま
う自分が分かるからだ。
(でも、こんなに弱っちいと張り合いがないったら・・・・・)
ウォンは床に倒れている部下を冷然と見下ろした。
(馬鹿が・・・・・)
ジュウも、自分も、この2人を襲えとは命令をしていなかった。
ただ、ロンタウに妄信的な忠誠を誓っている下っ端が先走って、こんな全く役立たずな男達を雇ったのだろう。
「申し訳ない、こちらの管理が行き届かなかった」
こんなことで自分が謝罪するのも心外だが、何も知らないジュウの迷惑になることは絶対にあってはならない。
ウォンは短くそう言うと、軽く手を叩いた。
『・・・・・』
直ぐに、部下が姿を現す。
『始末を』
『はっ』
この場合の始末とはもちろん死だ。その後には、男達を雇った者も粛清しなければならない。
(余計な手間を)
「時間を取らせた・・・・・こちらへ」
それだけでもう今の出来事は全て無かったものとすると、海藤も何も言わずにそのまま後を付いてくる。小さなことにケチ
をつけないだけ、他の小者よりはマシな気がした。
「ここに、真琴はいるのか?」
「・・・・・」
いや、海藤は無かったことにしたわけではないらしい。歩きながら、もう一度同じ事を聞いてきた海藤は、今の出来事を逆
手に取って情報を求めてきた。
その駆け引きの巧妙さに、ウォンの口元が僅かに歪んだ。
「・・・・・客人はいらしている。ロンタウお気に入りのトウゥだ」
「トウゥ?」
「兎ですよ。なるほど、マコちゃんのイメージね」
海藤の連れの男が感心したように言った。どうやらこの男も油断がならないようだ。
「・・・・・分かった、案内してくれ」
「・・・・・」
間接照明が点った廊下を3人は無言で歩き続ける。
やがて、5人ほどの男が立っている突き当りのドアの前まで着くと、ウォンは二度ほどドアを叩いてそのまま外からドアを開
けた。
「ロンタウ、お連れしました」
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