異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 誰の命も大事。戦争なんかしたらいけない。
それほど立派なことを言うつもりはなかったが、自分のごく身近にいる人間の命を大切に思う気持ちは誰でも持っているも
のではないだろうか。それも、自分を守ってくれようとしている相手に対して感謝こそすれ、命の無い物体のように思う事な
ど真琴には信じられなかった。
 「撃たれたら・・・・・死んじゃうかもしれないんですよ?死んだら、生き返ったりしないんですよ?それなのに、そんな風に
言うなんて・・・・・」
 怒りよりも寂しさがこみ上げて、真琴はとうとうポロッと涙を流してしまった。
一度零れてしまうと、涙はボロボロと情けなく流れ続ける。
 「真琴」
海藤は直ぐに真琴を抱きしめてくれる手に力を込めてくれたが、
 「マコ・・・・・」
目の前にいるジュウも、気遣わしそうな視線を真琴に向けてきていた。
(そんな風に・・・・・優しい目も出来るのに・・・・・)
 言葉で言うほどに、周りが警戒するほどに、真琴はジュウが悪い人物だとは感じていないが、それでもこんな風な言葉
を何の躊躇いもなく言えてしまう環境にいた彼が可哀想でたまらなかった。
 「謝ってください」
 「マコ」
 「綾辻さんに、謝ってください」
海藤の腕の中からじっとジュウを見つめ、真琴はきっぱりとジュウに言った。



(ロンタウに何を言う)
 ウォンにとって絶対的な存在であるジュウに堂々と意見を述べる真琴の存在は許せなかった。
そのまま自分の手を動かそうとしたウォンだったが、
 「・・・・・っ」
何時の間に側に来ていたのか、海藤の部下の男が自分の前に立ち塞がり、動かし掛けた左手を握っていた。
 「オイタは無しよ?今話の途中でしょう?」
 「・・・・・放せ」
 「そっちが諦めたらね」
 「・・・・・」
 「・・・・・・」
 「ウォン」
 優男の見掛けのくせに、びくとも動かない手。ウォンが一言言えば控えている男達は動くだろうが、自分の為にジュウの
ガードを動かすことなど出来ない。
僅かな逡巡を見せたウォンの名をジュウが低く呼んだ。
 「・・・・・」
その意味は聞き返すこともなく分かっている。ウォンは掴まれている手から力を抜いた。その様子に、目の前の男もウォン
が反撃する気が無くなったということを悟ったのか、直ぐに手を放して再びジュウの方へと意識を戻している。
(・・・・・調査不足だったか・・・・・)
 真琴に関して調査をした時、海藤のことは当然調べたものの、その部下まで詳しい調査は上がってこなかった。言葉で
命じなくても完璧な調査をする部下が見逃したというのは・・・・・痛恨の極みだ。
 「・・・・・」
ウォンは表面上は飄々としている優男の秘めた力に、思わず舌打ちを打ちたくなってしまった。



 珍しくウォンが自分の手を汚そうとしているのを感じ、ジュウは言下にそれを抑えた。
その銃口を向けた先が真琴だろうということももちろんだが、今やジュウにとっては唯一笑みを見せることが出来るウォンに
手を汚して欲しくはなかった。
(マコが言うことも分かる)
 理屈では、真琴が言っていることは分かる。
人間は一度死ねば生き返ることは出来ないし、それが自分に対して大事な人ならば尚更悲しいし、耐え切れないもの
だろう。
しかし・・・・・。
(私にとっては必要のないものなんだが・・・・・)
 あくまでも彼らは彼らの意思でジュウを守っているのであって、その中にはもちろんそれなりの計算があるはずだろう。
真琴が海藤を想うような無償の愛は、彼らは自分に対して持っていないと思う。
 「マコ、私と一緒に香港に行かないのか?」
 「・・・・・行きません」
 「・・・・・」
 「・・・・・ごめんなさい」
 「しかたない」
 ジュウの口から漏れたのは、呆れたような響きの言葉だった。
もっと大人しく、従順な性格だと思っていたが、真琴は意外にも頑固な性格だった。しかし、そこがまた好ましいと思う。
簡単にフラフラと気持ちが揺れ動いてしまう者よりは、よほどその愛情に信憑性があると思った。



 「しかたない」
 「・・・・・」
(諦めたというのか?)
 ジュウの口から漏れた予想外の言葉に、海藤は内心訝しんだ。ここまで手の込んだことをして、こんなにもあっさり手を
引くなどということは考えられない。
(何か考えて・・・・・)
他の手を打っているのかもしれないと海藤がさらに警戒を強めると、ジュウは真琴を見詰めて柔らかく笑んだ。
 「全て突然知らされたマコが戸惑うのも無理はない」
 「ジュウさん」
 「別れを惜しむ時間をやろう。三日後、私が帰る時に空港に来ればいい」
 「え・・・・・?」
 いったい何を言い出すのだと真琴が戸惑ったように聞き返したが、ジュウは全て決まっていることだと言った。顔からは笑
みを絶やさないままに・・・・・だ。
 「私の組織と海藤の組織はどちらが大きいと思う?海藤は私を殺すことを躊躇しないだろうが、私のファミリーを殺すこと
は出来ないだろう・・・・・だが、私は違う。私は海藤だけではなく、海藤の周りの人間も、マコの家族も皆、躊躇いなく消
すことを命じることか出来る」
 「そ、そんな・・・・・」
 「愛する者の命を大切に思うのなら、私の愛を受け入れることだ、マコ。お前を妻には出来ないが、私が唯一愛する者
として最高の立場を与えてやろう。お前の欲しい物は全て与えるし、お前の周りの者に手を出すこともない。私が言って
いる意味は分かるね?」
 自分を見詰める真琴の目は大きく見開かれ、顔は雪のように真っ白になった。痛々しくて可哀想だとは思うが、こんな
表情も全て愛らしいとも思ってしまう。
(不本意について来るとしても、いずれ私の側で何時もの笑みを浮かべてくれるようになるだろう)
 「さあ、帰りなさい、マコ。三日後の午後2時。遅れないように成田空港に来るように」



 「仕事を途中にさせて悪かったね、マコ」
 穏やかにそう言って部屋から出て行くジュウの後ろ姿を、真琴は呆然と見送ることしか出来なかった。
(いったい・・・・・何が・・・・・)
あれほどの緊迫感をあっさりと打ち破り、今まで敵意を向けていた相手に簡単に背中を向けて部屋を出て行く一行。
銃で撃ってまで逃がさないようにしていたはずなのに、こんなにも容易に解放するとは考えられなかった。
 いや。

 「さあ、帰りなさい、マコ。三日後の午後2時。遅れないように成田空港に来るように」

そう言ったジュウの真意。彼は本気で真琴がついて行くと思っているのだろうか。
 「帰るぞ」
 そんな真琴の思考を遮るかのように海藤が歩き出した。肩を抱かれているので、自然と真琴もついて歩くことになってし
まう。何時もなら真琴の歩調に合わせてくれるのに、今日の海藤の歩く速度はかなり早かった。
 「気にするな」
 「え?」
 「あの男の言ったことは考えなくていい」
 「で、でもっ」
 「社長の言う通りよ、マコちゃん。振った男のことは考えなくてい〜の」
 「綾辻さん・・・・・」
海藤だけではなく、後ろを歩く綾辻もそう言って手を伸ばしてきて背中をポンッと叩いてくれるが、真琴の頭の中からジュウ
の言葉が消えることはなかった。