異国の癒す存在
24
『』は中国語です。
海藤は時計を見た。
もうそろそろ午後2時になろうとしている。
(真琴は・・・・・どうしているか)
今日は安静の為という理由で会社を休み、真琴に張り付いている形の綾辻からは定期的に連絡が入る。
バイト先の人間が来た時はかなりリラックスしていたようだが、何か考え込む時間が多いという連絡だった。
綾辻に言われるまでも無く早く帰るつもりだったが、自分が側にいることで返って真琴にプレッシャーを与えることにはならな
いかと、海藤はそれが不安だった。
「社長」
そんな海藤に、倉橋が受話器を差し出した。
そういえば、今下から内線が回ってきたのだ。
「誰だ」
「江坂理事です」
「・・・・・江坂理事?」
思い掛けない名前に海藤は一瞬手が止まったが、直ぐに受話器を取り上げた。
電話を掛けてくるのは江坂本人ではないとは分かっているが、それでも格下の立場である自分が相手側を待たせるわけ
には行かなかった。
「はい、海藤です」
【お待ち下さい】
案の定、直ぐに聞こえてきた声は江坂のものではなかった。
それでも、それ程待つことも無く、名前を名乗った相手が電話に出る。
【私だ】
「お疲れ様です」
【海藤、お前、個人的に香港伍合会と繋がっているのか?】
前置きも無く聞いてきた江坂の言葉に、海藤は僅かに息をのんでから答えた。
「・・・・・どういうことでしょうか」
【夕べ、向こうの責任者であるウォンから連絡があった。ロンタウはこの日本で貴重な宝石を見付けられて非常に喜ん
でいる。開成会の海藤にくれぐれもよろしく・・・・・とな。お前がウォンと面識があるのは知っているが・・・・・海藤、何時ロ
ンタウと会った?】
江坂の問いに、海藤は直ぐに答えることが出来なかった。
まさか真琴を間に挟んで対立関係にあるなどと軽々しく口には出せない。これ以上問題を大きくしたくなかった。
「・・・・・先日、ちょっとしたことで」
【どんな奴だ】
「噂よりも、かなり若いです。日本語も堪能で、会話には全く困りません」
【そうか。滅多に顔を出すことが無いとは聞いていたが、若いという理由もあるのかもしれないな】
実力が一番大事だという裏社会でも、やはり若造といえる歳のトップが軽々しく見られてしまうのは常だろう。海藤も、
そして江坂もそれは身をもって知っていた。
【情報があれば上に上げろ。それと・・・・・まさかとは思うが、個人的な対立は無いだろうな】
「江坂理事」
【本部の不利益になることが分かれば、こちらは容赦なくお前を切る。その覚悟だけはしていろ】
「・・・・・はい」
【・・・・・個人的には、そういう気概のある人間は嫌いではないがな】
江坂はそれ以上は言わず、また連絡すると言って電話を切った。
海藤はしばらく受話器を握っていたが、溜め息と共にそれを戻す。
「社長」
側にいた倉橋が、気遣うように声を掛けてきた。電話の内容はこちらの言葉しか聞いていないので全体像は分からなかっ
たかもしれないが、それでもニュアンスである程度のことは予想出来たのだろう。
海藤も倉橋に隠すつもりは無かった。
「ウォンが連絡をしてきたらしい」
「・・・・・牽制ですか?」
「いや、俺によろしくと・・・・・なかなか仕事が早い」
「・・・・・本部に手助けをさせない為でしょうか」
「俺なんかにそこまでしてもらうとは・・・・・ありがたいと思えばいいのか・・・・・」
じわじわと外堀を埋められている感じがする。
たかが愛人のことで戦争を犯す事も無いと想像出来るだろうが、僅かな可能性があるのならばそれらを全て潰していくと
いうやり方は緻密な手腕で定評のあるウォンらしい。
しかし、その後ろには必ずジュウがいるのだ。
「倉橋」
「はい」
「・・・・・俺が間違っていたら、遠慮なく張り倒してくれ。今の俺にそんなことをしてくれる人間はあまりいないんだ」
「・・・・・」
「頼みますよ、倉橋先輩」
「・・・・・っ、分かった、海藤」
何年振りにその呼び方をしただろうか。
一瞬言葉に詰まった倉橋が、それでも以前の・・・・・大学時代の時と同じ声音で自分の名を呼んでくれ、海藤の頬に
は少しだけ笑みが浮かぶ。
自分の周りにいるのはイエスマンだけではないと、海藤は自信を持って言えた。倉橋も、そして綾辻も、海藤の間違いを
見ない振りは絶対にしない。
そして・・・・・。
(絶対に、手放さない)
海藤にとって何が一番大切なのかを知っているのも彼らだった。
「お帰りなさい」
「ただいま」
午後7時前。
何時もよりかなり早い帰宅に、真琴は玄関先で笑顔で出迎えてくれた。
綾辻の連絡では元気が無いとあったが、海藤に気を遣っているのか目の前の顔には笑顔が浮かんでいる。
そんな真琴の髪をクシャッと撫でた海藤は、後ろから現れた綾辻に言った。
「すまなかったな」
「いーえ。ゆっくり静養させてもらいました」
「海藤さん、今夜の夕飯、綾辻さんが作ってくれたんですよ?今日は人数が多いから鍋にしようって、豪華な寄せ鍋に
したんです」
「やあね〜、私の包丁の腕なんか見せる場面無かったのに」
切って入れるだけだものと笑う綾辻は常と変わらない。
海藤はちらっと綾辻に視線を向けると、もう一度真琴を振り返って言った。
「綾辻には今日の報告をするから、先に仕度をしていてくれないか?倉橋、悪いが」
「はい。お役に立てるとは思えませんが」
そう言いながら、倉橋が真琴の背中を押すようにしてリビングの方へと向かうと、海藤はそのまま自分の書斎へと足を向
けた。もちろん、その後ろには綾辻がついて来る。
「変わったことは?」
コートを脱ぎながら訊ねると、綾辻は気になることが一つと言った。
「電話があったみたいなんです」
「電話?」
「掛かってきた所を見たわけじゃないんですが、昼前・・・・・バイトの子達が帰って直ぐ辺りから、何度も携帯を見てるん
ですよ。誰かと一緒にいる時、マコちゃんそんな態度を取らない子だから気になって、カマを掛けてみたんです」
「何?また電話があるの?」
そう言った時の真琴の顔は本当に驚いたような表情で、慌てて首を横に振りながら、もう掛からないと思いますと口走っ
た。
「もうってことは、その前に掛かったってことで、その相手を私に言わないってことは・・・・・」
「ジュウ、か」
「まあ、聞かなくても内容は分かりますけど」
「・・・・・」
綾辻の言う通りだ。きっと、ジュウは柔らかな言葉に包み込むように真琴を脅してきたのだろう。
その材料は、考えなくても分かっている。
(気にするなと言う方が無理なのかもしれないが・・・・・)
自分も、そして真琴の周りの人間も必ず守ると伝えたが、真琴の不安は一向に払拭はされないのだろう。それは海藤
を信用していないというよりも、もしも怪我などしたら・・・・・そんな不安の方が大きいはずだ。
「社長」
「分かった」
時間は確実に過ぎ、ジュウの指定した日時が迫ってくる。
海藤は真琴が間違った選択をしないようにするにはどうしたらいいのかと、考えれば考えるほど迷路に迷い込んだような気
分だった。
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