異国の癒す存在
2
『』は中国語です。
海藤はコートをソファの背に掛け、スーツの上着を脱いでネクタイを解いた。
「海藤さん?」
きっちりとした性格の海藤がリビングでそんな格好になるのは珍しく、真琴が不思議そうな視線を向けてくる。
海藤はソファに座ると、自分の隣をポンと叩いた。
「あの、どうかしたんですか?」
そこに躊躇い無く腰を下ろした真琴を、海藤はじっと見つめながら言った。
「何か、変わったことがあったと聞いたが」
「変わったこと?」
「海老原が、お前が中国人の男と会ったって」
「ああ、そのことなら特に変わってるかどうかなんて分かんないですよ?」
そう前置きした真琴は、別に隠す必要も無いというように今夜の出来事を海藤に話してくれた。それは綾辻から聞いて
いた話とほぼ同じ内容だ。
「本当に中国人だったか?」
「そう言われると・・・・・でも、顔立ちも少し違った感じがしたし・・・・・日本語はとても上手だったけど、じゃあ、違うのか
な」
真琴からすれば、今夜の出来事はそれほど重要なものではなかったらしい。
海藤としても、自分のこの懸念が考え過ぎだと思いたかった。
(明日、ロンタウが今どこにいるのか一応調べさせるか)
そして、先日その人物の側近に恋人を攫われそうになったあの男にも連絡を取ってみようと思った。
翌日、海藤は少し早めにマンションを出ると、車の中である人物に電話を掛けた。
自分の番号は相手も登録しているはずなので出ないということはないだろう。
【おはようございます、何かありましたか?】
それほど待たせないで相手が出た。こんな早朝に海藤からの直接の電話だということで、何事かが起こったのだろうとい
う推察をしたようだ。
「伊崎、香港伍合会のウォンから接触はあったか?」
【・・・・・ありません。そちらに何か・・・・・】
一瞬間を置いて、探るような声が返ってきた。
「真琴が昨夜、蒼い目の中国人を見たらしい」
【青い目・・・・・まさか】
「詳細は今日から調べさせるが、そちらも一応用心をしておいた方がいい」
【お心遣い感謝します】
以前、日向組の若頭である伊崎恭祐(いさき きょうすけ)の恋人で、日向組組長の弟である日向楓(ひゅうが かえ
で)は、香港伍合会の長であるロンタウの側近、ウォンに狙われて連れ攫われるところだった。
それがロンタウの命令だったのか、それともウォンの独断だったのかははっきりとは分からない。
ただ、結果的にロンタウはその件に組織は関わっていないとし、ウォンは強制送還の罰を受けてしまった。
(今回の件は自らが動いているのか?)
あれほどの地位にいる人物が、1人も供を連れずにいたというのは考えられなかった。幾ら異国の地とはいえ、ロンタウ
の命を狙う人間はかなりいるはずだ。
(本当に・・・・・ただの人違いだったらいいんだが・・・・・)
「何か分かったら知らせる」
そう言って海藤は携帯を切ると、シートに背を預けて目を閉じた。
(海藤さん・・・・・何か心配事でもあるのかな・・・・・)
表面上は何時もと変わらなかったものの、もう1年半近くも一緒に暮らしているのだ、僅かな違和感は真琴にも感じ取
れた。
ただ、それがどういった類のものなのかは分からない。
真琴の周りでは特に変わったこともないし、海藤の方も既に理事選の騒ぎは収まっているはずだ。
(また何かあったのかな・・・・・)
「マコ!交代だぞ!」
「あ、はい!」
色々と気になることはあるものの、今から忙しいバイトの時間だ。
真琴は気持ちを切り替えて控え室から駆け出した。
倉橋の機嫌はあまりいいものではないようで、さすがに海藤に向かって当たることは無いのだが、綾辻にはバシバシ文句
を言っていた。
「か〜つ〜み〜」
「仕事中です」
どうやら、昨日のうちに香港伍合会のことを自分だけ知らせてもらえなかったことが引っ掛かっているらしいが、綾辻はそん
な倉橋の小さな感情の爆発も好ましいものと思っていた。
海藤にさえ見せない面を、倉橋は自分には見せてくれている・・・・・そう思うからだ。
「だって〜、この間の選挙の時忙しかったじゃない?私、少しでも克己にゆっくりしていて欲しいのよ」
きちんと謝罪すれば倉橋はそれほどに責めることは無いだろうが、綾辻はのらりくらりとからかうので倉橋はなかなか機嫌
を直す様子は無かった・・・・・が。
「・・・・・」
「・・・・・」
(あ、照れてる)
「・・・・・とにかく、あなたが知っている情報を私に教えてください。それを私の方で洗い直しますから」
「了解」
綾辻はにっと笑って答えると、自分専用のモバイルを開いた。この中身は海藤にさえ見せたことが無い綾辻の情報網が
詰め込まれているが、倉橋に見せるのには全く躊躇いは無い。
もちろん、最も危険な裏情報はこの中にも無く、綾辻の頭の中だけに刻まれているのだが。
「でも、もしも香港伍合会のトップが来日していたとしたら、その訳はいったいなんでしょうね」
「日本相手の取引の権限はほとんどウォンが任されているしね。わざわざ来る予定なんてないはずなんだけど・・・・・観
光でもしたいのかしら」
「・・・・・」
「もうっ、冗談よ、ジョーク」
「とにかく、あれほどの大物が極秘に来日しているわけが気になります。綾辻さん」
「人使いが荒いわね」
そう言いながらも、綾辻の頬には笑みが浮かんでいる。一緒に一つのことをするのが楽しくて仕方がないのだ。
「ありがとうございました!」
そろそろ午後7時を回ろうとする時間になり、宅配を頼む電話はかなり多くなってきた。
その上ここは持ち帰りも出来、更に少しだけだがイートインのコーナーもあるので、レジ係の真琴はかなり忙しかった。
「いらっしゃいませ!」
再び、入口の来客を知らせるベルの音が鳴り、真琴は反射的にそう言って顔を上げる。
「あ」
そこには、夕べ会った男・・・・・青い目の中国人が微笑みながら立っていた。
「夕べは、声を掛けてくれてありがとう」
「い、いいえ」
(びっくり・・・・・お店に来てくれたのか)
たった数分間のすれ違った相手だと思っていた真琴は、優しく微笑む男を見て純粋に驚いてしまった。まさか、わざわざ昨
日の礼を・・・・・それも、真琴としては特に何もしていないのに、こうして店に来てくれたことに途惑ってしまった。
しかし。
「驚かせたか?申し訳ない」
言葉以上にその綺麗な青い目を曇らせる男に、真琴は慌てて首を横に振る。
「い、いいえ、嬉しいです、ありがとうございます」
ペコッと頭を下げた真琴は、男と・・・・・男の後ろにいる2人の男達を交互に見つめながら言った。
「あの・・・・・ピザ、食べますか?」
「君が美味しいと思うものを・・・・・ニシ、ハラ?」
男の視線が胸元の名札に行っていたので、真琴は直ぐに自分の名前を言った。
「西原真琴といいます」
「マコト・・・・・ああ、それで、マコ」
「え?」
「いいや、その言葉が分かって満足だ。私は、ジュウと言う。出来れば覚えていて欲しい」
「は・・・・・あ」
とても、宅配ピザが似合うような男達ではないが、青い目の男・・・・・ジュウは、楽しそうにメニューを見下ろしながら色々
訊ねてくる。
何時しか真琴は自分の好きなピザの説明に熱が入り、ジュウもそんな真琴を微笑みながら見つめていた。
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