異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 「じゃあね、マコちゃん」
 「気をつけてくださいね」
 「ご馳走様でした。今日は早くお休みになってください」
 「はい、ありがとうございます」
 「おやすみ〜」
 「おやすみなさい」

 玄関先で帰っていく綾辻と倉橋を見送った真琴は、なぜかほっと溜め息をついた。
寂しいというのか、それとも、張り詰めた緊張感が解けたのか、自分でも分からなかったが、海藤が背中を向けている今
でしか出来ないことだった。
(・・・・・みんなに迷惑掛けてる・・・・・)
 恋人である海藤はともかく、本来綾辻も倉橋も関係ない問題なのに、何時の間にか巻き込んでしまっていたことが申
し訳なかった。
(でも、あんなに偶然、マフィア、とか・・・・・)
 海藤の恋人になってから、彼の職業柄の知り合いは増えた。
世間一般では疎まれ、嫌われているイメージの彼らだが、実際に接すると皆スマートで大人で、もしかしたら普通の職業
の人間よりも真面目なのではないかと思えるほどだった。
 その中で、イタリア人の、マフィアの一番偉い立場の人物とも知り合ったが、もしかして自分はそんな人々を引き付けて
しまうのではないかとさえ思ってしまった。
 ジュウがどこまで本気で自分を欲しいと言っているのか分からない。
友人の日向楓のように、ずば抜けた美貌をしているわけではないし、小早川静のように実家が資産家でもない。
自分を欲しがっても、ジュウにとっては得になるとは思えないのだが・・・・・。
 「真琴」
 「・・・・・え」
 そんな真琴の思考を遮るように声が掛かる。
俯いていた顔を上げると、先を行っていたはずの海藤が立ち止まってこちらを見ていた。



 何を思い悩むことがあるのか。
真琴の答えなど唯一つしかありえない。
 「お前は、俺を選んでくれないのか?」
 「か、海藤さん?」
 「お前が何か迷っているのは、彼に対して何らかの感情を抱いているからなのか?」
真琴の愛情を疑うわけではないが、その思考の片隅にでもジュウのことを考えているのは面白くない。
辛いのは真琴自身だと分かってはいるものの、海藤は自分の心が狭くなっているのを自覚して自嘲した。
 「感情なんて、俺っ」
 「違うのか?」
 「ただ・・・・・ただ、どうして俺なのか、それが不思議で・・・・・。だって、本当に偶然、ちょっとだけ話しただけなんですよ?
それなのに自分の国に連れて行くって、どうしてそんな風に考えるのか分からなくて・・・・・」
 「考えるな」
 「・・・・・」
 「あいつの気持ちは考えなくていい」
 真琴には、多分分からないのかもしれない。
自分達のような世界に生きている人間が、最終的に欲しいと思うのは素のままで愛し合える相手だ。
金も地位も女も、その過程の中には確かに存在するかもしれないが、欲に塗れた感情は何時しか自身も滅ぼしてしまう
ことを上にのぼった人間はちゃんと自覚していて、その上で、自分にとって最上の相手を捜す。
(ジュウが真琴を選んだことは分からなくもないが、どちらにせよ真琴を手放すなど考えない)
海藤は腕を伸ばして真琴の身体を抱きしめた。
 「海藤さん・・・・・」
 「何も考えさせないようにしてもいいのか?」
 「え・・・・・」
 「お前が俺以外の男のことを考えているのは・・・・・面白くない」
 「・・・・・っ」
 真琴が嫌だと言っても解放するつもりは無かったが・・・・・。
 「・・・・・」
海藤の背中に、真琴の腕が回る。
 「・・・・・お願いします・・・・・」
小さな小さな肯定の言葉に、海藤は真琴の身体を抱き上げた。



 ジュウの部屋を辞したウォンは、自分の部屋に戻る前に呼び止められた。
 『ウォン様、よろしいですか』
最高級といわれるホテルの、最上階とその下のフロアー全て借り切っている為、廊下も人影はなく静まり返っている。
ウォンはわざわざ自分の部屋に部下を入れることもないと、立ち止まって言った。
 『5分以内で言え』
 『ロンタウの来日情報が漏れています』
 『何?どこからだ』
 『恥ずかしながら随行している中の何者かでしょう。どうやら、ロンタウが日本人に現を抜かしていることをよく思っていな
い者の仕業のようです』
 『それだけか?』
 確かに、今のジュウはウォンの目から見ても何時もとは違っていた。
自国の民族を盲愛するということも無いジュウだが、それは他国の民でも同じで、そもそも彼は誰かを愛するということは
無いのだろうとウォンは思っていた。
だから・・・・・ではないが、せめて心を慰める為にと、以前猫のような性格の、美しい日本の少年、楓を攫おうとしたのだ
が、ウォンの気持ちは肯定してくれたものの、ジュウは楓には興味をそそられなかったらしい。
(西原真琴・・・・・それ程に特別な人間には見えないが)
 それでも、ジュウが今までに無いほど興味をそそられ、欲しいと思っているのならば手に入れよう・・・・・ウォンはそう思って
いた。
 『ロンタウの行動を批判するような人間がいるのか』
 『・・・・・』
 沈黙が、他の意味を持っているような気がして、ウォンは目の前の、自分よりも体格がいい部下を睨め付ける。
 『シュエ、言え』
 『・・・・・』
 『三度目は無いぞ。言え』
ウォンの冷酷な響きの声に、部下は目を伏せたまま声を押し出した。
 『今のロンタウに反発している勢力がいます』
 『誰だ』
 『・・・・・バオジン老です』
 『あの老人か』
 名前を聞けば、ああとウォンでも直ぐ頷けた。
バオジンは今年62歳。本来ならばジュウの前に龍頭になっていてもおかしくない程の実力と金を持っていた。
しかし、前龍頭が若返りを強く主張し、その時には既に頭角を現していたジュウが異例の指名を受けたのだ。
 もちろん、若過ぎる龍頭に反発する者は多かったが、ジュウはそれらの勢力を全く情けもなく制圧、粛清し、何時しか
ジュウにたてつく者はいなくなった・・・・・はずだったが。
 『彼が国外に出ていることをいいことに動いているのか』
 『中国本土の別の組織にも接触しているようです』
 『・・・・・馬鹿が』
 どんなに内密に動こうとしても、ジュウの目から、耳から、逃れることは出来ない。
(久し振りの・・・・・大きな掃除になるか)
 『ロンタウには私が知らせる。お前は引き続き情報を掴め』
 『はい』
直ぐに立ち去る部下を見送ったウォンは、そのまま足をジュウの部屋に向けた。
たった今辞したばかりだが、今聞いた話は翌日に回すようなものではない。
 『・・・・・』
 来訪のインターホンを鳴らすと、しばらくしてジュウ自らがドアを開けた。
 『ジュウ、先ずはチェーンをしてからドアを開けてください。私以外だったらどうするのです』
 『気配で分かる。お前だとな』
 『・・・・・』
口調から察するに、時間を置かなかった来訪を非難しているわけではないようだ。
どちらかといえば何時も以上に機嫌がいい様子が垣間見えて、ウォンは今から伝えることへのジュウの反応を考えてしまっ
た。
 『どうした?』
 『お耳汚しの話ですが』
 そう前置きして、ウォンはたった今自分も部下から聞かされた話をジュウに伝える。
黙って最後まで聞いていたジュウは、白い頬にうっすらとした笑みを浮かべた。