異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 真琴が何か言おうとしているのは良く分かった。口を開きかけ、また閉じ、所在無げに髪に触れて、また口を開ける。
何度か同じ事を繰り返す真琴をじっと見ていると、やがて真琴は何か決意したかのように言った。
 「そんなこと、ないと思いますよ?」
 「・・・・・」
 「も、もしも、今はそんな人が側にいなかったとしても、絶対この先現れると思います。だから、あの・・・・・あまり淋しいこ
とを言わないで下さい」
 「・・・・・」
 「すみませんっ、偉そうなこと言っちゃってっ」
真琴は直ぐに頭を下げて謝ったが、ジュウは気分を害したことは無く、むしろほとんど他人・・・・・ただ顔を知っているという
だけの相手の為にそんなふうに考えて言葉を言う真琴を好ましく思った。
 今ジュウの周りにいる者達は、強く孤高の存在であるロンタウとしての彼を望んでいる。そこに人間的な感情など一切
いらず、自分達の組織の為だけに必要な存在を求めていた。
ジュウは歴代のロンタウの中でも飛び抜けて若く、強く、そして非情に徹することの出来る男で、家族(組織の人間)はそ
れ以外の、人間的な感情をジュウに求めることは無かったのだが・・・・・。
 「可愛いね、お前は」
 「え?」
 「やはり、傍に置くべきかもしれない」
 家族の中には日本人を忌み嫌う、長く生きていることだけが自慢の長老達が今もって権力を振り翳しているが、ロンタ
ウである自分の命令に表立って反発することは出来ないはずだ。
 「ジュウさん?」
 ジュウの真意を測りかねた真琴が何か言い掛けた時、ドアがトントンと外から叩かれた。
真琴はパッと入口の方を見るが、ジュウはそんな真琴を見つめたまま動かない。
やがてドアは開かれ、ウォンの声が聞こえてきた。
 「ロンタウ、お連れしました」
 「入れ」
 いよいよ、海藤がここにやってきた。
真琴が、そして海藤が、お互いを見てどんな反応をするのか、ジュウは興味深く視線を入口へと動かした。



 開かれたドアの中、海藤は躊躇うことも無く足を踏み入れた。
最悪を考えればこの部屋の中には銃を構えた者がいて、避ける間もなく撃たれるかもしれないという想像も出来た。
ただ、海藤は先日直接会ったジュウがそれほど自分を過小評価しているとは思わなかったし、海藤自身そんな姑息な手
を使うほどジュウが小物だとは思わなかった。
 「海藤さん!」
 中に入るなり、一番に視界に飛び込んできたのは愛しい真琴の姿だった。
服装はバイト先の制服のまま、顔色は多少青褪めているように見えたが、外見的には危害を振るわれた様子は無い。
海藤は内心大きな安堵の溜め息をついた。
(良かった・・・・・)
 ジュウの態度から、真琴に無理矢理手を出したり、怪我を負わせるようなことは無いと思っていたが、やはり自分の目
で安全を確認するのと想像するのとはまるで違う。
海藤はそのまま真琴の側へと足を踏み出そうとしたが、まるでその動きを阻むように外に立っていた数人の男達が割って
入ってきた。
 『・・・・・』
 「・・・・・」
(・・・・・邪魔だな)
 海藤は眉を顰め、隣に立っていた綾辻も少し動く。
(さっきの小者とは全く違う)
スーツの上からでも鍛えているのが分かる身体だ。
西洋人のような筋肉のつき方ではなく、もっとしなやかで鋼のような・・・・・多分、拳法が何かを習得しているのだろう、纏
う気配は刃物のように鋭く冷たく、殺気を感じさせないだけに相当な使い手達だというのは分かる。
さすがにジュウの身辺を守る者達だ、選ばれた彼らは自分達が人間だという意識も無く、ただ機械のように忠実にジュウ
だけを守る戦闘兵器なのだろうと思えた。
 「どけ」
 無表情のまま、まるで壁のように立ちふさがる男達に海藤は短く言う。
恐れは全く感じなかった。
いや、ここで少しでも躊躇いや保身を考えてしまえば、その時点で自分の方が負けなのだ。
 『・・・・・』
 「・・・・・」
 「ジュ、ジュウさん」
さすがに剣呑な雰囲気に不安になったのか、真琴が向かいに座るジュウの名を呼ぶと、一瞬だけ真琴の方に視線を向
けたジュウはテーブルの上で組んでいた右手の人差し指を動かした。
それを見逃すことなく見ていたウォンが頷くと、男達は一礼してから部屋の中から出て行き、中には海藤と綾辻と真琴、
そしてジュウとウォンだけが残った。



(な、何なんだろ・・・・・)
 開いた扉の向こうに海藤の姿を見た時、真琴は単純に迎えに来てくれたのだと思った。
良く考えれば海藤に連絡をしたわけではなく、誰にもこの店にいるという事を伝えたわけではないことに気付いたのだが、そ
の時は全くそんな事は思いもつかなかったのだ。
 しかし。
真琴の見ている前で繰り広げられる光景はとても友好的なものとは言い難く、真琴の前ではほとんど見せたことが無い
海藤の厳しい表情にどんどん不安が大きくなってしまった。
(俺・・・・・もしかして、何か・・・・・)
 真琴にとってジュウは、街で擦れ違い、その後に少しだけ係わり合いを持つことになってしまった相手だった。
その相手の言葉に抗えない響きがあったのも事実だが、それにしてもノコノコついて来てしまった自分はもしかしたら何か
間違っていたのかもしれない。
思わず立ち上がってしまった真琴は、そのまま海藤の側へと駆け寄ってしまった。
 「真琴」
 「海藤さん、あのっ」
 「何も無かったな?」
 「え?」
 「何も、されていないな?」
 「あ、はい」
 確認するようにそう言われて慌てて頷いた真琴の肩を抱き寄せた海藤は、椅子に座っているジュウの方へと視線を向け
た。
 「どういうつもりでしょうか」
 「・・・・・」
(海藤さん・・・・・?)
抱き寄せられている肩に回された手の力は痛いほどで、真琴は海藤の横顔を見つめる。
硬く、冷たい響きの声で、ただ事実を確認するように言う海藤が心配で、真琴は思わず海藤の腕を掴んでしまった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「ロンタウ」
 「マコの前でそう呼ぶのは止めてもらおう」
ようやく口を開いたジュウの言葉の中に自分の名前がある。
先程までのジュウとの会話の内容も気になっていた真琴は、彼が今どんな顔をしているのか気になって視線を向けようと
したが、海藤は肩に置いていた手を頭にやると、そのまま真琴の顔を自分の肩口に寄せて顔を隠すようにしてしまった。



 成功者で、容姿も素晴らしいと客観的に評価出来る海藤と、可愛らしい容貌と雰囲気はしているものの、飛びぬけ
た美貌を持つでもなく、家柄も経歴もごく普通な真琴。
2人が愛し合っているというのは事実として知っていたものの、実際に2人が一緒にいるところを初めて見たジュウは、よう
やくその事実が真実であったことを納得した。
(確かに、2人でいることが自然だな)
 「マコ」
 「・・・・・」
 「私が怖いか?」
 「・・・・・怖く、ありません・・・・・でした」
 さっきまではと付け足す真琴の正直さに思わず笑みが浮かぶ。
(2人が似合いだというのは分かった。だが・・・・・)
 『ウォン、私とマコも似合いになると思わないか?』
 『・・・・・ええ、ジュウ』
海藤と真琴が2人で作り上げている雰囲気を、相手が真琴ならば自分も作れるような気がする。
2人が愛し合っているのは分かるが、真琴の愛する相手は海藤ではなく自分でもいいのではないかと思い、ジュウはゆっ
くりと椅子から立ち上がった。