異国の癒す存在




21




                                                          
『』は中国語です。





 「そんな顔していてユウさんは化け物だからね。大丈夫、掠り傷みたいなもんだよ」
 「失礼な奴ね。こんな美しい私が化け物なはずじゃないじゃない。自分こそ熊みたいな顔しちゃって」
 ガハハと大きな口を開け、本当に綾辻の言った熊のような顔をして笑う一之瀬に、真琴はつられるように口元を緩めて
言った。
 「なんだか、本当にそんな気がします」
 「だから、本当だって!名医の言うことを信じなさい」
 「・・・・・はい」
(・・・・・良かった、そんなに酷い傷じゃなかったんだ)
医者である一之瀬の言葉は、軽い口調ながらしっかりと真琴の胸に届く。
自分のせいで綾辻に傷を負わせてしまったのは本当に申し訳ないと思うが、これで真琴も少しは安心出来た。



 綾辻の治療が終わり、暗い病院の廊下を歩きながら海藤は倉橋に言った。
 「このまま綾辻を送って帰れ」
 「・・・・・出来ません」
 「・・・・・」
 「お願いします、ご自宅まで送らせてください」
硬い表情のままそう言う倉橋の気持ちは分からないでもなかった。結局自分は外で待っていて、海藤に・・・・・いや、綾
辻に銃を向けられた時も側にいることが出来なかったのだ。
あの時、倉橋がいたからといって状況に変化があったかどうかは分からないし、もう過ぎてしまったことなのだが、倉橋にとっ
ては唯一何も出来なかった自分が悔しくて情けなくて仕方が無いのだろう。
 「倉橋」
そして、今度こそ安全な場所に2人が帰るのを自分の目で確認したい。そんな倉橋の思いが分かる海藤だったが、倉橋
が自覚していない気持ちというのも海藤は分かるような気がした。



 倉橋は・・・・・このまま綾辻と2人になるのが怖かった。
(誰もいなくなったら・・・・・私は何を言うのか分からない・・・・・)
綾辻の血を見て、心臓が凍るような気がしてしまった。そんなことなど、あってはならないのだ。
自分にとって一番大切なのは家族でもなく、綾辻でもなく、自分でもなく・・・・・海藤だと、この世界に入ることを決めてか
ら、倉橋は守るべきものは唯一だと心に刻み込んでいた。
それは人間というものに興味を持てなかった自分ならば、これから先絶対に守ることが出来るはずの誓いだった。
 しかし、綾辻という男は強引に倉橋の心の中に入り込んできて、とうとう身体まで奪ってしまった。
それでも心はまだ自分でコントロール出来ると思っていたのだが・・・・・。
(なんだ、この様は・・・・・っ)
 血を見ることなど慣れているはずなのに、綾辻の怪我をした姿を見た瞬間、すっと血の気が引く思いがしてしまった。
そんな自分が・・・・・許せない。
 「倉橋」
 「いいですね、綾辻」
 綾辻の顔を見ないまま言うと、直ぐ側で笑う気配がした。
 「はいはい、克己の言う通りにしま〜す。私も行きますから」
 「・・・・・っ、いい!」
綾辻が付いてきてしまったら、顔を合わせないようにと思った自分の思惑が崩れてしまう。
反射的に振り向いてしまった倉橋は、思いがけず間近にいた綾辻と目線が合ってしまった。
 「ん?」
 「・・・・・あなたは、怪我をしているんですから・・・・・そのまま真っ直ぐに帰った方がいいです」
 「だから、克己に送ってもらうんじゃない。社長とマコちゃんを送ったついでで構わないから、ね?」
 「・・・・・」
(・・・・・見透かしているのか、私の頭の中を・・・・・)
 倉橋がどうしてそんなことを言ったのか全て理解して、その上で自分の思う方向へと誘導していこうとする綾辻。
その言葉を断ることはなかなか難しかった。



 「・・・・・」
 マンションに着いた真琴は、深い・・・・・深い溜め息をついてしまった。
(なんだか、現実じゃないみたい・・・・・)
一般人である真琴がヤクザの抗争に巻き込まれるということはまず有りえないことだ。しかし、ヤクザの海藤と知り合い、
付き合うようになってから、真琴は何度か怖いと思う目に遭ってきた。
ただ、それらは全てが海藤に関係することで・・・・・海藤を妬む相手とか、その立場を狙う相手とか・・・・・厳密に言えば、
真琴は海藤の弱みとして狙われたに過ぎなかった。
 しかし、今回は違う。
なぜだか分からないがジュウは真琴自身を欲していて、その手段として海藤や綾辻の命を狙うと言って来たのだ。
(それなら、俺がジュウさんのとこに行けば、誰も怪我なんかしないってこと?)
 「真琴」
 「!」
 リビングの入り口に立ったまま考えていた真琴は、いきなり肩を抱かれて身体を震わせてしまった。
 「か、海藤さん」
 「何も考えるな」
真琴はバイト先の制服に、海藤のコートを羽織った姿で、海藤もスーツをまだ脱いでいない。海藤を疲れさせたままだと
気付いた真琴は顔だけ振り向いて言った。
 「先、お風呂にどうぞ。海藤さん、疲れているでしょう?」
 「何を考えていた?」
 「・・・・・な、何も。今日は、大変だったなあって・・・・・思っ・・・・・」
何とか笑おうとした真琴だが、どうしてもその顔は強張ってしまう。とうとう完全に俯いてしまった真琴は、海藤を見ないまま
言った。
 「教えてください、ジュウさんのこと」
 「・・・・・お前が聞くような話じゃない」
 「でも、俺だけ何も知らないなんて嫌ですっ」
何も知らないのに、怖さだけは肌で感じた。その理由を、きちんと言葉でも耳に入れておきたい。その上で自分がどうすれ
ばいいのか、どうしたいのか、はっきりはしないまでも分かるような気がした。
 「教えてください」
身体を捻って、海藤の正面を向いて言う。
海藤は深い溜め息をついて・・・・・真琴を抱きしめた。



 真琴が望むことを拒むことは出来ない。
普通に暮らしていれば絶対に関わることの無い中国マフィアの話など、本当なら真琴の耳に入れることはしたくなかった。
それでも、海藤は全てを知りたいという真琴の気持ちに応える為にも、そして真琴の中のジュウの存在位置を変える為に
も、言葉を濁さず、そして私情を挟まないように話した。
 真琴にとっては中国マフィアという存在自体初めて聞くようで、その性質を話しただけでも顔色を変えてしまう。
それに加え、ジュウが今まで何をしてきたのか、綾辻の調査結果を踏まえて話すと、ソファに腰掛けた真琴は手が白くなる
ほどに拳を握り締めて、もう声も出ないようだった。
 「俺も人のことは言えないがな」
 「・・・・・」
 「俺と、あいつと、何が違うのかと言われれば、何も違わないという他はない。規模はどうであれ、していることは同じよう
なことだろうからな」
 「・・・・・」
 「それでも、お前に先に出会った権利として、俺はお前を放すつもりは無い。真琴、あいつが言ったことは考えるな。お
前のことも、お前の周りの人間にも、絶対に手を出させないから」
 「海藤さん・・・・・」
 「自分が犠牲になるようなことだけは・・・・・考えないでくれ」
 どんなに言っても、最終的に真琴の心の中までを自分が抑えることなどとても出来ない。だからこそ、海藤は真琴に懇
願する。
 「頼む・・・・・」
 「あ・・・・・」
そう言って、海藤は真琴の唇を奪った。
抵抗をしない唇は直ぐに海藤の舌を受け入れ、まるで縋るように自分からも舌を絡めてくる。
(真琴・・・・・)
今自分の腕の中にある温かい身体を手放すなど考えられない。
 「んっ」
肩に回る手が、離さないでと言っているように感じる。それが自分だけの勝手な思いではないのだと思いながら、海藤は
更に強く真琴の口腔内を貪った。