異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 海藤と綾辻が店の中に入って行って、まだ30分は経っていなかった。
しかし、倉橋の手には既に携帯電話が握られていて、菱沼の番号も呼び出している。後通話ボタンを押せば繋がるだけ
なのだが・・・・・倉橋はそのままの体勢で数分間動かなかった。
(・・・・・どうする)

 「30分経っても何も連絡が無い場合は、御前にその連絡をして指示を待つように 」

 海藤はそう言ったが、倉橋はその時間が気が遠くなるほど長く感じた。
1分早ければ助かった・・・・・もしも、そんなことがあったら・・・・・ギリギリの葛藤がずっと続き、今にも海藤の命令に背いて
自分も店の中に入って行きたい・・・・・そうとまで思っていたのだ。
 「・・・・・っ」
 しかし、倉橋が命令違反を犯す前に、店の入口が開かれて3人が出てきた。
海藤も綾辻も見た目は先程とは変わらず、真琴もバイト先の制服を着た姿だ。
(良かった・・・・・)
なぜか、3人の他には相手方の姿は1人も見えなかったが、安心した倉橋は思わず運転席のドアを開けて出迎えた。
 「社長」
 「直ぐに一之瀬(いちのせ)の所へ行ってくれ」
 倉橋の側に来るなりそう言った海藤の言葉に、倉橋は胸の鼓動がドクッと高くなる。見た限りでは無傷だが、病院に行
かなければならないような怪我を負ったのだろうか。
 「・・・・・何か?」
 「綾辻が撃たれた」
 「・・・・・っ」
 海藤の言葉に反射的に綾辻に視線を移した倉橋は、先程から横を向いて真正面からの顔を見せない綾辻の顔を捕
まえる。すると、その左耳から頬に掛けて血で汚れているのが分かった。
 「綾辻さん、これ・・・・・」
 「やあねえ、せっかくのお気に入りのスーツが台無し。大丈夫よ克己、血が出ているのが申し訳ないほど、ただ掠っただ
けだから」
綾辻の軽口を聞きながら、倉橋はじっとその顔を見ていた。青褪めた表情に浮かんでいるのが怒りなのか心配なのか、さ
すがに綾辻も分からないようで、ん?っと首を傾げた時、倉橋は綾辻の腕を強引に掴んで助手席にその身体を押し込
んだ。
 「ちょ、ちょっと、もう少し優しくしてよ〜」
 「自信満々で社長に付いて行ったくせに、情けない姿になったあなたにはこれで十分でしょう」



(すごい・・・・・大きな病院なんだ・・・・・)
 以前海藤の理事選絡みで、真琴を狙った相手に身代わりのように撃たれてしまった海老原を治療してくれた相手。
名前は直ぐに思い出さなかったが、少したれ目気味の目と顎鬚と、がっしりとした体付きのその男を見て真琴はようやく
男のことを思い出し、海藤にここが男の実家だと教えられた。
 「なんだなんだ、怪我をしたのはユウさんかあ」
 「私で悪かったわね」
 「どうせなら、可愛い子相手の方が楽しいでしょう?」
ねっと、真琴に笑い掛けてくれる男・・・・・一之瀬晴海(いちのせ はるみ)は、麻酔もなく切れた耳たぶを縫っていた。
 「あんた、ちょっとせっそー無しよ。全く、社長の友達だとは思えないわ」
 「プラスとマイナスが引き合うんですって、なあ、海藤」
 「・・・・・」
 それまで硬い表情をしていた海藤が、一之瀬の言葉に僅かながらも頬を緩めた。
(大学の、同級生だって聞いたけど・・・・・)
海藤に友達という定義は似合わないような気がするが、一之瀬の海藤に対する物腰や言葉はフランクで、彼らがどうい
う形かは分からないが友情を感じ合っているのは分かった。
綾辻や倉橋のような部下ではなく、菱沼のような身内ではなく、自分に対するような愛情でもない、同等の友人といった
立場の一之瀬が、真琴は少しだけ羨ましいとも思ってしまった。
(俺って、何時も守られてばっかりだし・・・・・)
 じっと一之瀬を見ていた真琴だったが、不意にこちらを向いた一之瀬と目が合ってしまった。
一之瀬のたれ目が、面白そうに細められる。
 「前回は紹介してもらえなかったけど」
 「あ・・・・・」
自分の立場をどう説明しようか迷った真琴に対し、海藤はその肩を抱き寄せながら言った。
 「俺のパートナーだ」
 「仕事上じゃ、ないよな?」
 「もちろん。生涯、共にいる相手だ。お前に世話になることがない方が良いが、よろしく頼む」
 「そっか」
 「よ、よろしくお願いします」
とにかく、挨拶をしなければと、真琴は頭を下げて言った。
 「前もお世話になったのに、俺、お礼も言えなくて・・・・・」
 「ああ、アレはボランティアっていうか。俺も開成会の外部構成員のつもりだから気にしないで」
 「そ、そうですか」
それに対しては何と答えたら良いのか分からないので、真琴は強張った笑みでコクコクと頷いた。



 開成会の組員になりたい・・・・・腕のいい外科医のくせに、会うたびにそんな無茶なことを言う男に海藤は呆れるばかり
だが、男の存在で真琴の気が紛れたのには内心感謝していた。
 店を出てから、車の中でずっと何事か考えている様子だった真琴。真琴が何を考えているのか、海藤には手に取るよう
に分かっていた。

 「愛する者の命を大切に思うのなら、私の愛を受け入れることだ」

ジュウの言葉は、真琴の耳にこびり付いて離れないはずだ。海藤がどんなに気にするなと言っても、優しい性格の真琴が
自分の代わりに誰かが傷付くことを黙って見ていられるはずがない。
その上、ジュウと対していた真琴は、どこか相手に対して同情的というか・・・・・悪意を持てない様子だった。それだけでも
ジュウが真琴に裏の顔を一切見せず、柔らかく穏やかに接していたことが想像出来た。
それだけに・・・・・厄介だ。
 ここに来る前に、真琴のバイト先に寄って早退することは伝えた。その場に古河はいなかったので、日を改めて礼を言わ
なければと思った。彼の機転で、真琴はまだ、自分の腕の中にいるのだ。
 「綾辻」
 真琴が一之瀬と話しているのを横目で見ながら、海藤は治療を終えた綾辻を振り返った。血で汚れた上着は脱いで
いたが、シャツはまだそのままだ。
部下である立場の綾辻に一々礼を言うのはおかしいかもしれないが、海藤は黙ったまま軽く頭を下げた。
 「一応はあの場所から出られて良かったじゃないですか」
 「・・・・・」
 「これからのことは今から考えましょう。まだ三日あるんですから」
 「そうだな」
 「あ、三日間、マコちゃんとセックスし続けるっていうのはどうです?ずっとアンアン言わせてたら、マコちゃんも変なことは考
えないかもしれませんよ」
 「・・・・・それもいいかもな」
何も考えることなく溺れさせたら・・・・・海藤は思わずそう呟いてしまった。



 硬い表情の海藤の気持ちを和らげる為に言った冗談だったが、意外にも海藤はその案を真剣に考えているようだ。
同じ男としてその気持ちが分かる綾辻は何も言えず、ふうっと溜め息をついてそっと左耳に触れてみた。
耳の付け根を綺麗に掠ってもらい、数ミリだけだが切れてしまった。こんな場所が傷付くのは全く構わないが、傷が目立つ
ようではピアスは出来なくなるかもしれない。
 「・・・・・」
 今は熱さの方が大きくて痛みはあまり感じず、綾辻は自分のそこがどうなっているのかと更に指を動かして確かめようと
したが・・・・・。
 「・・・・・」
 その指は、不意に横から掴まれた。自分よりも細く、冷たいその指の主は振り返らなくても分かる。
 「大丈夫よ」
 「・・・・・心配など、していません」
 「冷たいわね」
彼がこの傷をどんな思いで見ているのか・・・・・綾辻は情けなく傷を負ってしまった自分に舌を打ちたくなってしまった。
誰よりも繊細で傷付きやすい心を持つこの相手は、綾辻が傷付いた以上に心を痛めているのだろう。
きっと、慰めの言葉も拒絶するであろう愛しい相手に対して、綾辻は出来るだけ軽い口調でからかうように言う。
 「ねえ、舐めて治してよ、克己。痛いの痛いの飛んでいけして」
少しして・・・・・小さな声が返ってきた。
 「本当に・・・・・馬鹿ですね、あなたは」