異国の癒す存在









                                                          
『』は中国語です。





 注文を終えたジュウは、外の車で待っていると言って出て行った。
真琴は直ぐに厨房に注文を伝えに行くと、そのままジュースやお茶などのサブメニューの用意を素早く(見た目にはあまり
急いでいるようには見えないが)始めた。
 「マコ」
 そんな真琴に、先輩である古河が近付いてきた。
 「今の客、夕べの男じゃなかったか?」
 「わ、古河さん凄い!昨日チラッとしか見ていないのに気付いたんですか?」
 「俺の視力は2.0だ。いや、そんな問題じゃなくて、お前、昨日は知らないって言ってただろう?」
少しズレ気味の真琴の思考を古河はあっさりと引き戻し、真琴もはいと素直に頷いた。
 「そうですよ。なんか、昨日俺が声を掛けたのが嬉しいからって・・・・・そんなこと普通だと思うんですけど、今日俺のこと
を思い出してピザが食べたくなったんですって。お客さんが増えて良かったですよね」
 「・・・・・」
 真琴としても、少し変わった人だなとは感じていた。
しかし、自分を見る目はとても優しいし、物腰も柔らかだ。日本語も自由に使いこなしているので、外国人相手の苦手
意識も感じさせない。
(うちのピザのファンになってくれたら嬉しいし)
 全く警戒感を持っていない真琴とは反対に、古河はまだ眉間の皺を解こうとしなかった。
 「・・・・・夕べ、何であんなとこに立ってたんだ?」
 「待ち合わせだったって言ってました。俺達が店の奥に入ってから直ぐに来たそうですよ。寒い中あまり待たなくて良かった
ですよね」
 「良かったって、マコ、お前な」
 「何ですか?」
 「あー・・・・・いや、何でもない」
 「?」
何かを言い掛けて途中で止めることなど古河らしくないなと思った真琴だったが、
 「マコ!注文上がった!」
 「あ、はい!」
厨房から掛かった声に反射的に返事をした真琴は、そのまま古河との会話のことも忘れてしまった。



 『・・・・・あれが、綺麗な兎、ですか?』
 『ああ』
 自分の隣に座っている男・・・・・香港伍合会という、中国マフィアの中でも屈指の存在である組織のトップに君臨する
ロンタウ(龍頭)。
外部には、彼の素性はおろか、容姿もほとんど知られていないのだが、ファミリーといわれる極身近な組織の人間達も詳
しいことは知らないだろう。
 公称されている年齢は39歳だが、実際はまだ35歳だという事を知る者は数人だ。
心の内は氷よりも冷たい・・・・・いや、いっそ機械の方が温かいと言われるほどに、裏切り者や敵対する相手には恐れら
れているロンタウが、見掛けがこれほどに穏やかだと誰が知っているだろうか。
 『名前を教えてもよろしかったのですか』
 『知られても全く困らない』
 『・・・・・相手が、開成会という日本のヤクザの女でも?』
 ジャパニーズマフィア。その名は世界の名だたる暗黒社会から見ればそれほどに大きくは無い存在だ。
しかし、日本という市場は金の面からすればかなり魅力がある場所で、香港伍合会も他に遅れを取らないようにと、日
本の有力な組織と手を結んだ。
もちろん、他民族の、それも日本人を心から信用するわけはなく、もちろん相手もそうだろう。
ただ、ビジネスライクな付き合い・・・・・それだけだ。
 その際に、ジュウが大東組をビジネスの相手に選んだのは、ここ数年の経済面での大東組の強さからだ。
どうやら系列のいくつかの組に経済に明るい人物がいるらしく、その者達の力量で大東組はかなり勢力を拡大している。
その幾つかの名前の中に、今回の兎の飼い主である男の名前も挙がっていた。
半日もあれば、その開成会のトップと真琴の関係は簡単に分かる。
 『あれは雄だ』
 『ジュウ、私は言葉遊びをしているわけではありません』
 『ウォン、お前はどうなんだ?』
 『・・・・・私、ですか』
 『美しい猫を見付けたと言っていただろう』
 『・・・・・』
 『確かに、写真で見ても美しい容姿だが、私には少しきついかな。たまに可愛がるのはいいが、常に傍に置く存在では
ない。だが、お前にとっては違ったのだろう?』
 『ジュウ・・・・・』
 『我が国にも美しいものはたくさんあるが、異国の地も捨てたものではないな』
楽しそうに笑うジュウに、ウォンはもう何も言うことが出来なかった。
ロンタウである彼の言動に異を唱えることなど出来るはずが無いのだ。



 じっと飽きもせずにドアを見つめていると、10分程して先程対応してくれた真琴が出てきた。
両手に抱えるほどの箱を持っているのを見ると、ジュウはチラッと視線をバックミラーに向ける。
 『・・・・・』
常に彼の動向を注視している側近達は直ぐに行動に移した。
助手席にいた男が車を降り、真琴に近付いて手の荷物を持ったのだ。
 「お持ちします」
 「あ、す、すみません」
 ジュウやウォンほどには流暢ではないものの、この側近達も日本語は話せる。多少イントネーションは違うが十分聞き
取れる日本語に、真琴は途惑いながらも頭を下げて礼を言っていた。
ジュウは、人の手を当たり前のように受け入れないで謙虚に受け止める真琴の気持ちが綺麗だと思った。
 「お待たせしてすみませんっ」
 そのまま車に近付いてきた真琴に、ジュウは窓ガラス(もちろん防弾だ)を全開にして笑みを向けた。
 「それほど待っていない」
 「そうですか?あの、お勧めした物、全部美味しいと思うので」
 「ああ、マコの言葉に嘘は無いだろうな」
 「・・・・・」
 「どうした?」
 「いえ、じゃあ、ありがとうございました!」
 「またな」
 「え?」
一瞬目を見張った真琴にそう言うと、ジュウはそのまま車を出発させる。
 『・・・・・これ、どうするのですか』
助手席に座った男が持っている一番大きいサイズのピザの箱3つと、サブメニューの数々を、眼差しで指しながらウォンが
言った。
口の肥えているジュウが食べるはずは無いと思って言ったのだろうが・・・・・。
 『マコが選んだものだ、当然全て味見をする』
 『・・・・分かりました』
全て食べることは当然出来ないだろうが、捨てることなどは更に考えることも無いことだった。



 「・・・・・」
 頭を下げて去っていく車を見送った真琴は、頭を上げると少し眉を寄せていた。
 「マコって、言ってたよな・・・・・あの人」
バイト先の仲間や常連の客の中にも真琴の名前を呼ぶ者は多くいるし、それ自体が特に嫌だと思うことも無い。
ただ、名前を呼んだ時のジュウの眼差しが少し・・・・・気になった。
(少し・・・・・海藤さんに似てる、かな)
 2人の容姿に共通するところはない。
どちらかと言うと、海藤は怜悧で人形のように整った容貌であるし、ジュウの方は柔らかで線の細い美貌の主だ。
全く相反する見掛けだと言うのに、どこか似通った空気を感じてしまうのは、単に自分の気のせいなのだろうか。
(・・・・・海藤さんと同じような仕事の人、とか)
 同乗していた男達の雰囲気とか、車のこととか。疑いだしたらきりが無いように思えた。
それでも。
 「・・・・・まさかな」
半分強引に、真琴はそう思ったことを自分の気のせいだと思うことにした。ようやく戻ってきた平穏が、再び壊れることなど
考えられない。
(それに、日本の人じゃないし、向こうに帰っちゃう人だもんな)
 「うん、そういうことだ!」
真琴はそう自分に言い聞かせるようにして少し大きな声を出すと、そのままきっとてんてこ舞いになっているであろう店の中
に走って戻って行った。






                                      






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